吉田元所長「58歳の死」 食道がんと放射能の因果関係
【政治・経済】
「事故で死んだ」と専門家
吉田元所長は、11年3月11日の事故発生後から約8カ月間、免震重要棟で陣頭指揮に当たっていたが、同年11月中旬に健康診断で病気が発覚。同月末には治療に専念するため、所長を退任し、療養を続けていたが今年6月下旬、容体が急変したという。
東電によれば、吉田元所長の被曝(ひばく)量は計約70ミリシーベルト。原発作業員の被曝限度100ミリシーベルトの範囲内であることから、放射能によるがん発生の可能性を否定している。しかし、吉田元所長は11年11月、報道陣の取材に「死ぬだろうと思ったことが数度あった」と話していて、相当なストレスを感じていたはずだ。
放射能が直接のがんの原因でないにしろ、あの環境では体を壊してもおかしくない。専門家はどうみているのか。医学博士の米山公啓氏はこう言う。
「遺伝的な要因やたばこ、酒でがんになりやすい体質、生活習慣があったのだとすれば、3月11日以降の極度のストレスががんを進行させた可能性はあります。ストレスは免疫力を低下させるからです」
吉田元所長は、食道がんの療養中の12年7月、脳出血も発症している。
「もともと高血圧であったのかはわかりませんが、原発事故は想像を絶する状況です。そこに8カ月間もいれば、脳出血など起こしやすい体になってもおかしくない。会社の方針に逆らって、独断で作業を進めていたともいわれているし、相当、無理をしていたのでしょう。血圧を測ったり健康管理をする間もなかったでしょうから、事故で亡くなったと言っていい」(東京脳神経センター理事長の松井孝嘉氏)
東電は08年、明治三陸級の地震が福島で起きた場合、福島第1原発で10メートルの津波があると試算していたが対策を怠っていた。この時、吉田元所長は原子力設備管理部の部長。事故の責任の一端は彼にもある。