The Cattle Museum
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牛馬の守護神 -厩猿信仰-
  中村民彦 京都大学霊長類研究所共同利用研究員

 厩猿信仰とは厩に猿の「頭蓋骨」や「手」などを祀り、厩の火災防止、衛生、牛馬の無病、安産などを祈願したものである。「猿曳き物語」にこの風習の謂われと思われる江戸期の「厩祈祷」の様子が紹介されている。その唱事に「昔、天竺に羽の付いた馬が天より下ろされたが人間は馬を石や棒で追い回した。馬はその時大暴れをし、それから人間と馬は互いに恐れあった。そこで天上の庚申尊は猿に変身し人間に馬に乗る事を教えた。それ以来人間と馬は仲良くなったが、人間が与えた食物や水で病気になった。そこにまた猿が現れて馬の体を「擦る」とすぐに元気になった・・・」と記述されている。この唱事は口々に語り伝えられ、牛馬の持ち主は「伯楽」や「厩祈祷師(猿回し)」に嘆願し、生きている猿を厩の前で舞わせたり、厩の柱に繋いで置いた。それがいつしか死んだ猿の頭蓋骨や手を祀るようになった。骨を入手できない人々は
■馬安全札
矢柄馬頭観音 鹿児島県串良町
絵馬や護符、そしてサルノコシカケまで祀ったのである。頭蓋骨や手はマタギに、絵馬は絵馬師に、護符は宮司や僧侶にと、それを生業にしていた者に依願したのである。
 骨の祀られ方は一様ではなく、牛、馬小屋の「軒下」や「柱」に藁縄や針金で無造作に吊されている処や、藁や綿で包み石造や木造の「祀屋」や「仏壇」の引き出しの中に大切に保管している処もある。
 口承も様々で頭蓋骨に関しては「牛の守り神」「馬の守り神」「子牛、子馬が無事に産まれ成長した」「気の荒い牛馬がおとなしくなった」「親牛馬も子牛馬も病気にかからない」「牛、馬、人間の万病薬」「火災が起きない」「猿の胃は牛馬の良薬」など、守り神、健康、安産、薬用にまつわるものが多い。手の骨に関しては「妊婦の腹の上を3度なぜると安産」「牛馬の腹をさすると安産」「手で種を蒔くとキュウリが豊作」「畦に穴をあけて種を蒔くとササゲが豊作」など安産と豊作に関するものが多い。牛馬に限らず、人間も含めての無病息災は人々の願いであり、五穀豊穣は農民の祈りであった。その大願成就を約束してくれる「厩猿」は「招福猿」であり何にもまして入手したいものであった。
 その「招福猿」の頭蓋骨が前沢町で発見された。前沢町では初めての発見である。牛の博物館の「家族で楽しむ企画展2004お猿さん」で本物の「厩猿」を展示した事が切っ掛けになった。国内の博物館では初めての試みであり、これが新聞紙上に取り上げられ、その記事を目にした厩猿の持主から博物館へ情報提供されたのである。猿の頭蓋骨は下顎骨がなく、上顎の歯牙も何本か脱落していたが8歳前後の雄である。おそらく前沢町に棲息していたニホンザルで江戸時代に捕獲されたものであろう。県内では21個目の発見である。信仰の流布にともない、マタギによる狩猟圧が増大の一途をたどったであろう事は想像に難くない。そのことが本県のニホンザルの個体数をどれほどまでに減少させたのであろうか、今となっては知る由もない。
 最近は各地に歴史民俗資料館も建てられ、農家の厩が文化財として保存されている。けれども馬小屋、牛小屋は大切にされることなく「厩猿」と共に取り壊されてしまった。すでに農家では農耕に牛馬をつかう時代ではなく、牛、馬小屋の消滅と共に「厩猿」も絶滅の道を歩もうとしている。人とニホンザルの間に見られる多様な関わりを知るためにもこの厩猿に対する畏敬の世界を聞き取り記録しなくてはならない。神と人を結ぶ架け橋として今も心に残り、その事物が伝えられている「厩猿」に当時の生活史はもとより現在までの生息分布史さえも探る事が出来るのである。「厩猿」は往年の生活の古典であり貴重な文化財である。
(牛のはくぶつかん 22より転載)

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