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2010年6月19日朝日新聞夕刊紙面より
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岩木山のふもとには「青い山脈」の歌詞の碑があり、遠く白神山地の山々が望める=青森県弘前市で、平出写す

戦時の規律と死の影から解き放たれた昭和22(1947)年、男女の自由な交際から民主主義の姿までを描いた新聞小説「青い山脈」の主人公に、青森県弘前市の元教員佐藤きむさんは自らの青春を重ねたという。当時14歳。父が新聞を明け渡すのを待ちかね、一文字ひと文字、吸収するように読んだ。「昨日より今日、今日よりも明日……。日々、世の中が明るくなり、楽しくなる空気が描かれていました」

その2年前、佐藤さんは旧制女学校に入学。しかし食糧難から、授業は開墾にかわり、ジャガイモを育てるために山に入る日が続いた。住んでいた青森市は7月末に米軍の空襲を受け、多数の犠牲者が出た。佐藤さんも自宅が焼かれ、焼夷(しょうい)弾で脚にやけどを負った姉とともに、家族4人で逃げまどった。

弘前出身の作家石坂洋次郎が朝日新聞に「青い山脈」の連載を始めたのは、憲法施行からほぼ1カ月後のこと。石坂は、小説の中で「民主」という言葉を約20回登場させ、「新しい憲法も新しい法律もできて、日本の国も一応新しくなった……それらの精神が日常の生活の中にしみこむためには五十年も百年もかかる」と若い校医に言わせる。

石坂文学の資料などを収める弘前市立郷土文学館の舘田勝弘さんは「敗戦の虚無や社会の混乱のなか、『青い山脈』は国民の前に登場した民主主義の伝道師の役割を果たした」と話す。

小説は出版されベストセラーに。2年後、原節子や池部良らが出演する映画が封切られ、2週間で500万人を動員した。「古い上着よさようなら」で知られる主題歌が刻まれた碑が、岩木山山麓(さんろく)の公園に立つ。そこからは、地元で「青い山脈」と考えられている白神山地が遠く望めた。

あのとき

戦後の「奔流」とらえた小説

「青い山脈」は朝日新聞が戦後、再開した最初の新聞小説。昭和22(1947)年6月9日から10月4日まで連載された。作者は石坂洋次郎(1900〜86)。2010年4月に亡くなった井上ひさしさんが「恋愛物は、昭和七、八年頃から一切おさえられてしまった。そういう流れが戦後になって奔流のごとく戻ってきた」と評した作品だ。

物語は、地方都市の女学校を舞台に、男女が自由、平等に交際することが当たり前だと考える主人公の女性教師や女生徒、校医らと、その考えに反対する理事長らのグループとが対立する展開。夫婦や民主主義のあり方を示している。昭和24年に前編、後編のほか、同63年までに4回映画化されている。

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