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2月25日(土)付 

大島学区は0・83倍―12年度県公立高校最終出願者数
 県教育委員会は24日、2012年度県内公立高校入学者選抜の出願変更(17〜23日)に伴う最終出願者数を発表した。県全体で推薦内定者、中高一貫教育枠などを除いた学力検査定員1万2003人に対する最終出願者数は1万1711人で、最終出願倍率は出願段階の倍率と同じ0・98倍となり、前年度を0・01ポイント下回った。倍率が1倍台を割り込んだのは、記録が残る1990年度以降では初めてだった前年度から2年連続で、過去最低。大島学区(定時制含む)は学力検査定員1047人に対して874人が出願し、出願倍率は前年度より0・01ポイント上がって出願段階と同じ0・83倍だった。学力検査定員を超えたのは前年度の0・30倍から跳ね上がった徳之島・総合学科1・05倍、沖永良部・商業1・03倍、大島・普通1・01倍の3校3学科のみ。
 学力検査を実施するのは前年度と同数の71校157学科(全日制69校154学科、定時制2校3学科)。中高一貫教育制度を導入し連携中学校以外からの出願者がいなかった喜界、与論では行われない。対前年度比で学力検査定員は33人、最終出願者数は中卒予定者の大幅減少で176人の各減となった。
 出願変更を行ったのは561人で、「他校へ」「他校から」ともに鹿児島中央が最も多かった。定員割れは県全体で55校97学科の1410人で、前年度より181人増えた。12年度から従来の志願登録・変更―出願制度に代わって導入した出願・出願変更制度の効果について、県教委高校教育課は@出願変更受験者が前年度の982人から大幅減少したA学校学科での増減幅が100人前後から20人前後に小さくなったB定員割れの学科・人員が出願時より2校4学科で112人減少した―ことを挙げた。
 県内7学区別の出願倍率をみると、鹿児島学区が唯一1倍を超える1・21倍で前年度に続いて最高。以下、姶良・伊佐0・97倍、南薩0・87倍、北薩0・86倍、大島0・83倍、大隅0・82倍、熊毛0・80倍の順だった。学科別では、普通科系1・02倍、総合学科0・76倍、専門学科0・94倍。専門学科のうち家庭1・09倍、工業1・02倍、商業0・93倍、農業0・73倍など。
 出願倍率が最も高かったのは、学力検査定員が少ない鹿児島南・体育の1・67倍。次いで明桜館・商業1・59倍、武岡台・情報科学1・56倍、鹿児島工業・工業U類1・54倍、鹿児島中央・普通1・42倍。逆に低かったのは、@鹿屋農業・農業0・28倍A山川・園芸工学・農業経済、鹿屋農業・生物工学0・38倍C頴娃・電気、南大隅・情報処理0・45倍―の順。
 全日制普通科で学区外からの出願を受け入れる「一定枠」への出願者数は全県で学区が拡大された前年度より22人多い188人。大島学区への出願者はいなかった。
 学力検査は3月6日に国語、理科、英語、同7日に社会、数学の順で行われる。同14日に合格者を発表し、併せて第2次入学者選抜を実施する学校・学科、募集枠を発表する。
介護保険料据え置き答申―奄美市、2地区に小規模多機能型施設 
 奄美市高齢者福祉計画および介護保険事業計画策定委員会(野崎義弘委員長)は24日、第5期計画を朝山毅市長に答申した。期間は2012〜14年度の3年間。介護保険料は基準額を月額5100円に据え置き、地域密着型介護支援施設の設置を名瀬、笠利両地区に見込んだ。
 介護保険料は介護給付費見込みやサービス利用者、介護報酬の改定などを考慮して算出した。1号保険者(65歳以上)は基準額5766円と試算したが、急激な負担増を回避するため、介護給付準備基金や財政安定化基金の取り崩しにより、「据え置く」ことができると判断した。
 地域密着型介護施設は「小規模多機能型居宅介護」と呼ばれる施設。自宅のように利用でき、宿泊や食事、入浴のほか、日常生活の支援、機能訓練を受けることができる。1事業所当たりの登録定員は25人以下。計画は名瀬地区と笠利地区での需要を見込んでいる。利用者は12年度は300人、13、14年度は600人と試算している。
 高齢者保健福祉計画は第4期計画を踏襲する。「健康で長寿を謳歌するまちづくり」を基本理念とし、@高齢者が地域を支え、元気をつなぐまちづくりA高齢者の自立した生活を支える基盤づくりB支えあいの地域づくり―など五つの基本目標を掲げた。
 計画策定委員会は昨年9月以降、2月まで5回にわたって審議した。答申を受け、朝山市長は「答申の趣旨を尊重して事業を進めたい」と述べた。
シマ料理のレシピ集発行―奄美市教委 
 奄美市教育委員会が進める「栄養教諭を中核とした食育推進事業」の第3回検討委員会が24日、奄美市名瀬の奄美博物館であり、委員らが2011年度の取り組みや今後の課題を話し合った。12年度も事業を継続し、奄美の郷土食材を生かした食育の推進に取り組む方針。
 同事業は文部科学省の委託事業。委員は市内小中学校の栄養教諭と教育、行政関係者ら24人で構成する。
 本年度は児童生徒と保護者を対象にした奄美の地場産物・郷土料理に関するアンケート調査や、郷土素材を取り入れた給食献立の導入、「食育便り」の全校配布、郷土料理レシピ集「給食で伝えるシマ料理(じゅうり)」の作成などに取り組んだ。レシピ集は3月中に各校へ配布するほか、市のホームページへの掲載も予定している。
 12年度は市の標準献立作成による郷土料理の活用や、行政と連携した地場産物の安定供給促進、食生活改善推進員との連携による家庭への啓発などに取り組むほか、食育推進会議を開いて全小中学校担当者の連携を深め、栄養教諭未配置校での指導の充実や食育意識の向上を図る。
 委員から「給食では決まった郷土料理ばかりなので工夫、開発が必要」「農産物は天候の影響が大きい。安定的に安く供給できないか」などの意見や、「農家とのパイプ役になるような地域の供給団体があればありがたい」との要望があった。

2月26日(日)付 

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高いUターン意識―奄美〜沖縄交流フォーラム

 UIターンによる地域活性化を考える「奄美〜沖縄交流フォーラム」(沖縄大学地域研究所主催)が25日、奄美市名瀬のライブハウスASIVIであった。奄美大島の高校生たちも登壇し、「一度島(奄美)を出て島のよさを再確認したい」「就職するときは奄美に帰ってきたい」などと発言。Uターン志向の高さが浮き彫りになった。
 フォーラムは移動市民大学の一環。5部構成で行われ、1部は沖縄大学の学生2人と奄美の高校生7人がディスカッションした。テーマは「将来地元に残りたいか、外へ出たいか。その理由と課題、解決方法について」。
 沖縄大学の学生は奄美市の有線テレビで番組制作を体験した。高校生への取材を通してUターン意識、シマに対する思いを探った。調査した高校生は150人。卒業後、進学や就職で郷里を離れる高校生は86%。将来は「戻る」と答えた人が71%に上った。
 2人は「奄美に対する思いは強いが、進学や就職で島を出る生徒が多い」「雇用が回復し、大学や専門的な学校が増えれば生徒たちが島に残り、夢や希望が育める社会になるのではないか」と指摘した。
 高校生たちへの質問は@将来戻ってきたいかA奄美のよいところB改善点―など。Uターンについては「一度島を出て、最終的には戻ってきたい」「奄美が好きなので、できるだけ島で就職したい」と回答した。
 「奄美のよさ」は「島の人たちは優しい」「地域の絆が強い」と答えた半面、「遊ぶ所がなく、カラオケに行くとおカネがかかる」との不満も。改善点については「ごみのポイ捨てがある。マナーの向上が必要」「スポーツ施設、大会を増やして」「交通手段の充実」などを要望した。
 ディスカッションに続いて奄美、沖縄、宮古、石垣のケーブルテレビが「UIターンの実情」を報告。奄美2世のうちなー噺家、藤木勇人さんの談議もあった。

1万年後に島口1万語を―伊仙町出身の南さんが資料づくり

 ふるさとの言葉を次代の子どもたちに伝えたい―。出身集落の島口(方言)を掘り起こして資料にまとめる作業に取り組む男性が伊仙町阿権にいる。南安二さん(75)だ。島口の語り部が減少する中「1万年後の子どもたちに島口の単語1万語を残したい」と話し、記録作業を進めている。
 南さんは就職のため20歳で島を離れ、現住所は兵庫県川西市。15年ほど前、阿権出身者が発行している情報紙へ島口で投稿したのをきっかけに島口に関心を持つようになった。数年前から、島口で会話が可能な世代が次第に減少していくことに危機感を覚え、島口の記録、保存を真剣に考えるようになったという。
 記録に向けて現在進めている掘り起こし調査には、昨年夏から着手。具体的には自身が阿権で生活していたときに話していた単語を思い出し記録しているほか、近隣集落も含めた地域の古老からの聞き取り、方言に関する文献などを資料にした調査も行っている。家族を兵庫県に残し単身で帰郷、親戚宅を間借りしての作業だ。
 目標は島口1万語(単語)の調査。調べた単語は共通語の意味も併記した上で、50音順のファイルとして取りまとめる予定。「約1万語分のファイルがまとまった段階で、誰でも閲覧、複写、加筆・修正が可能な資料として町内の教育機関か文化施設に収めたい」と話す南さん。現在はファイル作成前の基礎資料として、B4判の紙に下書きをしている段階。細かい字でびっしりと書き込まれた単語は現時点で5千語に届いておらず、まだまだ作業には時間がかかりそうだが「気長に進め、やり遂げたい」と話す。
 今月19日に同町中央公民館で開かれたイベント「島口使う日」(しまぐちつこわーデー)では、島口での発表も行った南さん。国連教育科学文化機関(ユネスコ)が奄美の方言について「消滅の危機にある」と指摘していることにも触れ「島口は地域の宝。絶対に絶やしてはいけない」と話し、伝承の重要性を強調した。

復帰の意義語り継ぐ―元青年団長ら3氏講演

 日本復帰運動を語り平和で豊かな島づくりを考える会(崎田実芳会長)主催の講演会「第3回語る会」が25日、奄美市名瀬公民館であった。青年団のリーダーとして復帰運動に身を投じた松岡竹広氏(89)ら3氏が当時の社会情勢や活動を振り返り、歴史を語り継ぐ意義を語り合った。
 講演会テーマは「軍政下における非公然組織奄美共産党の活動と身を挺して弾圧から復帰運動を守った橋口護・龍明文を語る」。元笠利村連合青年団長の松岡氏と元奄美共産党指導部の崎田実芳氏(83)、元龍郷村青年団書記長の恵義哉氏(81)が講演した。
 松岡氏は食糧難に苦しんだ当時の暮らしや食糧3倍値上げで反米感情が高まった社会背景などを交えて、1950年に18人が逮捕された「奄美共産党事件」を振り返った。
 同事件で軍政府から逃れて日本本土に渡った橋口護氏について「密航船で本土に渡った後も大変な暮らしの中でビラ配りをした。筋を曲げない人だった」と語り、「苦労の中、若者が団結して祖国復帰の道にまい進した。先輩方の苦労に思いを寄せ、教訓に学びながら活動を続けたい」と話した。
 崎田氏は党員として逮捕された弾圧事件の真相を探り、本土に渡る橋口氏を見送った当時を感慨深げに語った。
 恵氏は龍明文氏と協力して本土脱出前の橋口氏らを3カ月間、龍郷の山中にかくまった。「軍政府は奄美共産党を壊滅して復帰運動の出はなをくじこうとしていた。活動に貢献できたことを誇りに思う」と語った。

2月27日(月)付 

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愛称は「徳之島子宝空港」―開港50周年記念式典を開催

 徳之島空港の開港50周年記念式典が26日、天城町にある同空港であり、同空港の愛称を「徳之島子宝空港」と命名したことを報告するとともに、愛称を記した看板の除幕式などを行った。出席者は年間14万人以上が利用する同空港が観光振興や物流促進へ果たす役割の重要性を再確認し、今後の発展に期待を寄せた。
 徳之島空港は奄美群島初の民間空港として東亜航空が1962年2月に開港。10人乗りの小型機DHヘロン機が同島と鹿児島、喜界島を結んでいた。
 その後、機体の大型化や鹿児島県への管理移管、路線増設、大幅な改修工事を経て、80年には群島初のジェット空港としてリニューアル。現在は天城町が管理しており、日本エアコミューター(JAC)が鹿児島との路線にDASH8―Q400型機(74席)、奄美大島との間にSAAB340型機(36席)を運航。不定期便として、第一航空が9人乗りの小型機で那覇路線(沖永良部経由)を運航している。
 式典には関係者など約70人が出席。空港利用促進協議会会長の大久幸助天城町長が空港の変遷に触れ「訪れる人々に魅力ある徳之島を実感してもらい、徳之島ならではの雰囲気を演出しながら、奄美群島や県全体の活性化に貢献していくことを期待する」などとあいさつ。伊藤祐一郎県知事(代読)の式辞に続き、金子万寿夫県議会議長(同)と安嶋新JAC代表取締役社長が来賓祝辞を述べた。
 同空港の愛称については、空港利用促進協議会が民間を対象に公募したところ全国から1228件の応募があり、選考の結果、神奈川県川崎市在住の吉川弘子さん(63)の「徳之島子宝空港」に決定。式典に出席した吉川さんは「合計特殊出生率が全国トップということを知り、生き生きしたイメージからこの愛称が浮かんだ」と話し、身近な空港として発展していくことを期待した。

銀座に大島紬専門店―龍郷町出身の泉二弘明さん

 呉服業界に新風を吹き込んでいる東京の「銀座もとじ」(泉二弘明代表取締役、龍郷町出身)が25日、「大島紬の復活と可能性」をテーマとした初の大島紬専門店をオープンした。プレス発表会で泉二さんは「周囲からこの不景気の時期にと言われたが、職人が高齢化し、担い手も減っている今こそ、大島紬に力を注がなければ大島紬の貴重な技術は途絶えるとの思いがあった。一反物または二反のオリジナル大島紬を制作していきたい」と述べた。
 大島紬店は「銀座もとじ」の和織・和染・ぎゃらりー泉・男のきもの各店舗の通り横並びの銀座3丁目にオープン。店側によると、キーワードは「身につけて輝く綺麗な大島紬」。
 構成は「オリジナル大島紬」「銀座もとじセレクト大島紬」「伝統を守った大島紬」の3本柱。これらの商品の物づくりは同店が7年以上に及び毎年12月に行っていた「あなたが選ぶ大島紬展」が基礎になっているという。泉二さんは「奄美大島の歴史や風土、大島紬の歴史的背景と作り手が発表できる場所にしたい」とも話す。
 24日夜に催されたプレス発表会には多くのマスコミや業界関係者、また鹿児島市から伝統工芸士の田畑安之助さん、増田勇吉さん、奄美から拒O田紬工芸代表の前田豊成さんらがお祝いに駆け付けた。
 会場にはプラチナボーイ(雄の蚕の糸だけを使用したオリジナル生糸)の白大島紬や、絣(かすり)の大島紬の上に刷毛染めを繰り返し蝋(ろう)で深みを出した美しい作品、大島紬の絣糸を使用した角帯などの商品が展示されていた。
 本場大島紬の奄美産地の生産高は最盛期には28万反だったが、2011年は7700反まで落ち込んでいる。

イシカワガエルが鳴いた!―龍郷町円林道で観察会

 龍郷町円林道で26日、自然観察会があった。奄美の自然を考える会の会員や一般住民ら約30人が参加。希少な動植物を育む森の空間を散策して、自然の豊かさと環境保全の大切さを体感した。
 円林道は延長約5キロ。円集落から長雲峠の奄美自然観察の森の裏手へ通ずる。国指定天然記念物アマミノクロウサギなど絶滅が危惧される動植物が生息する。観察会は同会と環境ネットワーク奄美が共催。田畑満大さんや常田守さんを講師に林道をゆっくりと下りながら動植物を観察した。
 日本一美しいカエルといわれるアマミイシカワガエルの鳴き声を聞いたり、シマオオタニワタリが着生するオキナワウラジロガシ、アマミノクロウサギのふんも見たりして自然の豊かさを再認識した。
 豪雨のたびに海岸線の県道が崩れ、孤立している集落住民の避難道として町側が円林道の改良を考えていることについて、参加者らは「大雨では県道より林道が先に崩れる。アスファルト舗装したら林道は水路となり、かえって危険。県道の崩土防止策を施した方がよい」と話していた。

2月28日(火)付 

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電気バス15年ごろ導入へ―スマートコミュニティー事業で報告書

奄美大島のバス会社道の島交通(本社・奄美市名瀬、岩崎菊美社長)が受託したスマートコミュニティ構想普及支援事業の最終となる第3回検討会(座長・堤純一郎琉球大工学部教授)が27日、奄美市の名瀬公民館であった。同社の電気バス導入に向けた調査事業で、導入した場合の地域電力への影響や省エネ効果、採算性なども同時に検討。2015年ごろの電気バス導入を目指すとする報告書をまとめた。
 事業は経済産業省の外郭団体・新エネルギー導入促進協議会の公募型委託事業で、最先端の技術を組み合わせた環境配慮型都市の構築に向けた取り組みの一環。検討会の委員は九州電力、奄美大島観光協会、奄美市の代表ら5人。
 報告書によると、15年ごろに電気バスの商用化が図られることからこの時期のバス導入を計画。15年以前でも国の実証事業などで初期投資負担を大幅に軽減できる場合は積極的な取り組みを検討するとした。
 同事業では奄美市名瀬地域での太陽光発電など再生可能エネルギーの導入や、地域のエネルギー消費構造なども調査。太陽光発電と小型風力発電では、国の全量買取制度を活用して事業化した場合の採算性などもデータとして報告書に盛り込んだ。

アオサ摘み取り機を開発―和泊町の大福富吉さん

 和泊町のパソコン教室経営、大福富吉さん(60)がこのほど、アオサ摘み取り機を発明した。近く特許庁の実用新案を取得する見込み。大福さんは「手で摘み取る場合に比べ時間が短縮できる」と話している。
 大福さんは今年、徳之島の養殖業者からアオサを取り寄せ、香典返しとして使う商売を始めた。準備を進める中で「目の前にアオサがたくさんある。機械を使って簡単に取ることはできないか」と思い付いた。試作を繰り返して昨年9月、1号機の実用新案を取得。今回はさらに改良した2号機を開発した。
 摘み取り機はアオサをポンプで吸い込み、スクリューを回転させて切り取る仕組み。内部のシャフト部分に仕掛けを加えることで砂や小石の詰まりを解消した。
 25日には長浜海岸でデモンストレーションが行われた。大福さんは「スクリューによって効率よく摘み取れるようになった。ニーズがあれば製品化も考えたい」と話した。

県議会で紬着用―伝産振興議連呼び掛け

 3月定例県議会・一般質問初日の27日、議員らが大島紬製の着物やスーツ、ネクタイ姿で本会議に出席し、県を代表する特産品をPRした。超党派の議員44人で構成する伝統的工芸品産業振興議員連盟(永井章義会長=大島郡区)が企画し、呼び掛けた。
 同議連は2006年の3月定例会以降、大島紬製品を着用した本会議出席や常任委員会での薩摩焼湯飲み使用、川辺仏壇の技術を応用したネクタイピンの議員配布、知事への仏壇ミニチュアみこしの贈呈などを企画し、県内の伝統的工芸品のPRを行っており、今回が7回目。本会議での大島紬着用は昨年の3月定例会に次いで5回目。
 金子万寿夫議長、永井会長、与力雄、●久伸一郎両議員の奄美選出4人はもちろん、昨年を6人上回る計21人が着物、スーツ姿で参加。他の議員や伊藤祐一郎知事ら当局側も紬のネクタイを着用して応えた。
 一般質問では、トップで登壇した下鶴隆央議員(無所属、鹿児島市・鹿児島郡区)、続く松崎真琴議員(共産党、同)、3番手の永井会長とも大島紬の着物姿。松崎議員が「大島紬は軽くて心地よい。厳しい業界に少しでも役に立てれば」と感想を述べた。
 永井会長は「これほどの紬着用は、県の伝統的工芸品である大島紬に対する共通の思いの表れ。可能性を求めて大島紬振興に努めたい」と協力に謝意を表した。
※●はネへんに喜

2月29日(水)付 

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加工品を製造、開発―奄美市笠利に農林水産物施設

 奄美市が笠利地区に整備を進めていた農林水産物加工施設が3月、供用を開始する。施設は旧給食センター(笠利町中金久)を改修し、再利用。農水産物の加工品製造、開発を進める。
 農産加工施設は笠利地区漁業集落(山下勤一代表)の要望がきっかけになった。魚価の低迷が続く中、漁業集落は水産加工品市場「魚匠」を開設し、手作り加工品の販売を開始した。
 赤ウルメ(タカサゴ類)の薫製やカンパチのみそ漬けなどを製造。サメのジャーキー「奄旨いぶし」は人気商品だ。しかし、既存の施設は手狭で機器類も不足している。旧給食センターを活用し、「活動を広げたい」と考えたところ、市側が応えた。
 加工施設は県の地域振興推進事業を活用し、整備した。事業費総額は661万8千円。鉄筋1階建てで延べ床面積は341・04平方メートル。調理室、検査・包装室、集出荷場、車両搬入場を配置した。
 施設は衛生面や作業効率に配慮したことが特徴。調理室と検査・包装室は間仕切りで分離したほか、シンク(作業台)のスペースを増やした。干物を作るための熟成乾燥庫も設置した。
 冷凍・冷蔵庫やミートチョッパー(すり身をつくる機器)など既存の機器も活用する。漁業集落の山下代表は「施設を使って干物類の製品開発につなげたい」と話している。女性起業グループ・味の郷かさり(大山美智子代表)は冷凍・冷蔵庫を利用し、加工品開発をしたいと考えている。

負傷クロウサギ見つかる―徳之島町手々の山裾

 国指定の特別天然記念物アマミノクロウサギが、徳之島町手々地区で負傷した状態で見つかり、地区住民の自宅で保護されている。犬か猫に襲われて負傷したとみられ、自宅で餌を与えながら見守っている政武文さん(59)は「専門家らと話し合いながら回復状況を判断し、発見した場所の付近で自然に返したい」と話している。
 保護されたクロウサギは体長約30センチ、体重約2キロの幼獣。26日午後2時ごろ、同集落の山すそにある畑で作業中だった畜産農家の堀田富昌さん(58)が、近くの排水溝の中で雑草に身を隠すようにうずくまっているのを見つけた。
 右後足首と背中を負傷していたため、政さんと協力して保護し、地元の自然愛好家らを通じて天城町の木村健一獣医師(44)に治療を依頼した。
 負傷後2日ほど経過していたとみられ、木村獣医師は政さんに「体を温めながら見守り、動きが活発になるようなら保護した場所で自然に返してほしい」と指示。政さんは草を敷き詰めた段ボールにクロウサギを入れて経過を観察しているが、餌として与えたサトウキビをかじり活発に動き回るなど、次第に元気を取り戻しつつあるようだ。
 政さんによると、同集落周辺ではこれまでに生きたクロウサギの目撃例はほとんどなかったが、昨年11月末に集落の県道や林道で相次いで死骸3体が発見され、専門家は「犬か猫に襲われた可能性がある」と話していた。
 こうしたことから、政さんは「これまでと異なり、生きた状態で保護されたことはうれしい」と喜ぶ一方、犬、猫に襲われ負傷したとみられることから、ペットの適正飼育など島民のモラル向上も訴えた。

閉校への思い、空に―大島工高、卒業前にバルーン

 再編統合による閉校を目前に控えた県立大島工業高校(コ永博仁校長)で28日、3年生50人が卒業記念のバルーンリリース(風船飛ばし)を行った。「工業高を忘れないで」との思いを込め、ヒマワリの種を付けた風船を空に放った。
 バルーンリリースは生徒会顧問の山本聡教諭(37)が、閉校への思いと巣立つ生徒たちに対する「風船のように雨にも風にも負けずどこまでも飛び、ヒマワリのように強く根付いてほしい」との願いを掛けて発案。土に返るエコタイプの風船に種と閉校記念の趣旨、「拾った人は種を植えてください」とのメッセージを添えた。
 生徒たちが興翔一郎生徒会長(18)=電気機械科=のカウントダウンで一斉に風船を手放すと、色とりどりの風船は小雨にも負けず空高く飛び上がった。
 最後の卒業生50人は42人が就職、8人が進学と既に全員の進路が決定。数人を除き島を離れることになる。
 兵庫県の飲食店に就職する興君は「風船の種がいろんな場所で花を咲かせ、見た人が工業高を思い出してくれるとうれしい」と願いを託すとともに、卒業を前に「少し寂しい気持ち。下級生がいないので卒業式の準備も自分たちで進めている。積み重ねた歴史を胸に、先輩方に恥じない最後を飾りたい」と語った。

3月1日(木)付 

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徳之島赤土で染色―伊仙町で大島紬展示即売会
 徳之島の赤土などで染色した大島紬の展示即売会が29日、伊仙町のほーらい館でスタートした。徳之島町出身者が創業した仙太織物株式会社(鹿児島市)が企画。徳之島での展示即売会は2度目で、仙太史博専務(40)は「徳之島ならではの伝統の紬を多くの人々に見てもらい、徳之島のDNAを呼び戻したい」と話している。
 同社は徳之島町母間で1926年ごろ創業。28年ほど前に鹿児島市へ拠点を移し、現在は3代目の史博さんが中心となって営業している。
 徳之島で織らていれる紬の柄は「徳中柄」と呼ばれ、同社ではウコンや赤土で染め上げているのが特徴。会場には同社独自の技法で薄桃色や淡い黄色に染め上げた紬の反物や洋装品、小物など約500点が展示されている。
「天城町長選は有効」―高裁宮崎支部が請求棄却
 2010年12月5日に行われた天城町長・町議選挙の効力に関し、同町の町民らが審査申し立てを棄却した県選挙管理委員会の裁決取り消しと選挙無効の確認を求めていた訴訟で、福岡高裁宮崎支部は29日、「原告らの主張には理由がなく、選挙は有効だ」とする県選管の主張を認め、原告側の請求を棄却する判決を言い渡した。
 訴えていたのは、同町天城の西松文良氏(62)と、住民団体「天城町の未来を考える会」会長の禎久隆氏(86)の2人。
 両選挙の期日前投票の3日間、投票箱が無施錠のまま投票所に放置され、投票用紙がすり替えられた可能性があるとして選挙後の10年12月20日、町選管に選挙無効の異議申し出を行った。11年2月25日に棄却されたのを受け同月28日、県選管の審査を申し立てた。
 県選管が11年8月10日、「原告らの主張には理由がない」として申し立てを棄却する裁決を出したため同年9月9日、県選管が両選挙の期日前投票箱の保管方法について一部違法性があったことを認めた点などを指摘して提訴。2回の口頭弁論が行われ、同年12月5日に結審した。
 原告らは判決書の送達があった日から2週間以内に上告できる。原告の西松氏は29日夕、南海日日新聞の取材に対し「判決要旨はまだ届いていないが、棄却はまったく納得できない。上告する方向で弁護士と相談する」と話した。
 県選管の鎌田六郎委員長は「われわれの主張が認められ、妥当な判断をいただいたと考える」とのコメントを出した。
珍魚カンムリブダイ―ベテラン漁師もびっくり
 奄美市名瀬港町の前川水産(前川隆則社長)にこのほど、カンムリブダイという珍しい魚が入った。体長90センチ、重さは15・6キロ。大きさはもとより、奄美ではめったにお目にかかれない姿に皆、目を丸くした。
 前川社長によると捕った人はその道40年のベテラン。その人でさえ初めて見る獲物だったという。
 沖縄県の海洋博総合研究センター研究第一課の戸田実課長によると、カンムリブダイは生きたサンゴを食することで知られ体長は大きなものだと1メートルを超える。今回、奄美で見つかったことについて「基本的に生息は沖縄以南。沖縄でもサンゴの減少に伴い近年めったに見られなくなっており、奄美での例は大変まれ」と話した。
 前川社長は「6、7キロのブダイ類は見掛けるがここまでの大きさはめったになく、調べてみたらこんなに珍しい種類だったとは」とあらためて驚いた様子だった。
 ブダイ科の多くは雌性先熟といわれ、雌から雄に性転換する生態がある。前川社長の元には転換途中のナガブダイも寄せられ、こちらも貴重なサンプルとして同センターで調査中だという。

3月2日(金)付 

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クロウサギ森へ返す―住民の世話でけが回復

 徳之島町手々地区で負傷した状態で見つかった国指定の特別天然記念物アマミノクロウサギが1日夜、保護されていた地区住民の看護で回復し自然に返された。自宅で餌を与えて看護した政武文さん(59)は「元気になってほっとしている。母親と再会して立派な成獣に育ってほしい」などと話した。
 クロウサギは体長約30センチ、体重約2キロの幼獣。2月26日午後2時ごろ、同集落の山沿いにある畑近くの排水溝の中でうずくまっていた状態で発見された。犬に襲われて負傷したとみられている。
 右後足首と背中を負傷していたため、地元の自然愛好家を通じ天城町の獣医師らの指示を得ながら看護。傷を消毒し、体を温めながらサトウキビやススキ、ハクサイなどを餌として与えると次第に元気を取り戻した。
 政さんによると、午前4〜5時ごろに特に活発に動いていたそうで、入れていた段ボールから逃げ出そうとしたので、大き目の段ボールに移し替えたという。
 クロウサギは1日午後8時すぎ、地区住民や保護に携わった人ら10人ほどが見守る中、政さんが発見場所近くでそっと離すと、ピョンピョンとゆっくり小さく跳ねながら山中に消えていった。

沖永良部サイトがオープン―しーまブログから発信

 奄美群島のブログ(日記風サイト)を集めた情報サイト「しーま」は1日、地域別カテゴリ内の沖永良部島ページ「がんばる島ブログ」をグランドオープンさせた。地元在住の管理人を置くことでトップページを島独自のコンテンツ(内容)に刷新。事務局は「個性を引っ張り出し沖永良部の色を出したい」と話している。
 2周年記念イベントの一環で2月29日には徳之島の「わいどブログ」もグランドオープンした。1日は深田小次郎編集長、事務局の深田剛さん、沖永良部島管理人の入佐帥光さんが和泊町で会見した。
 しーまに登録されたブログ約2300のうち、沖永良部島関連では約200のユーザーがいる。従来のトップページは奄美大島中心の情報が掲載されていたが、今回のリニューアルで沖永良部独自の内容に変更。ブログランキング、店舗紹介など、より地域に密着した情報を充実させる。
 深田さんは「『群島を一つに』というテーマでしーまを立ち上げたが島々によって考え方や熱気、勢いが違う。細分化すればするほど活性化すると気付いた」と説明。入佐さんは「和泊、知名両町から情報を発信し沖永良部の色を出していきたい」と意気込んだ。

宇検村初の観光大使―FMテーマ作曲の石野田さん

 宇検村役場で1日、同村初となる観光大使の任命式があり、エフエムうけんのテーマソングを地元の子どもたちと作ったシンガー・ソングライター石野田奈津代さん(31)=東京都神津島村出身=に元田信有村長が委嘱状を手渡した。観光大使の任期は無期限。石野田さんは今後、同村の観光・地域振興を目的に対外的なPR活動を行っていく。
 石野田さんと宇検村との縁は、2009年度から2年間続いた文化庁の「言葉」について考える体験事業で同村の久志小中学校に石野田さんが派遣されたのがきっかけ。同事業で石野田さんと同校の児童生徒が一緒に「I Love 宇検村」を作り話題となった。同曲はエフエムうけんのテーマソングに採用され、石野田さんも毎週番組を担当している。
 11年度から新たに文部科学省の事業で村内小規模校3校(阿室、名柄、久志)の児童生徒と学校ソングも制作。昨年11月の村文化祭で子どもたちと披露している。
 先月6日、村内各種団体の代表が出席して初の観光大使選考委員会があり、満場一致で石野田さんが選出された。
 任命式では、元田村長から石野田さんに龍郷柄の大島紬の法被や観光大使の名刺が手渡された。元田村長は「宇検村はこれまで観光にあまり力を入れてこなかったが、これからは対外的に観光をPRしていきたい」とあいさつ。石野田さんは「最初は宇検村に何度も来るようになるとは思っていなかった。来るたびに人が温かくて好きになっていった。頂いた法被に恥じないよう、これから宇検村のことを一生懸命PRしていきます」と笑顔で語った。

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