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韓国の自動車産業及び
市場動向とその将来展望

呉 在
[東京大学大学院 経済学研究科 リサーチアソシエイト]

1.韓国自動車産業の概観

 1980年代半ばから10年間は韓国自動車産業にとって黄金期とも言える時期であった。対米輸出市場の開拓による大量輸出の開始、モータリゼーションの進展に伴う国内需要の拡大、車種のフルラインアップ化、少量生産から量産体制への移行などがこの短い期間で実現された。
 しかし、バラ色に見えた韓国自動車産業の将来は、90年代半ばから始まった内需の停滞と、その後に突発した通貨危機により、大きく変化するようになった。
 まず、史上類例のない業界の大再編が行われた。通貨危機の以前に5グループ・9社であった組立メーカーは2000年の時点で3グループ(現代、大宇、ルノー・三星)5社に再編された。
 次に、この再編過程で初めての外資系組立メーカーが誕生した。以前にも海外メーカーの資本出資はあったが、経営権を確保したのは今回のルノーによる三星自動車の買収が初めてである。また、大宇自動車もGMなどに売却されると見られ、将来民族系は現代グループだけとなる可能性が高い。
 最後には市場開放である。87年から市場開放政策により完成車の関税は年々下がり、95年から先進国並みとなったが、日本車は輸入禁止となっていた。これが99年7月時点で完全撤廃され、韓国市場で日本車を含めた輸入車のプレゼンスが高くなっていくのは必至である。

2.韓国自動車市場の動向

 韓国自動車産業は、85年から10年間の「急成長期」を経て、95年ごろから「停滞期」に入り、98年には通貨危機に伴って「不況」に落ち込んだ。99年から予想以上の「回復」ぶりを見せたものの(図1)、2001年から景気沈滞が始まり、自動車生産・販売も再びマイナスに転じる可能性もある。

(1)通貨危機以前の動向
 まず、国内生産の動向を見ると、生産台数は、84年の26.5万台から94年は230万台に達し10倍近くも伸びた。この10年間で年平均20%以上も伸び続けたことになる。95年には250万台以上を生産し、世界第5位の自動車生産国となったものの、その後の伸長率は1桁水準に低下し、97年にはほぼゼロ成長となった。
 このような生産の停滞は内需の減少が主因である。国内需要は85年から93年までの9年間で年平均24%くらいの成長を続けたが、94年から急減し、95年にはゼロ成長、97年にはマイナス(−8%)に転じた。87年ごろに始まった自動車普及の伸びが10年足らずで終わったのである。
 この背景には、90年代前半に9%以上で推移していたGDP成長率が94年度から8〜6%台に低下したことがあるが、しかし、それよりも、自動車市場が成熟化してきた要因のほうが大きい。93年を基点に代替需要(48%)が新規需要(47%)を初めて上回るようになり(残り5%は追加需要)、94年には代替需要が57%にのぼり、新規需要(40%)と追加需要(3%)の割合はさらに低下してきた。すなわち、普及の急伸が短期に終わったのは、新規購入者の裾野がそれほど広がらなかったためである。
 90年代後半にはこのような市場の成熟化に伴い、自動車の市場構造にいくつかの変化が現れた。そのひとつは、乗用車の需要が下位車種から上位車種へシフトしてきたことである。
 図2を見ると、90年代初期に過半数を占めていた小型クラス(1300〜1600cc)は90年代後半には20%以下に低下し、中型クラス(1800〜2500cc)は20%以下から30%以上に増加している。これは既存の購入者が代替購入の際、より上位の車種を購入するようになったことによると見られる。
 もうひとつの特徴は、車種の多様化である。比重の小さかった軽車(〜800cc)とRV車種が98年からは合計で40%程度までに急増し、セダン中心の需要構造が大きく変わった。これはユーザーのニーズが多様化してきたことを示すものである。
 ただ、98年を前後して需要構造が大きく変わったのは、通貨危機による景気悪化も起因している。特に、ウォン貨は1ドル850ウォン以下からIMF危機以降、1ドル1,400ウォン以上(一時1,800ウォンまで)へ大幅に切り下げられ、ガソリン価格が高騰したことが大きい。これまで韓国ではあまり売れないと見られていた軽車がこの時期に爆発的に売れたのは燃料節減心理が働いたからである。しかも、低燃費・省エネルギーが外貨節約につながり、それが愛国になるという認識が拡散されることにより、軽車ユーザーに対する態度も変わってきたことはおもしろい。
 また、RVの急増は、ディーゼルやLPGエンジン装着のRVが人気を浴びたからである。ディーゼル燃料はガソリンより安く、税金が低いLPGも格安であったため、この種のRVに需要が集中した。特に、起亜自動車はこの車種をいち早く投入することで市場を先占し、経営破綻からの回復のきっかけとなった。
 一方、輸入車は、88年に乗用車の輸入が全面自由化された。その関税も88年の30%から徐々に下げられ、95年以降一律8%となった。ただ、日本からの輸入車はいわゆる「輸入多変化制度」により禁止されていたが、99年7月に完全撤廃された。
 このような自由化により、輸入車の販売は徐々に増え、96年に1万台を超えるようになったものの、国内需要の1%にも満たない水準である。それは、輸入車が高級車に集中していたことや、国内の販売チャンネルを構築せず、輸入業者だけに販売を依存していたことなど輸出側の要因もあるが、非関税障壁というべき外国車に対する韓国国民の根強い拒否感情も少なからず作用した結果である。こうした心理はIMF危機時に増幅され、98年の輸入車販売が2,000台へと落ち込んだ原因のひとつとなった。

図1 韓国の生産・国内販売・輸出の動向

資料:韓国自動車工業協会『2000年韓国の自動車産業』

図2 乗用車のセグメント別市場シェアの推移

注1:「軽」は〜800cc、「小型」は1300〜1600cc以下、「中小型」は1600〜1800cc以下、「中型」は1800〜2500cc以下、「大型」は2500cc以上を示す。
 2:輸入車は「大型」に、スポーツカーは「中小型」に含まれる。
資料:韓国自動車工業協会『韓国の自動車産業』各年版


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