vol.22 神器各論B八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)
八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)は三種の神器のひとつです。宮中に祀られている神器の内、八咫鏡(やたのかがみ)は火災によって失われ、また草薙剣(くさなぎのつるぎ)は壇ノ浦(だんのうら)の戦いで海中に失われました。現在宮中に祀られているこれら二つの神器は少なくとも一度は作り直されたことがあります。
しかし、八坂瓊曲玉だけは一度も失われていません。宮中に祀られている三種の神器の内、最も古い由来を持つ神器といえます。
(ただし、現在、八咫鏡の実物は伊勢神宮に祀られていて、また草薙剣の実物は熱田神宮に祀られているとされていますが、これらが滅失したという記録はありません。宮中にある八咫鏡と草薙剣は形代(かたしろ)(レプリカ)とされていますので、滅失したといわれるのは、いずれも形代の方であり、三種の神器の本体は三つとも失われずに守られているのです。)
現在、八坂瓊曲玉の実物は、草薙剣の形代と共に皇居・新吹上御所の「剣璽の間」(けんじのま)に大切に奉安されています。
『古事記』『日本書紀』の記述によれば、八坂瓊曲玉の起源は天照大御神(あまてらすおおみかみ)まで遡ることになります。
記紀に初めて八坂瓊曲玉が登場するのは、伊邪那岐神(いざなきのかみ)に地上を追放された須佐之男命(すさのをのみこと)が姉である天照大御神に会うために高天原に上ったときのことです。
天照大御神は「高天原を奪いにやってきたのではないか」と弟を疑い、そのために両神は誓約(うけい)という占いをやりました。
このとき天照大御神は須佐之男命が持っていた剣から女神を生み、また須佐之男命は天照大御神が持っていた八尺勾?(やさかのまがたま)から男神を生みました。(詳しくは第21回「アマテラスとスサノヲ」参照)
また、記紀には天照大御神と須佐之男命の誓約の後、別な形で再び曲玉が登場します。高天原で須佐之男命が余りにひどい乱暴を働いたので、天照大御神はそれに怒って天石屋(あめのいわや)(高天原にある洞窟)の中に引き籠もってしまいます。
天照大御神を天石屋から出すために、いくつかの方策がとられますが、このときに三種の神器の内、鏡と曲玉の二つが作られたのです。八尺勾瓊を作ったのは玉祖命(たまのおや)であることが記されています。
誓約のときに使われた天照大御神の曲玉と、天照大御神の石屋隠れの際に作られた曲玉の関係は、記紀には何も書かれていません。そして、これらの曲玉と、宮中に奉安されている八坂瓊曲玉との関係についても何も書かれていません。
しかし、いずれにせよ高天原の天照大御神周辺にあった曲玉が、八咫鏡と草薙剣と共に邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨によって葦原中国(あしはらのなかつくに)(地上のこと)にもたらされた八坂瓊曲玉と考えられます。
なぜなら、誓約のときに天照大御神の曲玉から生まれた五柱の男神の内の一柱は、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)で、その息子が邇邇芸命だからです。
三種の神器は、邇邇芸命が地上に持ち込んだのですから、邇邇芸命の父親が天照大御神の曲玉から生まれたというのは、納得のいくはなしではないでしょうか。
邇邇芸命が持っていた三種の神器はそれぞれ別々の経過を辿って、現在は別々の場所に祀られています。鏡と剣には形代が作られた逸話が伝わっていますが、曲玉についてはそのような逸話はありません。
邇邇芸命のひ孫が、初代天皇といわれる神武天皇(じんむてんのう)ですから、邇邇芸命の持っていた八坂瓊曲玉は代々子孫に受け継がれ、神武天皇を経由して現在の皇室に伝えられたことになります。
結論的には、邇邇芸命の持っていた三種の神器は、平成の御世において、八咫鏡の実物は伊勢神宮に、草薙剣の実物は熱田神宮に、そして八坂瓊曲玉の実物は皇居・吹上新御所の剣璽の間に、それぞれ滅することなく奉安されているのです。
ですから、宮中に伝わる三種の神器は、八咫鏡と草薙剣は形代なので、八坂瓊曲玉だけが実物であり、天照大御神の曲玉そのものなのです。
八坂瓊曲玉を収めた箱は「璽筥」(しるしのはこ)と呼ばれています。第95代花園天皇(はなぞのてんのう)の日記には璽筥について記述があります。
それによると、箱には鍵がついていて、青絹(しょうけん)で包まれ、四方から紫色の紐で結ばれているといいます。青絹は傷んでも取り替えずに、その上から新しい青絹で覆うことになっていて、また箱は決して傾けてはいけないそうです。
三種の神器はその所有者である天皇ですら実見は許されないため、八坂瓊曲玉の本体がどのような形状をしているかは全く知られていません。しかし、歴代天皇の中には好奇心が旺盛な天皇もいらしたようです。
第63代冷泉天皇(れいぜいてんのう)が八坂瓊曲玉を見ようとしたときの記録が残っています。璽筥を開けるために紐を解いてみると、白い雲のようなものが立ち上り、それに恐れおののいた冷泉天皇は見るのを止めたといいます。
また第84代順徳天皇(じゅんとくてんのう)が璽筥をゆすってみたところ、中で鏡一個ほどのものが動いたと伝えられています。
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