Future Talk

2022.04.06(Wed)

少数の患者のために。秘密計算AIが照らし出す、希少疾患のミライ

#AI #共創 #ヘルスケア
世界で4.5億人を超える感染者数を出している新型コロナウイルス(2022年3月現在)。急速なスピードでワクチン開発が進んだことを一因として、ピーク時からは減少傾向にあります。一方で、以前から疾患が知られているにも関わらず、研究・治療開発がなかなか進まない分野もあります。それが希少疾患です。この課題に対して、千葉大学医学部附属病院 脳神経内科 三澤園子先生と、千葉大学医学部附属病院次世代医療構想センターの吉村健佑氏、NTTコミュニケーションズの櫻井陽一が、秘密計算AIの技術を使った共同研究で、解決の糸口を探ります。

目次


    希少疾患だからこそ難しい、データの収集と蓄積

    ——今回は、脳神経内科領域の共同研究についてお話を伺います。この共同研究は、希少疾患における課題解決を目指すものですが、そもそも「希少疾患」とはどんな疾患なのでしょうか?

    三澤氏:希少疾患とは、患者さんの数が少ない病気のことです。定義は国によって違いますが、日本では患者数が5万人未満の病気を希少疾患と定義しています。

    ただ、世界中に希少疾患は約7,000あるといわれていて、何らかの希少疾患を持つ人は約3.5億人いると推定されています。1つの希少疾患に対しての患者数は少ないですが、希少疾患全体で考えると、困っている人はかなり多くいるんです。しかし、各疾患の患者数が少ないために、病態の解明も治療法の開発も進みにくいことが大きな課題となっています。

    三澤園子|千葉大学医学部附属病院 脳神経内科 准教授
    1999年、千葉大学医学部卒業後、2017年より現職。末梢神経疾患が専門。2013年に女性医師向けのネットワーク「立葵の会」を設立、2018年に医師がリーダーシップやマネジメント能力を学べる場「育星塾」の発起人となるなど、多方面で活躍する。

    ——希少疾患ならではの課題があるのですね。

    吉村氏:研究を進めるためには、患者さんのデータを多く集めなければなりませんが、そもそも患者さんの数が少ないので、なかなかデータが集まりません。多施設共同でデータを集める必要がありますので、疾患レジストリ(患者の疾患、治療内容、治療経過などを管理するデータベース)の構築や運用が大切になります。ただ、これも簡単ではありません。

    例えば、レジストリの構築・運用は誰が担うのか。厚生労働省は、発病の機構が明らかでなく治療方法が確立していない希少な疾病であって、長期の療養を必要とする約300の疾患を「難病」に指定し、そのほとんどに対して予算をつけ、研究班がたっています。

    しかし、研究予算ではレジストリの運用まで賄えません。研究班も数年ごとに更新されるため、レジストリを運営した場合、その引き継ぎも問題です。学会や医療機関が運営を担うという選択肢も考えられますが、まだ最善の方法が見出せておらず、各疾患領域で研究者が自ら労力を割いているのが現状です。

    多施設のデータを集めるには時間がかかりますので、粘り強い活動が必要です。また、国際共同研究などを通して、国際的な標準となるレジストリの整備も同時に進めなければなりません。レジストリが構築されないと、研究がどんどん遅れてしまいますので、早めに解決すべき課題です。

    吉村 健佑|千葉大学医学部附属病院次世代医療構想センター センター長/特任教授、OPEN HUB カタリスト/アドバイザー
    千葉大学医学部卒、東京大学大学院・千葉大学大学院修了。精神科医・産業医を経て、厚生労働省に入省。医療情報に関連した政策と制度設計に関わる。2018年より千葉大学病院にて病院経営・医療政策の教育研究および、千葉県庁にて実務に携わる。専門は医療情報、医療政策、精神保健。

    ——こうした課題に、今回の共同研究で取り組むことになるのでしょうか?

    三澤氏:今回の共同研究は、大きく2つのプロジェクトに分けられるのですが、そのうちの1つが、希少疾患の患者さんのデータを取得、蓄積して、希少疾患の治療法や病態の解明につなげるものです。

    吉村先生のお話のように、データ収集にも時間がかかるのですが、データを作ること自体がまず大変です。例えば、「筋力低下がある」というデータ1つ取っても、いつから、どの部位に、どの程度の筋力低下があるのか、といった情報が必要ですし、どの基準で筋力低下を評価するのか、評価方法を決めておく必要もあります。こうして標準化されたデータでなければ使えないんです。ほかにも、患者さんからの同意取得や個人情報の取り扱いなどハードルが多く、NTT Comさんと一緒に解決しようとしています。

    吉村氏:希少疾患の場合、データが個人の特定につながりやすいという問題もあります。「この地域の何歳ぐらいの患者さんで、こういう症状がある」というデータから、該当者がほんの数名に絞られてしまうので、機微な情報になりやすいんです。また、疾患によっては遺伝的特性がありますので、これも情報の扱いが難しい。秘匿性が担保された、NTT Comの秘密計算技術が1つのブレークスルーになると思います。

    早期診断・治療のためにAIを活用

    ——もう1つのプロジェクトはどのようなものですか?

    三澤氏:AIを使って希少疾患の診断支援ツールや治療支援ツールを作るプロジェクトです。希少疾患の場合、診断・治療経験のある医師がどうしても少なくなります。例えば、私が専門としている疾患の1つに、POEMS症候群という疾患がありますが、患者数は日本全体でわずか400人弱。この疾患を診たことがない医師が大勢いるので、POEMS症候群だと疑えず、診断がつくまでに何年もかかり、寝たきりになってしまう患者さんもいるんです。また、診断がついたとしても、治療方法が分からない。

    そこで、蓄積したデータをAIに学習させることで、診断や治療のサポートにつなげたいと考えています。希少疾患は長く付き合っていく病気ですが、早期に診断・治療できれば、病気による影響を小さくすることができるはずです。

    ——今回使用するデータは、どうやって収集するのでしょうか?

    三澤氏:基本的には、医師がカルテを見ながら、決まったフォーマットに沿って転記していくことになります。ただ、医師は多忙なためなかなか入力を進められない。そのため、自分で会社を立ち上げて、データ入力の支援を行っています。電子カルテからデータを吸い上げられると楽なのですが、電子カルテは病院ごとに仕様がまったく違うので難しく、手入力での作業となります。

    吉村氏:大変な作業ですよね。さらに、新たな検査や症状の評価方法が出てくると、データ項目が変化し、フォーマットが崩れてしまいます。

    櫻井:データを整えて使えるようにするまでが一番大変ですよね。データの正しさが保証されているからこそ統計解析が可能になります。なので三澤先生が取り組まれていることは本当に尊いんです。

    櫻井陽一|NTT Com スマートヘルスケア推進室カタリスト

    ——今回NTT Comが提供するのは、秘密計算技術と、AIによる支援ツール開発ですね。

    櫻井:正確に言うと、秘密計算でできることのパターンを増やしたのがAIやディープラーニングです。秘密計算は、これまでもお話してきた通り、データを暗号化した状態で統計解析を可能にする技術です。AIの基本も統計解析ですので、秘密計算の中で統計解析の幅を広げたのがAIということですね。

    今の時代、データを集めてデータドリブンな取り組みをするとなればAIが必ず関わってきますし、医療の世界でもAIは必須ですので、我々も技術を育てていきたい。その過程ではトライアルも必要です。千葉大学医学部附属病院と、一連の共同研究を通してチャレンジングな取り組みを行おうとしています。

    ——ディープラーニングも、暗号化された状態で行えるのですか?

    櫻井:試行錯誤中の部分もありますが、データの前処理から、学習、推論といったすべてのプロセスを、秘密計算の中で表現することが秘密計算AIのゴールです。そうすることで、どこかでデータが復号されて漏洩するのではないかという不安を解消できます。臨床試験の倫理審査なども通過しやすくなるのではないかと思います。

    個人情報保護という観点では、「匿名加工情報」というものもありますが、希少疾患の場合、匿名加工では対応しきれないんです。例えば、20代、30代、40代……と年代別のデータを出そうとする場合に、50代が少ないから「40代以上」というふうにデータを丸めてしまうことがあります。そうすると、50代の特徴は分析できなくなってしまう。希少疾患も患者数が少ないですから、匿名加工では同じことが起きてしまいますので、秘密計算AIの技術は不可欠だと思っています。

    社会貢献のための技術が、持続可能なビジネスにつながる

    ——三澤先生は、今回の共同研究についてどう感じていらっしゃいますか?

    三澤氏:秘密計算やAIのような技術は、「あったらいいな」とは思っていても、私たちからアプローチするのはなかなか難しいのですが、吉村先生がつないでくださったおかげで、私たちがやりたいことが形にできるかもしれない、と期待しています。NTT Comの皆さんは、私たちが必要としていることをよく理解してくださるので、とてもありがたいですね。

    ——今回の共同研究を通して、データ収集やAIモデルの作成が実現したら、影響や意義は大きそうでしょうか?

    吉村氏:まだ研究段階ではありますが、長期的に、低コスト、少ない手間、そして標準化された方法で、レジストリの構築・運用を行うための理想形の1つになる可能性があると思います。

    もう1点、希少疾患の研究は、短期間で利益を回収できるものではありませんので、NTT Comのような実績と体力のある企業が、今回の研究のような試行錯誤を許してくれることはとても重要だと考えています。日本ではこうした部分が損なわれつつあるように感じていて、取り残される分野や患者さんが出てきてしまうことを心配しています。

    三澤氏:どうしても企業はマーケットサイズで事業を考えるので、重要度が高くても、患者数が少ないと難しいといわれてしまうことがあります。今回NTT Comさんが希少疾患の研究にお付き合いくださるのは、とてもありがたいことです。

    一方、利益が出ないと持続可能性や発展性がなくなってしまいますので、マネタイズの戦略も私は一緒に考えたいと思っています。そうすれば、よりWin-Winな共同研究ができますし、社会貢献度も大きくなるのではないでしょうか。

    ——NTT Comとしては、社会的意義の大きな課題にどう向き合っていくのでしょうか?

    櫻井:企業として、利益を上げることによる株主へのコミットメントと、SDGsなどでいわれているような持続可能な社会の実現、両方の視点が必要だと思います。千葉大学医学部附属病院との共同研究は、NTT Comの2021年度のサステナビリティレポートにも掲載されていて、持続可能な社会に貢献すると捉えられています。一方、利益については、大学病院というハイエンドな環境で技術をブラッシュアップできれば、ほかの分野でも通用する技術になって、次の段階でビジネスにつながると考えています。

    もともと医療業界は、患者さんの個人情報の扱いに大変気を遣っています。GDPR(EU一般データ保護規則)にしろ、個人情報保護法にしろ、個人情報を扱うことに対する規制がどんどん厳しくなっていますし、今後もさらにそうなるでしょう。医療の世界で磨いた技術を広げれば、安心してデータを活用できる環境を作ることができて、さらに社会貢献できるかもしれません。

    ——技術をしっかり磨くことができれば、長期的にはちゃんと利益につながるということですね。

    櫻井:今回の千葉大学医学部附属病院との共同研究もあくまで「第1弾」で、長期にわたるものだと思っています。医師の方々は患者さんと向き合う中で、たくさんの想いやアイデアを抱えていらっしゃいます。それを形にしていくために、我々が持っている技術をうまく当てはめることができないか、一緒に考えていけたらと思います。

    NTTコミュニケーションズ スマートヘルスケア推進室の取り組みはこちらから。