以後、氏は「紅い花」「西部田村事件」「長八の宿」「二岐渓谷」「オンドル小屋」と矢継ぎ早に発表していく。もはや私は驚嘆する以外にはなかった。毎月のように手渡された作品には、優しさや暖かさが今まで以上に加味された。私達つげファンは日常の会話の中にまで「旅もの」セリフを放り込んでは楽しんだ。
もちろん「旅もの」ユーモアの背後には“暗い現実”が露出しており、つげ作品の本質に大きなな変化はなかったのだが、「旅もの」が多くの読者を魅了することで、方向転換を余儀なくされるかなあ、という危惧を少しは持った。もしかすると、私は遠まわしの言い方でつげ氏にそんなことを言ったような気がする。たまには「沼」や「李さん一家」や「海辺の叙景」のような硬質な作品を描いて欲しい、と。
「二岐渓谷」や「オンドル小屋」を描き継いでいた頃のことだ。学芸書林という出版社から「現代文学の発見」というシリーズの小説集が出ていた。そこには忘れられた作家を含む、鋭い光芒を放つ戦前・戦後の文学作品が収められていた。それらの作品についてつげ氏と語り合ったことがあった。ある日、氏は突然、
「抽象的なマンガを描いてはいけないですかね。」
と尋ねた。私は、「沼」だって「山椒魚」だってとりようによっては極めて抽象度の高い作品だと思う、と答えた。しかし氏が頭に描いているのはもっと進んだ作品らしかった。
「植谷雄高さんの『虚空』だかに非現実的な場面が出てくるんですね。そんなシーンをマンガで表現してはいけないんですかね。」
とも言った。
「女の子が深夜に裏道を歩いてくるんですね。それを青年が二階の部屋から見下ろしているんです。青年の窓の下を通り過ぎたとたん、女の子の首がガクッと折れて、顔が空を見上げるんです。」
氏がこだわる非現実的な光景には、ある種の暗さとエロティシズムが混在していた。
1968年の春に『ガロ』の増刊として「つげ義春特集」を出すことになった。旧作ばかりでは売行きに不安がつきまとったので描きおろしを収録することにした。だが、新作はいっこうに進まなかった。時に氏は観念的な作風を示した筋立てを話し終わったあと、
「こういう作品を描いてもあんまり意味はないかも知れないね。」
とつぶやいた。それは「沼」や「チーコ」を発表した後の読者の否定的な反応を思い出しての言葉だったのだろうか。
「旅もの」を発表し続けている頃だったと思う。『ガロ』にアンケート用紙がはさまれ、好きなマンガ家の統計がとられた。
白土三平、水木しげるの順位は予想どうりだが、その後には手塚治、石森章太郎、永島慎二の名があり、勝又進、つりたくにこ、楠勝平がそれに続いた。つげ義春は十番目前後であった。指摘を待つまでもなく、アンケートに答える読者の大多数は若年層であるから、読者全体におけるつげファンはさらに数パーセント上積みしてもいいだろう。だが、
「つげ義春のような無意味な暗い作品は載せないでほしい」といった感想が添えられた葉書は一、二枚には留まらなかった。当時マンガは楽しいもの∞おかしいもの≠ナなければならないという観念がまだ支配的であったからだ。
「ねじ式」の構想を聞いたのはそのような状況の下でであった。最初の段階では、もっと地味な内容だったのだが、夢をヒントにしたらしいその物語は孤独の恐怖を伝えて余りあった。
「血管をネジで止めるなんていうのは現実ではあり得ないことだから、描いていいのかどうか迷っているんですよ。」
と心細そうな顔で語った。
その頃のつげ氏は、水木プロに近い薄汚いラーメン屋に接したボロボロの木造アパートに住んでいた。四畳半の部屋には小さな本棚と机があるだけだった。「ねじ式」はその部屋で生まれた。私は「ねじ式」の発想の自在さに舌を巻き、誰が何と言おうと構わないからその作品を描き上げて欲しい、と訴えた。だがつげ氏は再び、
「こんなの描くのはまずいんじゃないかなあ」
と繰り返した。マンガ界全体を見渡したとき、氏の心配と動揺が理解できないわけではなかった。私はこの作品も発表されないで終わるのかもしれない、と半ばあきらめていた。
『ガロ』五月増刊への描き下ろしは間に合いそうになく、急遽六月増刊に変更した。連日の催促の末に、氏は「ねじ式」の原稿を携えて青林堂にやってきた。
私は原稿を前にして圧倒されていた。その何日か前に断片的な画像は目にしており、シュールな作品の完成が間近いことは薄々気付いていたのだが、これほどまでに派手な作品になるとは思ってみなかった。そして、「ねじ式」こそは旧来のマンガ観を木っ端みじんに粉砕するだろうと思った。
私は作者の想像力のダイナミズムにあらためて感動していた。だが、忘れてならないことは、「ねじ式」と前後して「ほんやら洞のべんさん」が描きつがれたということだ。私の記憶に間違いはないと思うが、「ほんやら洞のべんさん」は「ねじ式」の一週間後に原稿を受け取った。この作品は「西部田村事件」と並んで「旅もの」の秀作である。そして、私はこの作家の表現者としてのバランス感覚の見事さに言葉を失っていた。
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