広島城天守閣・三代の歩み
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広島城天守閣・三代の歩み

●国宝だった初代
 天正17(1589)年に毛利輝元が築城。以後、福島氏、浅野氏が城主を勤め、江戸時代が終わるまで、広島城の本丸御殿を中心に広島の政治が行われる。当時の天守閣は普段使われることはなく、物置として使用されていたらしい。
 江戸時代の天守閣には東と南に3層の小天守が建つ連結式の天守閣であった。明治時代初頭に小天守は取り壊され、その後広島城内に軍の施設が置かれた。天守閣は非公開であったが、昭和3(1928)年に市民に開放され、昭和6(1931)年に国宝に指定された。
 昭和20(1945)年、原爆投下で天守閣は倒壊し、他の建物も壊滅する。

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国宝の天守閣(絵はがきより)

●短命だった木造の二代目
 昭和26(1951)年、第6回国民体育大会の協賛事業、体育文化博覧会の開催に伴い、仮設天守閣を再建。内部は「郷土館」として利用。国体終了後、取り壊す。

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二代目天守閣と博覧会の呼び物だったスイッチ・バック・レールウェイ(写真提供/藤本博光氏)

●復興とともに再建された三代目
 昭和33(1958)年、広島復興大博覧会の第3会場として、天守閣を再建。総工費約3600万円。広島の歴史と風土、自然を学ぶことができる「郷土館」として開設。

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再建中の三代目天守閣(写真提供/向坂辰夫・輝江氏)

 天守閣の整備と展示の更新のため、5カ月あまり休館し、築城400年にあたる平成元(1989)年4月15日、新たに歴史博物館「広島城」として開館。

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広島復興大博覧会のポスター

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