Organizing WRC events at past in Japan 〜日本におけるWRC開催の歴史〜 | The WRC Chronicle vol.4

シリーズ創設時からWRCと深いつながりがありながら
その一戦が日本で開催されるまでには
長い年月を要しました。
いま再びWRC招致を目指すこの国においてかつて行われた
世界最高峰のラリーイベント開催に向けた
努力を振り返ります。

日本にはラリーの長い歴史があります。日本の自動車産業の勃興期である1950年代には、早くも日本国内各地で大小様々な規模のラリー競技大会が開催されるようになりました。また、1960年代に入ると、信頼性が高く、なおかつ安価であった日本車は海外でもラリーカーの格好のベース車両として人気を博すようになり、WRC(FIA世界ラリー選手権)が創設された1973年のあたりでは日本車は国際ラリーにおいて不可欠な存在となっていました。

トヨタ・カローラ(ウォルター・ボイス)/1973年WRC第11戦プレス・オン・リガードレス・ラリー

  • PHOTOトヨタ・カローラ(ウォルター・ボイス)/1973年WRC第11戦プレス・オン・リガードレス・ラリー

そうした素地がありながらも、日本でのWRC開催はなかなか実現しませんでした。日本初のWRCイベントであったラリー・ジャパン第1回大会が行われたのは2004年。WRCの創設からすでに30年余の年月が過ぎ去った後のことでした。

かくも長い年月を要したのは、日本でのWRC開催実現の前にはそれだけ多くのハードルが立ち並んでいたことを表しています。ラリーのコースに使用する道路を選定しその使用許可を得ることはどんなラリーイベントの開催にも伴う難しい作業ですが、コースの距離が長いWRCでは一段と多くの苦労があるのです。また、WRCを開催するとなれば、それまで日本で行われてきたラリーとは幾分異なる国際格式ラリーの仕組みとその基盤となっているFIA(国際自動車連盟)レギュレーションの理解を深める必要があったことでしょう。もちろん、世界選手権にふさわしい規模でのイベント開催を実現させ得るマンパワーや資金の確保も必須であったことは想像に難くありません。

その他にもWRC開催には様々な要件がありました。たとえば、海外で車両登録されたラリーカーが日本の公道で走行できるようにすること。ラリー競技中の移動区間(リエゾン)では公道を一般車両と一緒に走ることになるラリーカーは、技術的に先鋭的なトップカテゴリー車両のワールドラリーカーであっても、一般公道の走行が可能なように車両登録され、いわゆるナンバープレートを持っています。ただし、海外から参加する車両の大半は、日本とは車両検査の基準が異なる海外の国々で登録されたものです。それらを日本の公道で走らせられる手立てを確立することが日本でのWRC開催の実現には不可欠でした。

スバル・インプレッサ WRC2002(新井敏弘)/2002年インターナショナル日本アルペンラリー

  • PHOTO スバル・インプレッサ WRC2002(新井敏弘)/2002年インターナショナル日本アルペンラリー

それでも1990年代後半には、多大なる努力をもって日本でのWRC開催を何とか実現させようとする動きが出てきました。そして2001年には、インターナショナル日本アルペンラリーとインターナショナルラリー イン 北海道(※2002年以降は「ラリー北海道」の名称で開催)という2つの国際格式ラリーがそれぞれ異なる主催者の手によって開かれ、どちらのラリーにも海外で登録されたナンバープレートを持つ日本車メーカーのワークスマシンが出場して注目を集めました。

その後は、ラリー北海道がWRC日本ラウンドの実現を目指していくことになりました。同ラリーは、2002年にはFIA管轄の4つの国際地域ラリー選手権シリーズのひとつであるAPRC(FIAアジア‐パシフィック・ラリー選手権)の一戦となり、日本で初めてFIA選手権がかかったラリーイベントとして開催されました。そして2003年大会では、同ラリーがWRCを開催するに足るクォリティを持つものであるかどうかをFIAが審査し、無事クリア。翌2004年の9月には日本初のWRCイベントとなったラリー・ジャパン第1回大会がついに開催され、当時WRCにワークス参戦していたシトロエン、プジョー、スバル、フォードの4社のワールドラリーカーが日本へ飛来。27本、計386.68kmのスペシャルステージがすべてグラベル(未舗装路)の路面のもとで実施され、スバルのペター・ソルベルグが最速で駆け抜けてラリー・ジャパン初代ウィナーとなったのでした。

ペター・ソルベルグ(写真右)&フィル・ミルズ/2004年WRC第11戦ラリー・ジャパン

  • PHOTOペター・ソルベルグ(写真右)&フィル・ミルズ/2004年WRC第11戦ラリー・ジャパン

2004年から2010年まで「ラリー・ジャパン」(※2006年大会以降は「ラリージャパン」)の名称で行われたWRC日本ラウンドは、すべてグラベルラリーとして開催されたものでした。開催地はすべて北海道でしたが、2004年大会から2007年大会までは帯広を中心とした十勝エリアで、2008年大会と2010年大会は札幌を中心とした道央エリアで行われました。

フォード・フォーカス RS WRC08

  • PHOTO フォード・フォーカス RS WRC08(ミッコ・ヒルボネン)/2008年WRC第14戦ラリージャパン

2011年から日本でのWRC開催は途絶えた状態となっていますが、2020年にはWRC日本ラウンドを再び開催することが目指されています。

これまでに開催されたWRC日本ラウンド

開催日ラウンド/大会名称開催地総合優勝
2004年9月3〜5日WRC第11戦 ラリー・ジャパン北海道・十勝エリアペター・ソルベルグ(スバル・インプレッサ WRC2004)
2005年9月29日〜10月2日WRC第13戦 ラリー・ジャパン北海道・十勝エリアマーカス・グロンホルム(プジョー 307 WRC)
2006年9月1〜3日WRC第11戦 ラリージャパン北海道・十勝エリアセバスチャン・ローブ(シトロエン・クサラ WRC)
2007年10月26〜28日WRC第14戦 ラリージャパン北海道・十勝エリアミッコ・ヒルボネン(フォード・フォーカス RS WRC07)
2008年10月31日〜11月2日WRC第14戦 ラリージャパン北海道・道央エリアミッコ・ヒルボネン(フォード・フォーカス RS WRC08)
2010年9月9〜12日WRC第10戦 ラリージャパン北海道・道央エリア セバスチャン・オジエ(シトロエン C4 WRC)