2004年10月号/旭凛太郎 先生

旭凛太郎先生は一色登希彦先生からのご紹介です

 

 今月は一色登希彦先生よりご紹介の旭凛太郎先生を訪問致しました。
現在、少年画報社「ヤングキング」で『銀輪』を連載中。
三年間のサラリーマン生活を送り、細野不二彦先生に師事。漫画家としての姿勢を学ぶ。たえず読者と密着した熱っぽい作品を描き続けたいと語る。自転車をテーマにした作品制作の影響で、自ら自転車に興味を持ち、仕事の合間に遠出をされている

     
誕生日
   2月13日
血液型

   B型
最近ハマっている事
   筋力トレーニング
最近お気に入り或いは気になるマンガや作家
   「のだめカンタービル」の二ノ宮知子先生
愛用画材
   Gペンと丸ペン、両方使える二股ペン軸


ご出身地はどちらでしょうか?

 新潟県新潟市で生まれました。

小さい頃から漫画を描いていたのですか?

 好きでよく読んでいましたよ。そのうちにやはり描きたくなってきて、中学に入った頃かなぁ…遊び心でわらばん紙にコマ割りして、ホッチキスで止めて本をつくり回覧したこともありましたね。でも漫画より映画が好きで、劇場映画やビデオ映画を見まくっていました。

漫画家を目指したのは?

 とにかく高校に入っても映画制作をしたかったんです。だから高校卒業後はもっと専門的に映画のことを勉強しようと専門学校に入りました。勉強の合間に、素人なりの小さな映画をつくったり、友達がやっている劇団で舞台の裏方の手伝いをしたりしていたんです。将来自分で演出し、背景までも制作したかったんですよ。でも映画は一人ではとても出来ないですよね。勿論多額の資本や人手も多く抱えなくてはいけないわけです。僕は大勢の人をまとめあげて引っぱっていく力はないし、人を動かすのは苦手なんですね。だからといって映画作りを簡単に諦められなかったんです。その気持ちは専門学校を卒業してゲームデザイン会社に入っても思いはつのるばかり。確かにゲームの絵を描いていて楽しいけれど、ずっと会社というシステムの中で一生仕事をしていくのはちょっと辛かったんです。他に何かやれることがあるんじゃないかと考えた時に、映画制作は無理でもそれを全部出来るとしたら、漫画なら自分の力でドラマを書けるし大勢の人が読んでくれると思って会社を辞めました。十年ぶりにGペンで漫画を描き始めました。

それから出版社に持ち込みされたのですか?

 会社を辞めて映画館でバイトをしながら午前三時、四時ころまで必至で描きましたね。でも自己流の漫画ですから中々上達しなくって…小学館の「ヤングサンデー」に持ち込んだら、奨励賞をもらったんです。そして細野不二彦先生のアシスタントを紹介してもらい、結局四年間お世話になりました。その間、「別冊ヤングサンデー」で二ヶ月に一回40頁連載させてもらいました。

アシスタントをやりながらの連載とはずいぶんきつかったのでは?

 今思うとね。日曜日から水曜日までは泊まりがけでアシスの仕事、残りの日で描いていましたから、睡眠時間は二〜三時間です。妻にも仕上げをよく手伝ってもらいましたよ。結局一年で連載は終わりましたが、とても勉強になりましたね。

初めて連載された時の感想は?

 うれしいというよりも人に見られるのが恥ずかしかったですね。感想を聞くのが恐ろしかったですよ。心中考え深いものがありました。

細野先生から言われたことは?

 勢いで描いていましたから“君の絵は見にくい、コマの中に詰め込み過ぎ、遊びがない、空間がない、もっと力を抜け”と言われてました。その時は半分ぐらいしか解りませんでしたが、自分が連載してアシスタントに指示するようになって、やっとやっと先生に言われたことが理解できるようになりましたね。また人付き合いの大切さも教わりました。特にアシスタントのつかい方です。

編集担当者から指導されたことは?

 キャラクターのことです。“作品の中のキャラクターの言葉は、僕の発している言葉で、キャラクター自信の真の声が出ていない”自分の感情だけを優先して描いていたんですね。このことは今でも勉強中です。

漫画制作で気を配っていることは?

 先輩の一色先生から「見開き単位でひとつの大きい場面を出した方がインパクトが出るよ」と言われていたので、コマ割りと構図ですかね。ベテランの先生は、なめらかな画面構成で読者に気持ちよく読んでもらっていますよね。見習いたいです。描き込むよりも読みやすさ、読者の立場にたってストレスを感じさせないような作り方。やはりそこまで気を配ってこそプロと思っています。それと、ひとりよがりの作品にならないように、自分が体験した嫌なこと、嬉しいこと、悲しいことなどを出来るだけ大切にして、作品内にぶつけたいのです。だから漫画ばかり描いていたんではそれはわかりませんから、出来る限り遊ぶようにしています。やれる時になんでも経験したいんです。人と接していろいろな意見を聞き論議し合う、これはキャラクターを立てる勉強になるんです。今でも漫画家になる前の三年間のサラリーマン生活で得たものは貴重な財産になっているんです。それと漫画には直接関係がないけれども、自分自身が傲慢にならないようにと常に心がけています。私は人から多くのことを学ばせていただき漫画に役立てています。これからも教えていただきたいんです。天狗になってしまうことは怖いことで、人が離れて行ってしまいますから。

取材には良くいかれるのですか?

 現在自転車をテーマにした作品を描いているので、競輪を見に行って観客の喜びやレースの雰囲気、また選手と接して試合やトレーニングの苦しい場面など、出来る限り見るようにしています。僕はドラマを描くうえの共通のテーマとして、“こだわりのある人間”を描きたいんです。粋な人間、世の中の流れに逆らっても自分の考えを押しとおして生きていく人間、これがいい男、いい女なんですよ。難しいけど、自分が憧れるような大人を描きたいんです。

最後に漫画家を目指す皆さんに一言アドバイスを!

 暇さえあれば遊んで下さい。それがネタになります。

ありがとうございました。お友達の漫画家さんをご紹介下さい。

 「マガジングレード」(講談社)『かっちぇる』のかわくぼ香織さんを紹介致します。