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男子バレーボール 初の金メダル


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日本は東独を3-1で破り初優勝。第1セット、東独のスパイクを木村、深尾、横田選手の3枚ブロックでストップ

日本−東ドイツの男子バレーボール決勝は、日本が3−1で勝ち、宿願の初優勝を遂げた。

オリンピックでの優勝、これまで取れそうでなかなか取れなかった金メダル――日本の男子バレー関係者が長い間、描き続けてきた夢がようやく実現した。東京大会で銅メダルを取ってから8年、日本の男子が世界のバレー界に初めて登場したのは、1960年の第4回世界選手権。その時点から数えれば12年ぶりの宿願達成だった。

「ニッポン、チャチャチャ。ニッポン、チャチャチャ」――応援団の手拍子が調子づいたのは第2セットの快進撃から。

試合前「おれたちはきのう(対ブルガリア戦)死んだんだ。今日は自殺しようと思っても死ねないんだから楽にいけ」と指示していた松平監督は、第1セットをとられて「さあ堅さが取れたはずだ。エンジンをかけるんだ」と選手たちをはげます一方、南を繰り出してブロックを強化。ようやく猫田が長いトス、平行トスなどを使い分け、強打とフェイント、二段攻撃など変化攻撃に成功、ブルガリア戦で腰を痛めた横田も時間差攻撃で東独陣を脅かす。

2−1で迎えた第4セットも5−8から立ち直って10−8と逆転、一歩一歩優勝へ近づいていった。勝利目前、1ポイントをあげるごとに、コートの6選手が肩をたたきあってかけ回る。大古のブロックで12−10、森田のスパイクが決まって13点目。選手が互いに抱き合い、もうまるで勝負がついたのかと錯覚を起こしそう。

シューマンのスパイクがサイドラインをわって、日本の金メダルが決まった。館内が「ワーッ」とわく。応援団がコートへはいろうとして一部で混乱が起きた。女子チームのメンバーは、この光景を見やって複雑な表情。松村主将に声をかけると、「勝ちたかった。女子も」と。そこまでいって涙をおさえた。

(1976年9月9日)
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