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【正論】宗教学者・山折哲雄 昭和の日に「国のかたち」を思う

2010.4.29 03:05
このニュースのトピックス正論

 戦前の昭和天皇の時代、4月29日の天皇誕生日は「天長節」と呼ばれていた。それが戦後になり、「国民の祝日に関する法律」の制定にともない、正式に「天皇誕生日」となった。やがて天皇崩御のあとをうけて「みどりの日」と変わり、平成19年からは「昭和の日」と改められた。今年は、そのときから数えて4年目を迎える。

 ≪デモクラシーからめて論議≫

 この時代の移りゆきのなかで、皇室の歩みも変容のあとを刻んできた。それが象徴天皇制のあり方にさまざまな形で影響を与えてきた。ここではその象徴天皇制の現在、といったことを念頭において若干の問題をとりあげ、昭和天皇をしのぶよすがとしたい。

 今日の象徴天皇制の基礎が、戦後の新しい憲法の理念のもとにつくられたことは周知のことだ。もっとも、戦後まもなくのころは昭和天皇の戦争責任の問題がとりあげられ、天皇は「退位」して責任をとるべきだとする意見があった。

 また、そもそも天皇制は、たとえ新憲法下にあっても占領軍によって導入されたデモクラシーと矛盾するものではないかと考える人々がすくなくなかった。そのような懸念や批判が、社会の底流には色濃くのこっていたと思う。

 ≪緊張関係から穏やかなものに≫

 一方、この新憲法の理念を制度化していくプロセスでは、天皇による「人間宣言」が発せられ、戦前からの「国家神道」を解体する政治的な動きが強まっていた。「政教分離」の政策が推しすすめられるようになったのである。この政教を分離すべしとする声のなかには、戦後の象徴天皇制といえども、時代の新しいイデオロギーとして登場してきたデモクラシーとは政治理念の上で分離しておいた方がよいとする考え方が横たわっていたと思う。世間の大きな流れもその方向に傾いていたのではないだろうか。その意味において、戦後になって誕生したばかりの象徴天皇制は、まだ戦前の旧天皇制の残影を引きずっているようなところがあった。

 ところがどうであろうか。このような敗戦直後における象徴天皇制とデモクラシーの関係は、戦後半世紀の歳月をへて、大きな変化をみせるようになったのではないだろうか。昭和天皇による全国ご巡幸、現天皇と美智子皇后のご成婚など、皇室の側からする開かれた天皇ご一家のあり方が国民の前に示されたことも、大きな変化を告げるきざしとなった。そのうえ、世界情勢の進展とともに、戦前のことを知らない新しい世代が登場してきたということも重要な契機になったにちがいない。ともかくも気がついてみれば、象徴天皇制とデモクラシーがこの国の政治・外交上においても、われわれの生活感覚の面においても相互補完的な安定軌道にのりはじめていたのである。

 いうところの戦後民主主義と象徴天皇制が、かつての矛盾をはらむ緊張関係から調和のとれた穏やかな関係へと推移していたといってもいいだろう。戦前の「国家神道」にみられる「政教一致」的なものへの復帰を疑わせるような懸念が払拭(ふっしょく)され、戦後的な「政教分離」を担保する象徴天皇制への軌道がしかれるようになった。そして日本の「国のかたち」がそのような方向でしだいに浮かび上がってくるようになったとき、象徴天皇制にたいする国民の安定的な支持もしだいに広がりはじめたとみることができるのである。

 ≪象徴家族と近代家族の役割≫

 けれども、そのような情勢の変化にともなって、新しい困難な課題が生じてきたことも認めないわけにはいかないのではないか。皇室にとって避けて通ることのできない、もう一つの危機的な状況である。一口でいえば、皇室にはそもそも、「象徴家族」としての顔と「近代家族」としての顔がいわば二重構造の形で植えこまれてきたということだ。その二つの顔をどのようにバランスさせるか、という困難な課題である。

 もちろん象徴天皇制の核となるものが、皇室の「象徴家族」としての役割にあることはいうまでもない。だがそれと同時に、もう一つの「近代家族」的な理念と心情を支えていたのが戦後民主主義の流れであったことも忘れてはならない点である。そしてこの問題こそ、さきにふれたように戦後における象徴天皇制と新しく導入されたデモクラシーとをどのようにバランスさせるかという課題と深くかかわっていたのである。

 この二つの異なった「家族」像を内面的に結びつけるための回路として重要な役割をはたしてきたのが、今日「宮中祭祀(さいし)」という名で語られる皇室の伝統的な行事だったのではないだろうか。和歌を詠み、書や写経に親しむ奈良、平安以来の伝統をはじめ、祖神としての伊勢神宮へのご参拝や皇室の菩提寺へのご参詣など、神仏への敬虔なご奉仕もまた、この「宮中祭祀」のあり方と切っても切れない関係にあった。われわれは今、「象徴」の意味をあらためて柔軟に考え直していくときにきているのではないか、と私は思う。(やまおり てつお)

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