第13回 危険! 韓国ルートの実態!!
むかしむかし、そのまたむかし。私は某韓国人に、意図的にカサで刺されたことがあって、病院に行ったことがあります。
そいつは、今何処で何をしてるか知りませんが、しっかり怨んでます。しかし、韓国国民を怨んではいません。当たり前か。
その韓国の人たちと、この業界でお世話になろうとは、思いもしませんでした。
これも厳密には、「うる*やつら」が、終り、社内的には史上最低の制作スケジュールで、運行していた某作品のはなしです。
原画、動画、仕上げ、背景と、およそ絵になるものは、すべての分野で、韓国の力を借りた時代がありました。
業界全体で制作される本数が、急激に膨れ上がり、国内だけでは、さばききれなくなったのが、原因です。
国内の外注は、殆どぎっちりスケジュールが埋まり、無理に割り込もうとすれば、追加料金を要求される始末。今まで散々「仕事ちょーだい!」とか言っていた外注の社長さんも、一旦潤ってしまうと、仕事料の低い制作会社には、ハナもひっかけません。誠に、人情紙風船でございました。
制作の人間が、途方に暮れていたとき、突如現れたヒーローこそ、韓国だったのです。
こいつは嬉しいと、その手を掴んだはいいけれど、、、ってのが、今回のお題。
韓国の技術レベルは、80年代前半から中頃にかけては、まだまだ黎明期にあって、それはもう、白紙で出す0点より、とりあえず名前だけは書いておこうってレベル。
今でもそうですが、あちらの国では、日本は、悪の権化で、すべての日本文化は、韓国に悪影響を与えると固く信じている方々が、多くいらっしゃいました。
ですから、日本製のマンガ、アニメはおろか、一般映画、音楽とかの類など、まったくもってけしクリからんと云った状況で、一切の正規輸入を認めてはいませんでした。
確かに当時の韓国製マンガ雑誌を見ると、モロに日本の影響丸出しで、「韓国のマンガ」なんて、そんな雰囲気何処にもありませんでした。全くの受け売りで、文化を感じませんでした。
確かに、これではいけません。(それでもサッカーマンガだけは、日本人が、鬼のような形相の極悪チームだったけど)
なんてこともあって、韓国国内で仕事をするアニメーターたちは、自分たちの描いた物が、どういう作品になるのか、終わってしまえばもう二度と見る機会に恵まれませんでした。
したがって、なにをどう描けば、その結果がどうなるか、全く分らないという、考えてみれば信じられない仕事のやり方をしていました。
これは、韓国でレバーを引くと、日本の新幹線のブレーキがかかるようなものです。
「どれくらいの力でレバーを引けば良いか、分らない」なんてシステムで運行する列車には、誰も乗りたくはないでしょう。
でも、これに乗らなきゃいけない状態なんですよ。とりあえず動いてるというスケジュールですから。
更に悲劇は続いて、なんとかビデオで仕事の結果を見てもらおうと思っても、若きアニメーターたちは、兵役に取られ、プルガサリと戦って命を落としていったのです(途中から妄想)。
一人で月に4000枚をこなすという動画の人もいたのですが、やはり兵役に取られ、帰って来てからは、ただの人になっていたなんてこともあったそうです(月4000枚は、一日100枚以上ですから、その凄さが、なんとなく想像できますよね)。
その他にも色々問題がありました。
なにしろ、直接打ち合わせが出来ない。一応アニメ会社は、存在し、そこの社長が、荷物の受け取りとかに現れるのですが、いかんせん、どどどどどどどどどどどどどどどどどどっど素人なうえに、これは儲かると嗅覚を利かせた商売人なもので、アニメのことなんか、なんにも判らない。理解もしない。
原画の打ち合わせも出来ないので、演出が絵コンテに細かく指示を書き込んで渡すなどと云う、実におっそろしいやり方をしていました(色指定も絵コンテ書き込み!)。
設定資料にしても、小物類に関しては、おまかせにしなければ間に合わないので、彼らを信じるしかありませんでした。
それでもやっぱり行き違いは生じ、ウエスタン調のバーのカウンター上をワイングラスが滑ってきたこともありました。
これでは、完成品の出来も、知れたものです。ここまで来ると、テレビ局に色の付いたフィルムを納品しているようなものです。情けなくなりますが、それでも続けていかないと、ほんとに全てがパアですから、キレイごと言ってる場合ではなかったのです。
また、韓国を使った方が予算的にも安上がりだったので(人件費が相当安かったらしい)、会社としても、継続使用せざるを得ませんでした。
演出の中には、名前出さないでくれと泣きつく人もいました。当然でしょう。
コンテくらいなら、社長の手荷物で韓国へ持ち込めます。少し荷物が増えた次の段階が、国際郵便。東京駅の近くにある中央郵便局から郵送してました。
私は、この当時、制作進行ではなく、設定進行と文芸を兼任しており、生まれて初めてシナリオも書かせてもらっていたのですが、実際には、制作進行となんら変りがありませんでした。
いや、担当する話数が減っただけで、逆に自分でもシナリオ書いて、シナリオ全体の進行チェック、シリーズ構成の打ち合わせ、キャラクターデザイン回収(関越高速、鶴ヶ島インター下車!)等、仕事量は、確実に増えていました。
(新人進行がいきなり辞めた時には、話数持ちました。死にかけました。後日報告)
自分で書いたシナリオ話数を自分で彩色したときなど、こんな話書くんじゃなかったと、反省するのと同時に、究極のプライベートフィルムを作っているような気がしました。
そして何故か、中央郵便局に行くのも、いつのまにか私の役目になっていました。それまでも、旧国鉄の知られざるサービス、新幹線便の集荷もほとんど私がやっていました。
新幹線で、荷物が送れるって、知ってました? 割と便利で、関西方面の外注さんとは、よくやり取りしてました。宅配便でも真似できない、当日受け渡しが可能になるのです。
中には、入場券で車内に侵入して、アミ棚に荷物を置いてやり取りするなんて会社もあったそうです。
危険すぎるので、私はやりませんでした。
ですが、これの発展形は、やらざるを得ませんでした。
発展形とは・・・・。
荷物の量が更に多くなると、もはや、郵送ができません。他社が、韓国に直接持ち込むなんて情報をキャッチしようものなら、当然便乗です。
それも駄目なら、海外宅配便の業者です。・・・・が、「DHL」に、「アニメは、やってません」と、キッパリ断られたことは、今でも忘れません。もちろん、今でも怨んでいます。
海外宅配便も使えないってことは、もはや誰かが韓国に飛ぶしかない。
これは、確かに速いけれど、そんな予算、アニメの制作会社には、ない。金がないこともあって、頼んでいるのですから、これでは本末転倒です。
んじゃ、どうすんの!? どうやれば、韓国に原画や動画を届けることが出来るのだあ??
あなたなら、どうします。このままじゃ、放送に穴があきますぜ!!
さあ、困った!! 困ったときにこそ、土壇場の逆転でナントカしなければならない。
そうだ! 韓国に行く赤の他人を成田で捕まえ、拝みこんで持って行ってもらう!
これなら、料金タダで、荷物を送れるではないか!!
手荷物として持ち込み、向こうの空港で、現地スタッフが受け取る!!
完璧な作戦だ!!
・・・・・・・・・・・・って、何処の誰だか分らない人に、大切な原動画を渡すと思う?
常識で考えてくれよ。なんて言いたいところだけど、もう常識なんて、何処かへ捨ててきちゃったから、平気です。
かくして、赤の他人作戦は、実行されました(正確には、ハンドキャリーと呼んでいた。美しいね)。
持って行ってもらう人は、ホントに行き当たりバッタリ。
でもねえ、、、
「私は、決して怪しい者では、ありませんし、この荷物もヤバイもんじゃありません。だから、持って行ってください」
なんて、急に頼まれて、誰が持って行ってくれると思いますか?
普通は、怖がられますよ。敬遠されるじゃないですか。
「怪しい者ではありません」
なんてセリフ、いままで生きてきて、何度聞きました?
ドラマですよね。突然現れた人間が、
「怪しい者ではありません」
なんて、自己紹介してくるんですよ。私なら、逃げますね。犯罪のにおいプンプンですよ。
それでも、世の中には、奇特な方がいらして、持って行ってくれることもあるんですな。
もちろん、予算なんかないから、お駄賃ナシのきびしい条件。
いやあ、助かったあ。ホントにホッとします。日本にも、まだ仏さまみたいな人がいるんですね。
これで、一件落着かと思いきや、そうは、簡単に話しは終わらない。
帰り便の回収こそ、大変になってくるのです。大いに問題ありなのです。
今度は、韓国人が持ってきてくれる訳なんですが、これがまた、約束守らない!!
現地で交渉が成立したら、「運び屋」の身体的特徴、搭乗便、到着予定時刻などの報告が電話で来ます。そうしたら、来ることを信じ、成田に回収に行かなくてはなりません。
連絡を貰ってからでは、間に合わなくなるので、とにかく空港に行って、待機。
たまに、きょうはダメでしたなんてこともある。空振り。イライラだけが募る、いやな待ち時間です。
「運び屋」が決まり、その特徴を教えてくれるのは、いいんですけど、これがまた、具体性に欠ける情報だったりすると、泣けてきます。
韓国から来る人間全部に対し、「灰色の背広」とか「眼鏡かけてる」とか言われても、何人いると思ってるんだ!!
抗議したくなります。
こちら側の目印は、A3のコピー用紙に書いた「PIERO」の文字だけ。
これを持って、到着ロビーで、一人ずつチェックする訳です。
もちろん、正確なスペルではありませんが、ひらがなで書いても、理解されないであろうことを考えると、もろにローマ字で書くのが、一番安全との判断です。
しかし、現実はきびしい。これだって、読んでくれる以前に、忘れられてたら、一巻のおわり。
だから、しっかり見てくれて、こちらに手を振りながら近寄ってくる人がいたら、これは嬉しいですよ。
と、思ったら人違いってのも、何度もあったけど。
いい加減にしてくれってのは、「PIERO」の文字見て、これは何だって、手振り身振りで聞いてくる連中。何故か集団で来るんだな。
自慢じゃないけど、知ってる韓国語単語なんて、微々々々々×10000なもんで、
「見世物じゃねーんだ、関係ないからあっち行け!」
なんて思っても、言えたもんじゃありません。
中には、日本で個展を開きにやって来た芸術家や財閥系企業のサラリーマンもいました。
こういう人は、英語で話しかけてきます。気ぃ使ってくれてます。
芸術家は、個展のチラシをくれました。
後者のサラリーマンは、ホテルで会ったのですが、ラウンジへ行こうということになったまでは良かったのですが、この人、自分だけコーヒー飲んでる。奢ってくれる気配は、全くなかったので、
さっさと帰りました。もっとも、ご馳走すべきは、こちらなのですが、進行に、そんな持ち合わせなどない!!
在日韓国人の方が、家に持ち帰ってしまったことがありました。
電話で、(もちろん日本語で)住所を聞いて、ビックリ。実家のすぐ近くの人だったんですね。
この時は、親に、
「なんでもいいから菓子折り持って、回収してきてくれ」
と、遠隔操作しました。親子で仕上げ済みのセルを回収したのは、自慢じゃないけど、私くらいなものではないでしょうか。
こんなこと、何度やっても慣れるものではありませんが、どんなにヤバイ状況でも、なんとかなってしまっていたのは、悪運ってやつでしょう。
その日も、ターゲットとなる「運び屋」の姿は、なかなか現れませんでした。
会社に電話して、状況を伝え、ホントに飛行機乗ったのか、それは、何便なのか、再確認を要請しました。
会社からは、韓国の外注に連絡をとり、最新情報をあさります。
待つこと2時間か、それ以上。
やはり、別便で到着していることが判りました。それも、予定より早い便だったのです。
なんだ、そりゃああああ!!!!
前例のない状況で、焦りました。待っていた時間そのものが、全くの無駄だったのです。
しかも、韓国人の一行は、すでに都内のホテルに向かっていると言うではありませんか(ホテル名は不明!)。
ヤバイことになった・・・・。
いままで何度もこんなことにはなっていますが、今回は、マグニチュード90ぐらいのイヤな予感がありました。
とにかく都内に戻れの指示を受け、私は、車を東関東自動車道を東京に向け、走らせた、、、走らせた、、、は、いいけど、何処まで戻れば良いのだろうか?
一体この先、何が待ち受けているのか?
薄暮の中に浮かび上がる帝都は、不安に脅える私の来訪を嘲笑うかのように、きらびやかなイルミネーションが、静かに呼吸していた。
こんなことばかりしていて、本当に番組を救う事など出来るのか!?
快男児久島の冒険は、次回に持ち越しだ!!
手に汗握って、待て!!
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