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TOP > インタビュー > Vol.1 長谷川 岳 氏 (YOSAKOIソーラン祭り組織委員会 専務理事) > 1/3ページ
2001.06.01更新
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毎年6月上旬に札幌で開催されるYOSAKOIソーラン祭りは、経済規模200億円以上ともいわれ、いまや「札幌ゆきまつり」と肩を並べる北海道の一大イベント。

2001年で10回目を迎えるこの祭りを運営しているのが、YOSAKOIソーラン祭り組織委員会である。事務局専従スタッフ7人が、ボランティアスタッフや地元商店街と協力して祭りを開催している。

驚くべきは、その財源。昨年の予算2億2,000万円のうち、補助金は札幌市からの300万円、全体の1.5%にとどまる。

補助金に頼らない自主財源を確立し、市民参加型の祭りを作り上げたこのNPOの物語は、すべてのNPOにとって示唆的である。

(文:阿部 久美子)

YOSAKOIソーラン祭りとは?

YOSAKOIソーラン祭りとは、毎年6月に札幌で行われる祭り。高知のよさこいと北海道のソーラン節を融合させて街じゅうを踊りまわるこの祭りの参加のルールは二つ。手に鳴子を持つこと、曲のフレーズにソーラン節を入れること。これで誰もが参加できる。参加チーム10チーム、踊り子1,000名ほどで始まったこの祭りは、学生たちの熱意で、わずか10年足らずで、375チーム、38,000名が参加する、北海道の初夏を代表する大イベントへと成長した。

YOSAKOIソーラン祭り ホームページ: http://www.yosanet.com/yosakoi/

YOSAKOIソーラン開催のきっかけ 街を舞台に踊りたい

北海道大学(経済学部経営学科)2年生のとき、仲間5人で活動を始めました。その前の年に、高知の大学に通う兄を尋ねたときにみたよさこい祭りの印象が強く、それに北海道らしさを加えて、1回限りでいいから参加型のお祭りをやってみようと考えたのです。学園祭の延長として、道内16大学100人の学生が実行委員となって第1回を開催しました。

そのとき、基本となった考え方が3つあります。この基本は、10回目を迎える今も変わりません。

  • 街(=大通り)を舞台に(踊れる場所より踊りたい場所で)
  • 参加したい人が参加し、つくりあげる祭りに(モデルは、参加費を払ってまで参加する人の絶えない高知のよさこい祭り)
  • 大学で学びはじめた経営学を生かす(教授から進められた非営利組織の経営論が参考に。また、自費で購入したドラッカーのビデオ全集も参考に)

私は協賛班長として、1,000万円くらいの協賛金を集めてくる任務にあたりました。仲間内では上下関係はありません。実績だけがものをいうヨコのネットワークであったことが、結果的に実行委員の機能性を高めたように思います。

 

創生 道内キャラバンで道民にアピール

1回限りのつもりで始めたYOSAKOIソーラン祭りですが、参加した踊り子さんにも運営を担った学生たちにも好評で、翌年も開催することになりました。そのまま札幌の夏祭りとして定着していくかに思えたので、第3回の開催からは現役学生にその運営をまかせ、私は地元の物産会社に就職したのです。

ところが第2回には26あった参加チームが、第3回には25チームに減ってしまいました。この頃になると、祭りには道内企業のいくつかが協賛企業として参加していました。そのひとつであった地元信金の会頭から、「学生の無限の可能性に期待したのに、こんなものなのか」とはっぱをかけられたのです。このことばを聞いて奮起しましたね。

会社は辞めて、やるからには、できるだけ多くの人にこの祭りの楽しさを伝えなくてはならないと考えるようになり、第2回、第3回を開催した時期には、さかんに道内キャラバンを行いました。祭りの概要を話した後、ビデオを見て、実際の踊り子が登場する。いかに祭りの楽しさを伝えるかに配慮しながら、最後はみんなに実際に踊ってもらうという感じです。こうしたキャラバン活動の効果があったのか、以後参加者は順調に増えています。

 

拡大 企業・行政を巻き込んで飛躍

4回目(参加48チーム)までは学生の実行委員会のみで運営しましたが、5回目(参加108チーム)から企業や行政を巻き込んだ普及振興会を組織して、運営サイドの強化をはかりました。祭りとしては、この時期が一番不安定だったかもしれません。楽しさを伝えて参加者を増やす反面、いかに運営費を確保し、当日のトラブルを回避するか。日夜いろいろ考えていましたね。

そんな試行錯誤を繰り返すなかで、高知の業者から鳴子の販権を得て北海道における総代理店業務を開始したのです。鳴子が売れれば収入になるというのがその理由ですが、これを参加者拡大に役立てようとも考えていました。鳴子の販売先をみていればYOSAKOIソーランに関心をもつ人をいち早くキャッチできるわけですから、鳴子が売れるたびに購入先まで出向いて、ビデオ・講演・デモの普及活動を実施したのです。北海道中をキャラバン活動した甲斐あって、道民に支えられる祭りとしての定着したと思います。

 

飛躍 NPOの誕生

この頃まで、祭りの運営主体はYOSAKOIソーラン祭り普及振興会という任意団体でした。私は、この団体の事務局長、理事総括プロデューサーとして祭りの開催に携わってきました。この団体はその後、特定非営利活動促進法が施行されたのに合わせて、1998年にNPO法人格を取得しました。YOSAKOIソーラン祭り組織委員会となったわけですが、私はその専務理事という肩書きを得て、現在に至っています。

祭りの参加者も順調に増え、9回目を迎えた昨年(2000年)には、375チーム、3万8千人が参加し、観客動員数は182万人を超えるまでになりました。

 

 
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