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TOP > インタビュー > Vol.1 長谷川 岳 氏 (YOSAKOIソーラン祭り組織委員会 専務理事) > 3/3ページ
2001.06.01更新
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NPOから株式会社へ

今年(2001年)の5月には株式会社yosanetを登記する予定です。この会社の業務内容は、eコマース、教材用YOSAKOIコンテンツの開発販売などで、こうした業務はNPOには馴染まないように思い、株式会社の立ち上げを決めました。1998年にNPOとなったわけですが、自分のなかでは『NPO=シンクタンク』という位置付けです。NPOの活動の延長線上に、株式会社がきたという感じでしょうか。

株式会社yosanetの資本金は5,000万円です。私も500万円出していますが、YOSAKOIソーランを支えてきた商工会議所の議員が主に出資し、役員にも就任します。事業計画段階の受注で、収支は黒字になる予定です。

 

拡大する事業領域 触媒としてのYOSAKOIソーラン

株式会社yosanetを設立する背景には、YOSAKOIソーランの広がりがあります。道内の参加者には、農漁業従事者が多かったのですが、最近は本州でもキャラバン活動を添加していることもあって本州からの参加者も増えてきて、参加者のネットワークが全国に広がりつつあります。祭りで知り合った人同士で、北海道の農産物を本州の参加者に個人的に直販するケースがでてきたりしました。そこで、農漁協以外の販路の構築に一役買いたいと思うようになりました。

また、小中学校の運動会や体育の授業で、YOSAKOIを踊りたいという問い合わせが増えています(すでに導入しているのは900校)。体育だけでなく、音楽の授業でも(演奏する)、美術の授業でも(鳴子を作る)、家庭科の授業でも(衣装を作る)YOSAKOIは使えるので、教材を開発したり、これをインターネットで流す事業を始めようと考えました。SONY、IBMと共同で開発を開始しています。

 

理解者づくり 愚直さが生み出す堅いネットワーク

YOSAKOIソーランが10回目の開催を迎えるまでになったのは、地元企業のトップの理解があったことも大きな要因です。地元企業には参加チームを出してもらうだけでなく、協賛金という資金面や、経理など不得意分野の人材面まで支援してもらってきました。

学生達が集まってスタートした祭りですが、上の年代をどう巻き込むかは重要でした。私の場合は、商工会議所に理解者を作ることができ、その方の存在が企業への架け橋となっている面が強いと思います。

とはいえ、誰も始めから協力的なわけではありません。理解者を増やす方法は、毎日説明に通うとか、愚直さ・しぶとさを訴えることにつきるますね。また、このようにまったく新しいシステムが機能するようになったのは、日本で一番最初に都銀が破綻した街だからでしょう。拓銀の破綻によって、今までのシステムがうまくいかないということに、道民はいち早く気づき、新しいシステムが求められる雰囲気もでてきました。厳しい経済状況が、YOSAKOIソーランという新しい祭り・システムへの理解を生んだのだと思います。

 

地道な事例研究 ねぶたからリオのカーニバルまで

YOSAKOIソーランの特徴である参加者負担の原則は、リスクにも及びます。参加者は、参加費を自分で払うほか、保険などにも保険料を自分たちで負担して加入してもらうシステムです。

こうしたシステムは、YOSAKOIソーランオリジナルではありません。祭りを開催していくにあたって、青森のねぶたや高知のよさこい、秋田の竿灯、スペインの牛追い祭り、リオのカーニバルなど日本じゅう世界じゅうの祭りを参考にしました。リオのカーニバルに行ったときには、現地の友達にマニュアルを20万円で日本語訳してもらいました。

高知のよさこい祭りでは保険なんてかけていませんでしたし、リオのカーニバルでは、参加費から残った利益はコンテストで優秀賞をとったグループに配分してしまうのです。事務局と参加者がいっしょに作りあげている祭りのイメージは、こうしたところから生まれました。

(本文終わり)

編集後記:顔色の明るい、表情豊かな人だなあ…というのが第一印象。祭りの楽しさをプロデュースしつつ、緻密で大胆なマネジメントを展開。インタビューをしているあいだじゅう、この絶妙なバランス感覚に感嘆しました。「ぶっちゃけた話、北海道の冬は暗くて寒くてね。冬に参ったんで、夏には何か明るく楽しいことをしたかったんですよ。」という言葉に、きっかけなんて日常生活に転がっているものなんだな、と思いました (阿部 久美子)

 

 

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