早い話が

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早い話が:韓国併合の論理=金子秀敏

 今年の上半期、韓国の李明博(イミョンバク)大統領が来日するはずだ。日韓首脳相互往来の順番だからである。今年は「韓国併合に関する条約」調印から100年なので、大統領は首脳会談で植民地の時代に言及するだろう。その時、鳩山由紀夫首相の発言も注目される。

 大日本帝国が大韓帝国を併合したのは1910年8月。併合条約の第1条は「韓国皇帝陛下は」で始まる。以下、「韓国全部に関する一切の統治権を」「完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」と続く。第2条は「日本国皇帝陛下は」で始まり「譲与を受諾し」「全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」となっている。

 韓国が自分の国を譲りたいと申し出たので、日本が承知したという構図だ。まるで「古事記」の「国譲り」神話のようだ。譲与のはずはないが、条約の起草者は、併合強要を正当化したくて、日本人には平和的なイメージが強い国譲りという形式を思いついたのではなかろうか。

 韓国人はまったく納得していない。条約に調印した首相、李完用にはいまだに売国奴のレッテルが張られている。

 実は、古事記の国譲り神話も平和的な出来事ではない---高天原のアマテラスが息子のアメノオシホミミに「葦原(あしはら)の中国(なかつくに)」を統治せよと命じた。その国の支配者はオオクニヌシである。高天原から前後2回、使者がオオクニヌシのもとに向かうが、接待攻勢でからめとられてしまう。

 そこで武力行使を決断し、雷神タケミカヅチを派遣する。出雲の国に降臨したタケミカヅチは、剣を抜いてオオクニヌシに国譲りを迫る。オオクニヌシと息子のコトシロヌシはしぶしぶ応じる。もう一人の息子、タケミナカタとは戦いになった。敗北したタケミナカタは信濃の国の諏訪まで逃げ、そこで命ごいをした。(西郷信綱「古事記注釈第三巻」ちくま学芸文庫より)

 外交と武力行使のプロセスは、韓国併合にもあてはまる。静岡県立大学の小針進教授によると、日韓併合100年について韓国マスコミの元日社説は冷静な論調だった。ただし、併合条約の調印が8月。毎年、韓国のナショナリズムが燃え上がる建国記念日も8月。「ジェットコースターのような」と小針氏が言うように韓国世論の振幅は大きい。だから、鳩山首相はいまから日韓会談での一言をよく練っておかなければならない。(専門編集委員)

毎日新聞 2010年1月28日 東京夕刊

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