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2004.1.24








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(e1面)ことばの旅人
それでも地球は動いている
ガリレオ・ガリレイ

ガリレオは月に山や谷があることを発見した。月では地球が昇ることも推測できたはずだ=68年、アポロ8号から(米航空宇宙局)
ガリレオは月に山や谷があることを発見した。月では地球が昇ることも推測できたはずだ=68年、アポロ8号から(米航空宇宙局)
つぶやきに隠れた秘密

 ガリレオ・ガリレイゆかりの地として、ピサの位置づけはもはや高くない。

 確かにガリレオは、ピサに生まれ、ピサ大学で医学を学び、ピサ大学で数学教授になった。しかも、ガリレオの伝記を盛り上げるのに欠かせない二つのエピソードは、いずれもピサを舞台にしている。

 大聖堂につり下げられたランプを見て、「振り子の等時性」を発見するヒントをつかんだというのは、授業に飽き足らなさを感じていた医学生時代だ。保守的なほかの教授陣から孤立していたため、斜塔から二つの玉を落とし、大きさは違っても落下速度は変わらないという「落体の法則」を証明する公開実験をしたとされる。

 今や子ども向けのガリレオ伝にだって、どちらも、後世の伝記作家の創作または勘違いだったという脚注がついてくる。

 それでもピサに向かったのは、1990年から2001年まで、倒壊を防ぐ工事のため、斜塔が閉鎖されていたという事実に、ちょっとした符合を感じたからだった。

 90年といえば、日本ではティラミスがヒットし、「イタメシ」が流行語に選ばれた。崩壊を前提に、「バブル経済」という言葉が使われ始めたのも同じ年のことだ。

 日本経済が傾き続けた間、斜塔の方は何とか傾きを止めようと必死だったのだ。

 12年近い試行錯誤の結果、垂直軸からのずれは、最上部で4.5メートルから40センチほど戻されたという。そのための出費は計2500万ドル(約27億円)にのぼる。

 それを取り戻そうというのか、入場料は15ユーロ(約2000円)と高めだ。1回40分のツアーにつき30人の入場制限があるため、観光シーズン中には、切符を買えない人もいるらしい。

 世界中から集まったおのぼりさんの集団に紛れ、293段といわれるらせん状の階段を上り始める。屋上に出て風に吹かれた瞬間、足がすくんだ。地平線が傾いている。すき間だらけの鉄の柵(さく)が頼りない。

 こんなところまで、鉄の玉を運び上げ、それを落とすなんてとんでもない――それが塔のてっぺんまでいった実感だった。

 ガリレオが通ったとされる教会に足を運ぶという土産店の主人は、当時のローマ教会より偉大な科学者の味方と胸を張った。

 「あの頃の教会の世界観は狭すぎた。『それでも地球は動いている』を認めなかったせいで、この国の科学技術は、ほかのヨーロッパの国より200年も300年も遅れてしまったんだ」

 ルネサンス後の没落するイタリアと、科学技術立国の危機が叫ばれる今の日本が重なった。ガリレオと日本を結びつけるテーマを見つけたつもりで帰国し、取材を始めたとたん、意外な事実を知った。

 「それでも地球は動いている」

 宗教裁判で有罪判決を受けた直後にガリレオがつぶやいたとされるこの言葉もまた、創作だったというのだ。

■実験に生きる精神

大聖堂のランプ。ガリレオの発見より後の完成とされる=ピサ市で
大聖堂のランプ。ガリレオの発見より後の完成とされる=ピサ市で
 1965年に出版された青木靖三著「ガリレオ・ガリレイ」(岩波新書)は、その実像を日本人に広く伝えた名著として知られる。

 日本のガリレオ研究の第一人者だった著者は76年、亡くなる前年に出版した別の本の中でこう書き残した。

 「『それでも地球は動く』とつぶやいたというのは、のちの伝記作者の創作で、ガリレオにそれだけの元気が残っていたかどうかは疑わしい」。完全な屈服を余儀なくされたことや、年齢、健康状態を考えた上での判断だった。

 田中一郎・金沢大学教授(57)は、神戸大教授だった青木氏に指導を受けた。青木研究室にあった膨大な原資料を読破し、イタリアにも留学した。師が書かなかった根拠を示して、伝説の真偽に関する判断を明快に下した。

 「それでも地球は動く? あれはまったくの作り話ですよ」

 ガリレオ自身の書き残したものの中に、この言葉は一切見当たらず、伝記では死後1世紀以上たってからロンドンで出版された本に初めて出てくるという。

 「彼は自由にされたとたん、空を見上げ、地面を見下し、足で踏みつけ、瞑想(めいそう)にふける調子で『Eppur si muove』つまり、地球を指して『それでもそれは動いている』と述べた」(ドレイク著、田中一郎訳「ガリレオの生涯」より)

 牢(ろう)にとらわれたガリレオと見られる人物が、「Eppur si muove」という壁の走り書きを指さしている絵も存在する。生前に口にした言葉を反映しているとする指摘もあるが、推測の域を出ない。

 「ガリレオについての日本人の知識は、子供向けの偉人伝に書かれていることどまりなのかも知れません。ガリレオ研究は年々進んでいるんですが」

■ガリレオを知らぬ子供たち

十数階建てのビルと同じ高さの塔が傾いている不思議=イタリア・ピサ市で、江口和裕撮影<br>
十数階建てのビルと同じ高さの塔が傾いている不思議=イタリア・ピサ市で、江口和裕撮影
 田中教授は最近、TV番組「トリビアの泉」から取材を受けた。ガリレオの名言が創作だったことに、我々としては「へぇ〜」と言いたくなるが、科学史家にすれば、そんな事実も知らないことが「へぇ〜」だ。

 全国学校図書館協議会によると「ガリレオの名も知らない子どもが多いはず」という。感想文のテーマからみると、人気の伝記はキューリー夫人やナイチンゲールといった女性ものが上位を占める。男性で目立つのはエジソンと野口英世くらいだ。

 元高校物理教師の鈴木将さん(69)も、子どもたちのガリレオ離れを実感する1人だ。欧米各国で出版される「世界を変えた科学者シリーズ」(岩波書店)のうち、「ガリレオ」と「エディソン」の翻訳を担当した。ガリレオは今も在庫を抱える。

 「20世紀の発明王に比べると、近代科学の礎を築いたというガリレオの功績は、分かりにくいのかもしれません」

 売れ筋のガリレオは伝記ではなかった。インターネット書店で目立つのは「ガリレオ工房」の「おもしろ実験」の本だ。

 国際基督教大高校の滝川洋二教諭(54)が86年、中、高校の先生に呼びかけて作った「物理教育実践検討サークル」が前身。毎月の例会で、メンバーが新しい実験を持ち寄るようになったのは、いい授業には面白い実験が不可欠という考えからだった。

 94年、活動の成果を本にまとめたのを機会に、親しみやすい名前に変えた。狙い通り、急激に脚光を浴びるようになった。

■求められる 日本人の資質

 全国各地で科学イベントが開かれ、メンバーは講師として引っ張りだこだ。実験本は複数の出版社でシリーズ化され、「伊東家の食卓」といったバラエティー番組にもアイデアの提供で協力する。

 滝川教諭は最近、授業で生徒にも新しい実験を考えさせるようにしている。

 たとえば、ブーメランの小ささの限界に挑戦した生徒がいる。3ミリになると、手では飛ばせない。串をつけ、竹とんぼの要領で飛ばすと、ちゃんと手元に帰ってきた。

 「技術立国を支える人材の不足を心配するような理科離れの議論は、興味ありません。実験を考えるというのは、見通しがきかない未知の場所に乗り込んでいくこと。これからの日本人すべてに求められる資質ではないですか」

 有名な実験が創作だとしても、学者たちが理論を実践したり試したりすることを軽視していた時代に、ガリレオが反旗を翻したことは事実だ。「ニュートン工房でもアインシュタイン工房でもなく、やっぱりガリレオ工房なんですよ」と、滝川教諭。

 ガリレオを知らなくても、実験に目を輝かせる子どもたちがいる限り、ガリレオの精神は生き続けるのかもしれない。

編集部・坂本哲史


<出典>
<名所>イタリア・ピサ
<語録>


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