北陸中日新聞こちら富山支局飛越新時代2002年11月7日掲載



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県境越えた病院建設
 広域行政 
  過疎地“安心の拠点”

 「とても不安でした。病院に間に合わないんじゃないかと…」。岐阜県白川村の主婦山本美加枝さん(37)が振り返る。十五年前、真冬二月の深夜に産気づき、夫の車で同県高山市内の病院まで約二時間かけて走った。「道がしみてて(凍っていて)滑って危なかった」。山本さんは病院に着いてすぐに分べん室に入り、無事女児を出産した。

 「あのとき東海北陸自動車道があれば、病院も近くなり、道も安心で、あんなに焦らないで済んだのに…」。“秘境”と呼ばれ、不便を強いられてきた村がいま、大きく変わろうとしている。

 今年十月一日、県境を越えた富山県福光町の東海北陸道福光インターチェンジ(IC)北東約三キロに「公立南砺中央病院」が開院した。県南西部の福光、城端両町、平村、上平村と岐阜県白川村の五町村でつくる「南砺広域連合」(連合長・桃野忠義福光町長)が、総事業費九十二億五千百万円かけ完成させた。県境を越えた広域連合による病院建設は全国でも初の試みだ。

 
盛大に完成式をした公立南砺中央病院。東海北陸自動車道を利用した“命の拠点”になっている=今年9月22日、富山県福光町で


 病院待合ロビーにいた白川村の主婦宇田すみさん(71)は「近くに病院ができてうれしい。車でわずか四十分ですもの」と笑みを浮かべた。村役場によると、同じ岐阜県内の高山市や白鳥町までは、東海北陸道を一部利用しても一時間から一時間半以上かかり、村民約二千人の生活圏はどうしても富山寄りにならざるを得ないという。

 五箇山IC−白川郷IC間が今月十六日開通すれば、白川村内から病院までは二十五分程度とさらに近づき、救急車なら約二十分で患者を搬送可能となる。宇田さんは「都会の人には考えられないでしょうけど、豪雪地帯だけに昔のことを思うと夢のよう」と目を輝かせた。東海北陸道は、県境を越えた“命をつなぐ高速道路”として機能し始める。

 病院の主なエリアは過疎化が進み、高齢化率も高い。しかし、お年寄りの安心を支える診療所は、平村と上平村に各一カ所、白川村に二カ所あるだけで、住民からは専門医療機関を望む声が強かった。

 完成した病院は、鉄筋コンクリート造六階建て、総床面積約一万四千平方メートル、ベッド数百九十床。内科や外科、眼科など診療科目は計十八を数え、最新鋭の電子カルテシステムも導入された。白川村などから要請があれば、医師が車で巡回診療する態勢も整えている。

 住民医療のため県境を越えた広域連合はいま、次の段階を模索し始めた。谷口尚白川村長は「北陸の民間業者などが村内に老人ホームを建ててほしい。土地を提供する気構えはある」と福祉面での協力を呼び掛け、桃野連合長も「(両IC間の)開通をきっかけに、医療、福祉など多方面で県境を越えた交流人口を増やしたい」と応じている。

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 【心のふるさと飛越 〜県境越え進む交流〜】

■1.派遣医  “地域の命”を守る (2003年9月25日)
■2.笹津橋  歴史の“生き証人” (2003年9月26日)
■3.子ども会交流  交互に訪問通う心 (2003年9月27日)
■4.民間交流  文化の共有が大切 (2003年9月28日)
■5.塩ブリ  富山の製法を高山で (2003年9月30日)
■6.飛越国境  今も昔も同じ生活圏 (2003年10月1日)
■7.越県通学  友結ぶ民謡の“引力” (2003年10月2日)
■8.川流しの木印流  交流物語る“生き証人” (2003年10月3日)
■9.神岡鉄道  『観光』へ衣替え目指す (2003年10月4日)
■10.家具職人  飛騨高山は“人生の父” (2003年10月5日)

 【飛越新時代 〜日本縦断へつなぐ〜】

■1.氷見の魚 夕方には岐阜に (2002年11月4日)
■2.最新鋭機器も当初不発 (2002年11月5日)
■3.世界遺産目玉に誘客 (2002年11月6日)
■4.県境越えた病院建設 (2002年11月7日)
■5.採算性重視に反発 (2002年11月8日)

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