「くろよん」の達成とその限界――映画館を目指す流れ
佐久間を皮切りに多くのダム建設映画が作られていく。鉄鋼、造船などの記録映画も増えていった。佐久間ダムの成功は、産業映画でも映画館で上映され成功を収められるという期待を、発注者や製作者に与えるようになった。折からシネマスコープなどワイド画面の登場もあって、35ミリ、カラーワイドという高規格の大作も珍しくなくなっていった。岩波映画でいえば、川崎製鉄企画の『新しい製鉄所』(1959)や三菱造船企画の『巨船ネスサブリン』(1961)が代表例であろう。こうした試みは、映画館での上映の機会がないときは過剰投資に終ってしまう。
ダム建設映画に戻れば、大ダムといっても地形などの状況に応じていろいろな形式が選択される。佐久間ダムは、重いコンクリートのダムの自重で水圧を支える重力ダムであった。同じ電源開発が手がけた庄川水系の御母衣ダムは、軟弱地盤に高い堰堤を築造する必要から、土と石を積み上げるロックフィルダムとなった。関西電力が手がけた黒部川水系最上流の黒部第四いわゆる「くろよん」の場合は、軽量で強度の高いアーチ状のコンクリート構造を急峻な左右の岩壁で支えるアーチダムである。
御母衣ダムの建設工事は、間組の委託で英映画社が記録した。『御母衣ロックフィルダム第1部』(1960)等である。
黒部川第四水力発電所、通称「くろよん」の建設工事は、関西電力の委託で日本映画新社による四部作として記録された。
『黒部峡谷−黒部川第四水力発電所建設記録第1部』(1957)は、ダムサイトの原状を「秘境」として紹介し、プロジェクトの課題を明らかにする。
『地底の凱歌−黒部川第四水力発電所建設記録第2部』(1958)は、主要設備がすべて地下化され、峻険な秘境の工事で輸送路として長大なトンネルを用意しなければならないプロジェクトの特長を、困難な地下工事を中心に描く。
『大いなる黒部−黒部川第四水力発電所建設記録第3部』(1961)は、それらを踏まえて発電一部開始までを描く。第3部からシネマスコープとなったのは、やはり映画館での成功を意識してのことであろう。
『くろよん−黒部川第四発電所建設記録』(1963)は、着工から完全竣工までをまとめた総集編である。
多くのダム映画が次々に生まれるなかで、工事記録映画の企画、演出の方法にもさまざまな工夫が凝らされ、映像作品として洗練されたものとなっていった。たとえば日映新社の黒部四部作を佐久間ダムと比べれば、視点を絞ったコンセプトの形成やドラマティックな構成法において明らかな進歩がみられる。それは、カラーフィルムを駆使して大規模建設工事の現場を撮影することそれ自体が大きな挑戦であった段階から、ドラマティックなノンフィクションとしての表現を選択し追求するという段階への進歩であった。
しかし、そうした多くの表現上の達成にもかかわらず、大規模工事が珍しくなくなるにつれて、建設工事という産業的な主題に映画館の観客の心を惹きつけるのは難しくなる。佐久間に感動した観客は、黒部にはより迫力のある見せ場とドラマティックな展開を求める。もともと産業や技術に特段のバックグラウンドを持たない映画批評家の見方は、先ずはエンターテイメントを求める平均的な観客の意識を代表するだろう。
第1部『黒部渓谷』と第2部『地底の凱歌』を取り上げた雑誌『キネマ旬報』の評者は言う。
『黒部峡谷』で「従来のダム映画にはない「秘境」を描ききったのはお手柄である。しかし、つづく第二集ダム建設の描写でもこれだけの迫力がでるだろうか。関係者の健闘を祈りたい」。その第二集、地熱に悩まされ崩落、出水と闘う地下工事を丹念且つドラマティックに描いた『地底の凱歌』だが、「第一部ほどの感激はない。前作を支配した大自然の圧迫感に相当すべきものが違ったわけだが・・・体力的な大力作」という評価になる。工程が進むにつれて、人びとはモチーフにもメディアにも慣れ、結局は自賛が基調になるメッセージにも食傷して、映画館での成功を支える斬新さは衰えていく。[吉原前掲書再録]