2008年7月号/細野不二彦先生

細野不二彦先生は山田貴敏先生からのご紹介です
 今月は山田貴敏先生のご紹介で細野不二彦先生を訪問しました。
 学生時代にスタジオぬえに入り描き下ろした「クラッシャージョウ」はいまもなお人気のある作品。大学4年時に小学館『少年サンデー増刊』にて連載をもつやいやな、人気急上昇。その後、美術をテーマにした「ギャラリーフェイク」は第41回小学館漫画賞を受賞し、大人気漫画となりました。
 来年は画業30周年を迎え、読者に将来が希望に満ちている印象を与える作品を描いていきたいと語っておりました。
誕生日
 12月2日
血液型
 A型
最近ハマっている事
 
最近お気に入り、あるいは気になる漫画や作家さん
  
愛用画材
 

▼生まれは…?
 東京都の大田区です。

▼少年時代はどんな少年でしたか?
 子どもたちが遊ぶ娯楽は野球しかなかったんです。だから家に帰ると必然と漫画雑誌を読みつくしていましたね。…特に赤塚不二夫先生、手塚治虫先生、藤子不二雄先生の作品は大好きでしたよ。少年誌が週刊発売され、そんなに年数がたっていなかったので漫画そのものが激しく変化成長していた時代で、心に残る作品がたくさんあります。

▼漫画をいつから描いていた?
 小学生の頃からかなあ…、読むだけではなく、鉄腕アトム、鉄人28号、オバケのQ太郎、あしたのジョーの矢吹丈などを模写したり、パロディっぽいイラストも描いたりしていました。きっと現在の私の漫画のルーツになっています。

▼漫画の道への本格的な動機は?
 漫画を描くことが好きだったので、高校生になるとペンで描いていたりしていました。大学時代も描き続けてはいましたが、大学2年の時に、自分の将来は、就職してサラリーマンになるというコースに、とても違和感を感じてしまい不安だったのです。そんな頃に知り合いのツテでSF作品を中心とした企画イラスト製作スタジオ「スタジオぬえ」を紹介してもらい出入りするようになったんです。そこは新しい世界の話を聞けて面白いし、将来の道に進む参考になったんですよ。ある時、バイトでSFイラスト(当時ボツボツ出ていたSF解説本のイラスト)を描いてごらんと言ってくださったのです。その作品がまあまあの出来栄えだったので、お金ももらえたりして一層面白くなってきたんです。何か自分がやりたい方向に行っているという感じなんですよ。それで大学2年の時にそのままスタジオぬえで仕事をするようになったんです。

▼漫画界への移行は…?
 スタジオで働きながらも漫画を描くことが仕事でしたから、少しは画力がついてきたので、マンガ原稿を持って出版社へ持込をするようになったんです。…ありがたいことに大学4年の時に小学館の『少年サンデー増刊』の「さすがの猿飛」で月刊連載することになったんです。ぬえとの両立は出来ませんから、ぬえは2年で退社して、本格的に漫画の世界へ入ることになりました。

▼連載をもってからどうでした?
 小さい頃に描いていた漫画とは意味が違いますからね、プロの原稿を描かなきゃいけないわけですから、よーし、漫画で生活していくぞー!!≠ニいう気持ちにはなりましたね。ところがまだ力も不充分なのに、編集長から突然に週刊誌でも連載をしようか!!≠チて言われ、えっ?無理です!!≠チて思わず言ったら大丈夫だよ、君だったら出来るよ≠ニ言われてしまったんです。もう目の前の仕事だけで大変だったのに2本の連載を持つことになってしまったんです。週刊誌連載は「どっきりドクター」という作品でしたが、嬉しい反面、当時は連載作家陣に名だたる先生がズラーッといる中で自分だけが新人でしたから、すごいプレッシャーでした。でもプロの漫画家としてスタートしたわけだからもう後には引けない!!やるしかない!!もう漫画と心中するしかない!!≠チて決心したんです。
▼苦労することは…?
 そんなに苦労した覚えはないんですよ。当時サンデーで好評だったのが、丸っこいキャラの描き方をしたコメディーやギャグ作品だったので、私の作品も編集部から言われて意識して丸っこく描いていたんですね。ちょっと苦労したといえばその程度ですよ。でも編集長に藤子先生になりなさい。子どもに好かれるような漫画を目指しなさい≠チて言われたんですよね。オバQやパーマンは大好きでしたし、藤子先生のような漫画が描けたらいいなあとは思っていましたから、練習を繰り返しなんとか丸っこくいった気はしています。

▼青年誌での難しさは?…
 漫画はストーリーのオチとヤマ場がないとお話にならないので、半分ウソでもヤマ場をつくって読者が納得するオチをつくるってところに特に心がけているのです。特に私の作品は読みきりが多いので、その場その場で毎回のシチュエーションにあった山場を意識して作るようにはしていますね。スピリッツで連載した「ギャラリーフェイク」は、美術に関して知らないで描いているところもあるのですが、美術で読者に「あっ」と思わせるようにしかけなくてはとか、それも山場にもってこなければいけないので、それはもう毎回頭の中がパニクッていましたよ。でもそれが楽しいんですよ。

▼作画で意識していることは…? 
 読者に「この漫画はこういうことを伝えている作品なんだ」ということを感じさせられるように意識して描いています。でもそれが難しんですよ。そのための資料を色々と仕入れないといけないですね。自分が好きだったり、面白いと思う映画や小説のストーリーの骨格を生かして、そこにネタをXYみたいに代入するような感じで作り上げる感じですかね。…このストーリーでこのネタを入れたら盛り上がるという感覚は必要かもしれません。ビックコミック系の読者は、そういう知識というか、トリビアというかが入っているととても喜んでいただけるんですよ。でもね、現在連載している「ダブルフェイス」はマジシャンが主人公ですが、マジックって見ることが楽しみで漫画にするもんじゃないなって最近感じてるんです。まずキャラクターがマジックをやって見せないといけないので漫画にするのはしんどいです…
▼キャラクター設定は?
 「キャラクター設定はスタート時点(連載開始)でしておかないといけないですね。もちろん連載しながら作ることもありますが、最初の時点で自分で7.8割できてないとうまくいきません。思いつきのとってつけたような設定はダメだと思います。キャラクターは自分の中で生きていないといけないし、そこに感情移入も出来るといいですよね。そういったキャラクターをつくることが1番の悩みかもしれないですね。

▼漫画家を目指す人にメッセージをお願いします。
 漫画道は後戻りのきかない獣の道です。自分をよーく見つめて決断しましょう。

▼次の先生を紹介してください
 『漫画アクション』で「零戦少女」『イブニング』で「夢幻の軍艦大和」など多方面で活躍されている本そういち先生を紹介します。 本先生はみた目もいい男ですが、話しても楽しい好漢≠ニいうべき方です。難しいテーマの作品に続々挑戦されていて同業者として大尊敬している先生です。


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