1時間スペシャル 午後6時より |
石原慎太郎・裕次郎の母 |
〜時代の寵児を育んで〜 |
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第40話 2002年2月24日放送
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石原慎太郎、裕次郎の母、石原光子は、明治42年に広島に生まれた。わずか2歳の時、光子の生母は亡くなる。おとなしくて、物静かな少女だった。 |
高等女学校に進学すると、神戸の叔母のもとから学校に通った。時代は大正ロマン、異国情緒あふれる神戸の街で青春を送った。絵を描くことが好きで次第に画家を目指すようになる。しかし、時代はその夢をかなえなかった。光子が夢をあきらめ、絵筆を取り、最後のモチーフに選んだのは、芙蓉の花だった。 |
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光子は昭和7年、23歳の時、10歳年上の石原潔と見合いをし、結婚。その年に長男・慎太郎、二年後の昭和9年に次男・裕次郎が生まれた。夫・潔は、海運会社の雄、山下汽船に勤めていた。豪放磊落な夫は、仕事に宴会に多忙を極め、なかなか家に帰らない。一時は離婚を考えたこともあった。しかし、夫は無類の子煩悩。光子も、“子どもの性格を知り、良いところを信じて伸ばす”を信条に子育てをした。 |
何事も素直に聞く慎太郎と、行動的・直感的な裕次郎を同じように育てても無理だと心得ていた。昭和18年、一家は小樽から逗子に転居した。海の町で育った慎太郎・裕次郎兄弟は、ある日、父親にヨットをせがむ。父は躊躇したが、母は「女の子だったらピアノを買うつもりだったから」と購入を進言。この言葉が決め手となって、兄弟はヨットを手に入れた。このヨットが、兄弟のその後の人生を象徴するものとなる。のちに二人は『太陽の季節』で世に出、時代の寵児として活躍した。
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「ずけずけものを言うのは親ゆずり」だという石原慎太郎。「ずいぶん殴られた」という石原裕次郎。母・光子は、石原家のゴッドマザーだった。
石原家に嫁いだ二人の女性も、光子の迫力を肌身に感じた。番組では、石原家に嫁いだ二人の女性が、今までほとんど語られることのなかった石原家の母の横顔にふれる。慎太郎夫人・典子さんは、18歳で嫁いだときの一言が忘れられない。「かけ足しなかったら慎太郎についていけないわよ。」
反抗しながらも大事なことは全て光子から教わったという。裕次郎夫人・まき子さんは、光子が女優・田中絹代に似た清潔な美人だと感じたエピソードや、長男の嫁に対する気遣いを感じた旅先でのエピソードを披露する。 |
取材地:
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小樽・神戸・広島
逗子・都内
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出演者:
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石原慎太郎さん
石原典子さん(石原慎太郎夫人)
石原まき子さん(石原裕次郎夫人)
石原延啓さん(石原慎太郎四男) |
制作担当:
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プロデューサー |
加藤義人(テレビマンユニオン) |
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プロデューサー |
高梨聞吉(テレビ朝日) |
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ディレクター |
倉岡恭一(テレビマンユニオン) |
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