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基礎からわかる「福田康夫」遅咲きの常識人自民党の第22代総裁に選出された福田康夫・元官房長官は、福田赳夫・元首相の長男で政界の名門出身だ。しかし、初当選は53歳と遅く、閣僚経験は官房長官だけ。党三役や派閥の領袖(りょうしゅう)の経験はなく、自民党総裁としては異例の経歴といえる。憲政史上初めて親子2代の首相に就任する福田氏の素顔を探った。(政治部 赤津良太、志磨力) 天変地異「平時だったら私が出ることにはならなかった」 福田氏は9月14日、町村派総会で総裁選出馬の決意を表明した際、安倍首相の突然の退陣表明で期せずして出番が巡ってきたことについて、こう語った。 昨年7月、前回総裁選の出馬を断念後、将来自らが総裁候補として担がれる可能性に関して、「天変地異でもあれば」と雑誌のインタビューに答えた。遅い政界入りを理由に「(首相に)ならないことも覚悟している」とも話していた。 政治家としての転機となったのは、2000年10月、森内閣の官房長官だった中川秀直氏が過去の女性問題などを理由に辞任し、その後継として急きょ登用されたことだった。当初は「ショートリリーフ」との見方もあったが、森内閣の後を継いだ小泉内閣でも続投し、在任期間は官房長官として歴代最長の1289日に達した。 福田氏は長官当時、「光而不耀(光ありてかがやかさず)」をモットーにしていた。老子の言葉で、「功があっても現さない」という意味だ。官僚組織を上手に使いながら、的確な判断で懸案を処理。小泉政権では「影の外相」などと呼ばれながら、内政・外交全般で存在感を発揮した。 ユーモアも「常識人」「バランス感覚のある人」。知人たちが口をそろえる福田評だ。そのルーツは17年間の石油会社勤務時代にあるようだ。 当時の同僚は「リスクを伴うオイルビジネスは、100点狙いではなく、65点を最低でも取り続けることが求められる。彼はそれを手堅くこなし、安定感があった」と語る。仕事を通じ、リスクを最小限に抑える危機管理能力も磨かれた。 父親譲りのひょうひょうとした表情と物言いで、ユーモアも巧みだ。 ただ、短気な一面もあり、長官時代には記者会見が長引くと、机を指でトントンたたき、イライラしている様子がありありと表れることもあった。 中身はオヤジよりいい 意地っ張り「そっくり」父・赳夫氏と同じ71歳で首相に就任する康夫氏。「親子宰相」の誕生は憲政史上初だが、2人の政治家としての歩みは大きく異なる。 父の赳夫氏は、旧大蔵官僚で42歳の若さで主計局長に就いたエリート中のエリートだった。47歳で政界に転じ、閣僚や党の要職を多数務めた。福田派の領袖(りょうしゅう)として、「角福戦争」と呼ばれた田中角栄・元首相との激しい権力闘争を展開し、首相の座に上り詰めた。 康夫氏は17年間の会社勤めの後、赳夫氏が首相に就任する約1か月前に秘書となった。以後、首相秘書官などを含め13年間、秘書を務め、赳夫氏の政界引退に伴い53歳で衆院議員に初当選した。当選後、官房長官以外には、政府・与党内で目立ったポストに就いていない。 秘書時代の康夫氏に対し、赳夫氏は「(親子の甘えは許されないと)厳しい目で見ていたと思う。簡単には跡取りにはしなかった」(福田赳夫、康夫両氏の秘書を経験した新井利明・群馬県藤岡市長)という。後継指名の際も、後援会に1年間かけて自ら出向き、賛成をもらって初めて“世襲”を認めた。ただ、康夫氏の初陣では、「男前はオヤジのようにはいかないが、中身はオヤジよりいいかもしれない」と行く先々の講演会場で語り、息子をアピールした。 康夫氏は、父・赳夫氏について「オヤジは公平でまじめ。青臭いかもしれないが、理想の実現に挑戦する人」と評している。 政治経歴は異なる2人だが、「性格は似ている」との見方が少なくない。赳夫氏の首相秘書官として机を並べた保田博・元大蔵事務次官は「物事を高い所から見て客観的な判断ができる。意地っ張りなところもそっくりだ」と語る。 プロフィル【生年月日】1936年7月16日 【出身地】東京都世田谷区 【最終学歴】早大政経学部卒 【身長・体重】171センチ、68キロ・グラム 【血液型】A型 【趣味】クラシック音楽鑑賞。ベルリオーズの「幻想交響曲」をはじめ、シューベルトのピアノソナタなどを好んで聴く。愛読書は特になく、歴史、文化、経済などあらゆる分野を多読 【好物】そば、うどん、カレーライス、肉類、ワイン 【カラオケ】あまり好きではないが、「津軽海峡冬景色」を歌詞を見ないで熱唱することも 【尊敬する人物】江戸幕末・明治の政治家・勝海舟 【座右の銘】勝海舟の「行蔵は我に存す、毀誉(きよ)は他人の主張」(出処進退は自らが決めるという強い自負を表した言葉) 【健康】官房長官辞任後、白内障の手術をした以外は、特に異常なし 【家族】妻・貴代子さんと2男1女。現在は東京都世田谷区の自宅で妻、長女と3人暮らし 【家系】父は福田赳夫・元首相、叔父に福田宏一・元参院議員。越智通雄・元金融担当相は義兄、越智隆雄衆院議員はおい 【人脈】 〈経済界〉奥田碩・前日本経団連会長、今井敬・元経団連会長、荒木浩・東京電力顧問、岡部敬一郎・コスモ石油会長、御手洗冨士夫・日本経団連会長、牛尾治朗・ウシオ電機会長、小林陽太郎・富士ゼロックス相談役最高顧問 〈官界〉小和田恒・元外務事務次官、保田博・元大蔵事務次官、棚橋祐治・元通産事務次官(いずれも福田赳夫・元首相の時の秘書官)。谷野作太郎・元中国大使(小学校の同級生。野球チームで捕手の福田氏とバッテリーを組んだ)。田中均・元外務審議官、岡本行夫・元首相補佐官 〈海外〉ハワード・ベーカー前駐日米大使、武大偉・中国外務次官 【資金力と資産】2006年分の政治資金収支報告書(総務相所管分)によると、福田氏の資金管理団体などが集めた政治資金は計5864万円。06年2月公開の資産等報告書によると、主な資産は自宅の土地・建物など計7646万円で、衆院議員全体では61位 福田新総裁の足跡
貴代子夫人 明るい和服美人夫人の貴代子さん(左、2002年2月18日、ローラ・ブッシュ米大統領夫人と東京・元赤坂の迎賓館で)
夫人の貴代子さん(63)は、桜内義雄・元衆院議長のめい。「結婚当初から『政治家の奥様』という雰囲気」(関係者)があり、腰の低さと明るい性格で福田氏の地元にもすんなり溶け込んだという。長官時代、毎晩のように自宅前で福田氏を待つ記者たちに、冬は使い切りカイロを配ったり、手料理を振る舞ったり、周囲への気配りを欠かさなかった。 2002年にブッシュ米大統領が来日した際、官房長官夫人として、ローラ夫人を明治神宮などに案内した。独身だった小泉首相(当時)の夫人代理を務めた格好で、「和服の似合う美人」として話題を呼んだ。政界では、「ファーストレディーとしての経験、資質は十分」との評もある。 「年寄りと比べないでよ/万能でも辞書でもない」…語録「年寄りと比べないでよ。経験何十年という人と比較されても困るし、そういうことは気にしないことにしています」(1990年2月27日、衆院議員として初登院した際、「2世議員」であることを問われて) 「私個人としては、そもそもゴルフに行くべきでなかったと、こう思っています。(引き留めるには)ツーレイト(遅すぎた)だったんですね」(01年2月14日の記者会見で、「えひめ丸」事故の一報後も森首相がゴルフを続けたことに) 「私は万能でも辞書でもない。(就任前の)昔のことを問われても困る」(01年3月6日の参院予算委員会で、96年1月当時の橋本首相の答弁に関して質問した民主党議員に対して) 「今は憲法改正も(国民の意見として)出てくるのだから、何か起きたり、国際情勢の変化があれば、国民の中に『(核兵器を)持つべきだ』という意見が出てくるかもしれない」(02年5月31日、記者団との懇談で、核兵器を保有しないなどとする「非核3原則」について) 「歴史認識の問題で、正常な形で(日中)首脳会談ができないのは、異常な状態だ」(05年5月16日、衆院予算委員会で小泉首相に質問) 知人、各界の評判は「会社には政治家の子弟も大勢いたが、彼は一般社員と同じだという自覚を持っていた。社宅に風呂がなかった時は一緒に銭湯に行ったし、通勤も電車と地下鉄を乗り継いで行った。 印象的だったのは、彼は入社当初から、鉄鋼や銀行などの業界はこうだ、その中で石油はこういう立場だと、広い視野で物事を語っていたことだ。父親(の福田赳夫元首相)と会話するうちに、自然と訓練されたのではないか。 物事をちょっとひねって言うから、皮肉ばかり言っているように聞こえる。でも、根はまじめそのもの。よく勉強もする。派手なことはできないけど、みんなが安心して任せられる人だ」(丸善石油〈現・コスモ石油〉で入社同期の植松丞・東洋エナジー社長) (2007年9月24日 読売新聞)
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