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【津田大介】どんな仕事も初回は断らない。自分に課した辛いルールが広げた仕事の幅

「自分の力で道を切り拓き、生きていける人になりたい」と考える大学生や20代の若者は、どのようなキャリアを歩んでどのような力をつけていくべきか――。本企画は、日本を代表する経営者が悩める若者にエールをお届けする連載企画。第三回目のゲストは、かつては雑誌ライターとして、現在はジャーナリストとして、20年以上ベンチャー企業で挑戦する人を取材してきた、ジャーナリスト/メディア・アクティビストの津田大介氏です。津田氏は20代の頃にどのような意思決定をし、どのような経験を積んできたのか。またこれからの社会を生き抜くために必要な思考について、VENTURE FOR JAPAN代表の小松が話を伺いました。

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ジャーナリスト/メディア・アクティビスト
ポリタス編集長 大阪経済大学情報社会学部客員教授
津田大介

1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。テレ朝チャンネル2「津田大介 日本にプラス+」キャスター。J-WAVE「JAM THE WORLD」ニュース・スーパーバイザー。
メディアとジャーナリズム、著作権、コンテンツビジネス、表現の自由などを専門分野として執筆活動を行う。近年は地域課題の解決や社会起業、テクノロジーが社会をどのように変えるかをテーマに取材を続ける。
主な著書に『情報戦争を生き抜く』(朝日新書)、『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書)、『動員の革命』(中公新書ラクレ)、『情報の呼吸法』(朝日出版社)、『Twitter社会論』(洋泉社新書)ほか。2011年9月より週刊有料メールマガジン「メディアの現場」を配信中。

出版社は全滅。編集プロダクションにアルバイト入社

――津田さんは学生時代からライターやジャーナリストを目指していたのでしょうか?

高校生のとき新聞部に所属していたこともあって、将来はマスコミに行きたいと漠然と思っていました。当時読んだ別冊宝島シリーズの『ライターの事情』という本に、フリーのライターになるには、まず大学に進学して出版社を経て独立するのが王道のルートだと書かれていたので、マスコミに出身者が多い早稲田大学に進学。

ただ、大学でキャリアを考えて意識高く何かに取り組んだわけでも、真面目に授業に出ていたわけでもなく、趣味の音楽に明け暮れるような怠惰な大学生活を送っていました。

大学3年生になると、好きな音楽の道に進むのか、もともと行きたかったメディアに就職するかを考えるようになり、可能性を知るためにも自分で作った曲をデモテープに撮ってオーディションに応募したんですね。

しかし、最終選考までは通過したものの、優勝は勝ち取れずにインディーズデビューを逃すことになりました。このとき、自分にはプロになれるほどの実力はないんだと実感したと同時に、音楽は趣味で十分だと思えるように。

そこで、音楽の道はきっぱりと諦めて、ライターになるべく東京の出版社の採用試験を受けました。ただ、こちらの道も筆記試験は通過しても面接で受からずに、全滅してしまったんです。

結局、小さな編集プロダクションにアルバイトとして入社し、キャリアをスタートさせることになりました。

今ならインターネットでいくらでも情報を得られるから、実力をつけるためにインターンシップに参加したり、NPOやVFJのような取り組みがあれば応募したかもしれません。でもインターネットが普及しておらず、情報が限られていた当時は、これが精一杯でした。

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紙の雑誌で足場を築きながら、インターネットを学ぶ

――アルバイトからキャリアを始めた津田さんは、どのような20代を過ごしたのでしょうか。

当時、新人研修のようなものはなく、仕事の仕方はもちろん、名刺の渡し方も知らないから、仕事を覚えるまでは本当に辛かったです。誰かが教えてくれるわけではないので、編集者の取材に同行しては、行動や仕事の仕方を見よう見まねで覚えていきました。

それでも、いずれフリーになることを目指し、とにかく経験を積んで実力を磨くことだけを考えて、がむしゃらに働いていたと思います。

その編集プロダクションで1年半働いた後、1999年に独立。25歳のときです。独立した当時、バブルは崩壊していましたが出版業界は順調だったので、依頼いただく雑誌の仕事を片っ端からこなし、仕事を増やすことに注力していました。365日中360日くらいは何かしらの原稿を書いていたと思います。

そうして、雑誌の仕事で足場を築いていたのですが、同時にインターネットが徐々に普及し始めていた頃でもあるので、このまま紙の雑誌に依存していたのでは立ち行かなくなる、先細りになると感じるように。

だから独立後の3年間は、依頼いただく雑誌の仕事と並行して、「インターネットはどのように各種業界や世の中を変えるのか」といったテーマの取材を意図的に増やしていきました。

加えて、いずれ自分の名前で商売ができるようになるためにも、インプットした専門的な情報は、毎日ブログでアウトプットするようにしたんですね。するとブログを始めて1年が過ぎたころ、「単行本を書きませんか」と声をかけていただき、人生で初めてとなる実用系ではない、読み物系の単行本を出版するに至りました。

目の前の仕事をとにかくこなし、必死に種を蒔き続けた20代の努力が30代になって実を結び、自分の名前で仕事ができるようになったのです。

この経験が今の自分の強さにつながっていることは間違いないのですが、もし最初から大手出版社に入社できていれば、もう少し早いタイミングから自分の名前で仕事ができていたかもしれないので、遠回りしたなとも思っています。

自分に課した、どんな仕事でも初回の依頼は断らないルール

――20代のときに、しんどかったけれど振り返ってみると成長したなと思う経験はありますか?

独立したとき、自分でルールを作ったんです。それは、新規の仕事の依頼は、ギャラに関係なく必ず一度は受ける、断らないというルール。

実はこれがしんどくて、どれだけ安いギャラを提示されても断れないし、文系の僕にとって理系の専門的な取材は苦手だけど断れない。日々勉強と取材と原稿に追われて、時間が足りない状況に陥りました。

だけど、このルールを作ったことで仕事の幅が広がりましたし、新しい未経験の仕事も臆することなくチャレンジできるようになったのだと思います。

だから、もしフリーランスになりたいと考えている人がいれば、ぜひ初回の仕事はどんな仕事でも引き受けるというルールを作ることをオススメしたいですね。もちろん、まったく知らない人と仕事をする場合、とんでもないトラブルに巻き込まれる可能性もゼロではないので、ある程度信用できる取引先であれば、という前提はありますが。

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集中的に学べる環境、多様な人と出会える環境に身を置く

――就活生と話をすると、新卒一括採用という社会の仕組みに乗るべきなのか悩んでいる人が一定数います。そういった人たちにアドバイスをお願いします。

独立して2年目くらいですかね。仕事が軌道に乗り始めた頃に、大手出版社からスカウトをいただいたんですね。声をかけてもらったことがすごく嬉しかったから、就職するかどうしようかすごく悩みました。

ただ、そこで引っかかったのは、出版社に行くと出版社の仕事しかできないこと。すでにお声がけいただいた出版社以外ともいろんな仕事をしていたので、どちらに身を置いた方が楽しいのか、成長できるのかを考えた結果、出版社の話は断りました。

当時、出版社に行っていたらどんな人生を歩んでいたのかは、今でもよく考えます。でも、行かなかったからこそ、ジャーナリストとして食べていけている自分がいるのは紛れもない事実だなと。

多様な人と出会い、いろんな仕事をしていけば、のちの人生に必ず生きてきます。だから、新卒一括採用でなんとなく会社に入社するくらいなら、多様な出会いがある場に身を置いた方がいいと思いますよ。

その意味では、人生に選択肢を増やせるVFJのプログラムに参加するのは、とてもいい選択だと思います。大企業では3年や4年、もしかしたら10年経ってようやく任されるような仕事を、1ヶ月目から任されるような組織は日本にほとんどないでしょう。

企業の歯車の一部になることに違和感があるなら、ビジネスを主体的に動かしていくような、しんどくても濃い経験を若いうちから積んだ方が、未来の自分のためになります。

しかも、VFJは2年間という期限付きなので、限られた期限の中で、自分はどうなりたいのか、2年間で何を成し遂げるのかなど、自分と向き合いながら集中的に学べるのも良い点です。きっと、2年後にはどの企業にとっても重宝される即戦力の経営人材になっているはずですし、未来の選択肢を想像以上に増やすことになると思いますよ。


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