再録・時代を駆ける:山中伸弥/2 「スーパーマンになれ」(2011年9月22日掲載)

2012年10月08日

1985年、神戸大時代に所属したラグビー部の練習で一息つく山中伸弥さん=京都大iPS細胞研究所提供
1985年、神戸大時代に所属したラグビー部の練習で一息つく山中伸弥さん=京都大iPS細胞研究所提供

 ◇SHINYA YAMANAKA

 《姉弟の2人きょうだい。両親は、東大阪市でミシンの部品を作る町工場を営んでいた》

 共働きでね、とても忙しかったので、僕は基本的にほったらかしというか。鍵っ子ですから、やりたいことは何でも好きにさせてもらえました。あまり塾に行った覚えもない。虫(を捕る)よりは何か作ったりする方が好きな子どもでした。

 父は経営者ですけど、技術者としての姿が目に焼き付いています。(製品を)やすりで削ったりとか、最後の方まで自分で工夫してやっていましたから。自分も研究者ですけど、どちらかというと技術者の血の方が強い。技術をどんどん開発する方が合っているような気がします。

 《中高一貫の大阪教育大付属天王寺中・同付属高天王寺校舎での学生生活は充実していた》

 わりと自由な校風でした。何人かの先生に「スーパーマンになれ」とよく言われました。勉強だけできても駄目だと。それがすごく体にすり込まれています。(中学から始めた)柔道を一生懸命やっていましたし、高校の時は「枯山水」というフォークバンドを組み、学園祭に毎年出ました。

 その経験が、研究を始めてからすごく生きて。米国でポスドク(博士研究員)をした時は、どうやってひとの3倍くらい研究するかと考え、実行するのが快感でした。研究室の実験機械を全部予約して、違う条件で一気に実験したこともあります。もちろん空いているのを確かめてやったんですが、まあ独り占めしているわけですから、ひんしゅくを買いましたね。

 《柔道や、神戸大医学部時代に打ち込んだラグビーでは、けがが日常茶飯事》

 一番の重傷は大学で膝の靱帯(じんたい)を切ったことですが、それ以外にも鼻や足の指、手首など骨折だけで10回以上しているんですね。その度に整形外科のお世話になりました。中学生の頃から父に「医者になれ」とずっと言われていたこともあり高校2年くらいの時には「整形外科医になろう」と思っていました。大学3、4年ごろには、スポーツ外傷を治す専門医になるというはっきりしたビジョン(目標)ができました。

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 聞き手・須田桃子/

 ■人物略歴

 ◇やまなか・しんや

 京都大iPS細胞研究所長、同大教授。49歳(写真は85年、神戸大で所属したラグビー部の試合中一息つく山中さん=同研究所提供)

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