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「金」と比すべき商品性丹念な技法で生み出す「熊の胆」 戦前は県外に行商も
◎ 肝臓の付け根付近にある胆のうは、消化液となる胆汁を蓄える袋状の器官である。冬ごもりに備えるクマは11月末ごろまで、ドングリなどの餌を食いだめして活発に消化するため、秋に仕留めても胆汁はほとんどたまっていない。 しかし春、食物を摂取することなく穴蔵で過ごしたクマがはい出るころ、胆のうは一冬で蓄えた胆汁で満杯になっている。秋口にピンポン玉ほどだったそれは、砲丸大に膨れ上がり、胆汁の量はどんぶり1杯分にもなる。 マタギたちはクマを解体する際、臓器を丁重に扱い、胆のうを摘出するとまず、出口を麻糸などで縛る。貴重な胆汁が一滴でも漏れ出さないよう、細心の注意を払うのである。 炉端にぶら下げ、天気が良ければ戸外で陰干しする。3日ほどで外皮は硬くなり、1週間もすると内部の凝固が始まる。こうした状態になればつるす作業は終了だ。
2か月ほどして4分の1ほどのサイズにまで縮む。摘出時の濃い空色は消えうせ、漆黒のような色を帯びる。断面は鉱石のような光沢を放つ。山の神から贈与された生命は、こうして丹念込めて「熊の胆」に生まれ変わるのだ。 強く締めすぎれば穴が空き、せっかくの胆汁がどろどろとあふれ出す。均等に乾燥させるためには、毎日ひっくり返すなど目配りと気配りが欠かせない。「無理して早く乾かそうとすれば失敗する。硬いか柔らかいかの時期が一番難しい」。北秋田市阿仁根子の佐藤国男(84)は、祖父仁三郎の技法を見よう見まねで学んだのだった。 ◎ マタギの里、根子集落では長い間、クマから得た“神秘の力”の恩恵にあずかってきた。湯に溶かした熊の胆をタオルに塗り、打ち身の部分にあてがった。目を傷めても、やはりお湯に溶かして目を洗った。食あたりや二日酔いには、舌根をしびれさせるような独特の苦みがある一かけらを口に含めばよかった。 いつから熊の胆は作られるようになったのか、技法は自力で発明されたのか、伝授されたのか。記録も定説もない。一所に定住しない地元の旅マタギがどこかで学び取り、集落に持ち帰ったという憶説がある程度だ。 しかし一つだけ確かなことはある。肉を食らい、臓器などを集落で振る舞い、数に限りある毛皮だけを里に売り渡していた根子のマタギの経済の中で、小売り可能で「金一匁」に等しい商品性の“発見”は、絶大な価値を意味していたという事実。 第2次大戦前、根子集落だけで6か所もの製薬所があった。ここに持ち込まれた熊の胆は調合され、様々な製品に仕立てられた。マタギたちの多くは製品を携え、主に猟の少なくなる秋から冬にかけ、徒歩で県内外に行商に繰り出していった。 佐藤家では、仁三郎の代には売薬の行商を始めている。父の国五郎は、はるばる岐阜県の白山辺りまで出掛け、地元の猟師を頼りに、クマの胆のうを買い付けたこともあったという。熊の胆の需要は高く、粗悪な模造品が出回るほどだった。それは中を割れば偽物と一目りょう然な、豚の赤い胆のうであった。(敬称略)
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