「トップマネジメントに訊く」ゴルフダイジェスト・オンライン石坂信也社長×Longine朝永久見雄
2014/01/15, Longine
Longine(ロンジン)編集部より
日本最大級のゴルフ総合ポータルサイト「ゴルフダイジェスト・オンライン」の石坂信也社長にお話をお伺いしました。若くて行動力のある石坂社長の今後の動向に注目しています。ゴルフダイジェスト・オンラインは、国内ゴルフ人口の4人に1人に当たる230万人の会員を持っており、ゴルフ専門ネット企業として、スマホ普及による恩恵を大きく受けることが予想されます。
ゴルフダイジェスト・オンライン(以下「GDO」)ってどんな会社?
「世界№1のゴルフサービス企業」を目指すGDOは、2000年5月に現社長の石坂信也氏により設立され、2004年に会社設立わずか4年でマザーズ上場を果たしました。国内のゴルフ人口は800万人程度と言われていますが、GDOクラブ会員数は2013年10月末で231万人と、ゴルフをする人の4人に1人以上が会員になっています。世間一般では、カード発行枚数や会員数の多さだけが単純に比較されるケースが多いですが、実は、マーケティングツールとして重要なのは、単純な総会員数の多さよりも、会員特性をどこまで細かくセグメンテーションできるかということです。その点、GDOの強みは何と言っても、ゴルフを好きな人達に限定された231万人の詳細なデータを持っているという点になります。GDOはこの会員データを武器に、小売事業、ゴルフ場予約事業、メディア事業などを営んでいます。
月間41万人をゴルフ場へ送客しています
GDOクラブ会員数は231万人とお話ししましたが、GDOのサイトへの月間訪問者数は1,200万人以上に及び、月間41万人の方をゴルフ場に送客しています。メルマガ登録者数は122万人、メディアコンテンツへのビジター数は月間636万人、eコマースによるゴルフ用品販売顧客数は月間85万人と、ゴルフ専門会社として非常に高い存在感を示しています。また、ゴルフという分野に特化していることから、大手総合型企業と比較して、将来の戦略も非常に明確に示されています。
34歳の時に会社を設立
石坂社長は1966年東京都生まれ。父親の転勤により小学1年生でアメリカへ渡り、13歳で帰国しました。日本の大学を卒業した後は三菱商事に入社。燃料部でアジア地域などを担当し、1997年には社内留学制度でハーバード・ビジネススクールへ行きMBAを取得しました。帰国後、金融部で企業買収やベンチャー投資などに従事した後、2000年5月、GDOを設立しました。
初代財界総理と言われる石坂泰三について
吉田茂氏から大蔵大臣就任を打診されたが拒否したという逸話も残るあの石坂泰三氏(1886年-1975年)は、石坂社長の祖父にあたりますが、自身は小学1年の1973年に渡米していたこともあり、あまり記憶に残っていないそうです。社会人になって、城山三郎著「もう君には頼まない」などを読んで、祖父の生き方、経営者としての立ち振る舞いを見習い、少しでも近付きたいと思ったと言います。石坂泰三は、第一生命保険社長、東京芝浦電気(現・東芝)社長を経て、第2代経済団体連合会(経団連)会長(在任、1956年(昭和31年)2月21日~1968年(昭和43年)5月24日)4期、12年務めました。三井銀行頭取らから依頼され東芝に転じた当時は、下山事件、三鷹事件などが起こり、労組関係が非常に厳しい時代で、普通であれば、別の交渉人を立てるところを、自らが労働組合に社長就任の挨拶のため単独で乗り込んで行くなどしたことで、東芝の再生を果たしたとも言われています。
「正しく踏めば、恐れることなかれ」
社会人になって、母親から祖父直筆の漢文の書「正しく踏めば恐れることなかれ」という言葉を受け取り、祖父が命名した信也という名前とともに、この言葉が石坂社長の座右の銘となっているそうです。「経営者として、儲かるか儲からないかではなく、正しいか正しくないかを基準に考える。私が自信を持ち正しいというやり方で道を進んでいれば、なにも恐れる必要はない。つまりは、要点さえ外していなければ、チャレンジすることに間違いはない。この言葉をもらって、その意味を常に胸に刻んでいます」(石坂社長)。
英語脳で苦労も
小学校、中学校はアメリカ育ちの超スポーツ少年で、住まいは、サンフランシスコ郊外のサンマテオ(San Mateo)。シリコンバレーは、すごく埃っぽい所で、大学以外は何もなかったというのが、子供の頃の印象だそうです。市内の補習校(土曜日だけの日本人学校)には小学校1年の時だけ通い、2年生からは、補習校に行かせないでくれと頼み込んで、休みはスポーツに没頭。それ以後はずっと現地校だけに通ったため、13歳で日本に帰って来た時の日本語は本人曰く絶望的で、漢字は名前と数字の10までしか書けなかったそうです。石坂社長も、現地人化している3人の姉と同様にインターナショナル・スクールに編入する予定でしたが、入学の1週間前、ふと「それでいいのか?」と疑問がよぎります。「姉達とは英語で会話をしていましたので、英語が母国語のようでした。当然私もインターナショナル・スクールと思っていたのですが、いや、私は男として日本人として、一度は日本の教育を受けなきゃいけない、と思い直したのです。それで急遽、日本の中学に一学年落として入れてもらいました」(石坂社長)。
その後、必死で、日本語を勉強すると同時に、帰国時の英語力にとどまってはいけないという問題意識から、英語の本も読み続け、今でも英語で考えるようにしているそうです。その努力もあって、13歳までしかアメリカにいなかった割には、ビジネスでアメリカ人と話すとネイティブのように思われるそうですが、「一時期、私は自分をアメリカ人だと思っていましたので、流暢に英語のやりとりできないことがコンプレックスなんです」(石坂社長)と言います。
ハーバード・ビジネススクールで様々な刺激
海外との接点、海外との橋渡しが、漠然としたやりたい仕事だったので、就職活動の候補先は、商社または海外を強化しているメーカーで、その中で最も好感を抱いた三菱商事に入社、燃料部門で社会人生活をスタートします。そのまま花形の燃料部にいることもできましたが、「このままではダメだ」との心の声に従い、社内MBA派遣制度にトライ、一番ハードルが高いと言われるハーバード・ビジネススクールにチャレンジ、1997年、見事に合格します。「ここでは、興味の深かった金融系について学んでいましたが、当時のアメリカは、まさにインターネットブーム、起業ブームで、感化されました。授業の一環で、いくつかビジネスプランを書く課題もあったのですが、1つくらいは日本のビジネスで、私ひとりでプロジェクトを手がけ、かつ好きなテーマを盛り込んだレポートにしようと考えました」(石坂社長)。これがGDO発想の原点になります。
そして起業へ
「金融を学びながらも、ネットで何か立ち上げたい、と考えるようになり、インターネットの授業も専攻し、ネットビジネスと好きなゴルフをヒントに、アメリカのゴルフ検索サイト(予約不可だが、お客様の口コミあり)をイメージし、また私のサラリーマン時代のゴルフ幹事の体験から、日本のゴルフ場ガイドで口コミ評価があり予約もできる、というビジネスモデルを考えました。ゴルフ雑誌の仕事をしていた従兄弟に色々教えてもらううちに、授業の課題としてやっていた発想が、ビジネスとして成り立つのではと思ったものの、とりあえず課題を書き終えて卒業しました」(石坂社長)。
「私がやりたいゴルフのネットビジネス。しかし、バブル崩壊でゴルフビジネスそのものが、もう終わっている業界だと思われていて、三菱商事の社内ではやらせてもらえないだろう。でも、みんなが弱気で、誰もしていないなら逆にチャンスもあるのではという強い思いがありました。それが1999年の終わりです」(石坂社長)。そして、三菱商事を辞め、2000年5月、夢であった会社を立ち上げました。
ゴルフダイジェスト社と組む
「ゴルフダイジェスト社の社長は私の従兄弟です。出資をお願いし、さらに、ゴルフダイジェストの名前を使わせて欲しい、でも会社の形態は完全に独立した形という条件でお願いしました。私のやりたいことは出版とは違っていたので、一部門では新ビジネスとして育たないと思ったのです。本当に虫の良い話で、時間を掛けて説明して、最後は、従兄弟もそれを快諾してくれました。当時はゴルフ場の破たんが相次ぐ環境の中で、三菱商事を辞めてゴルフビジネスを立ち上げる点に、真剣さを感じてくれたのだろうと思います」(石坂社長)。
起業するにあたって、石坂社長がこだわったポイント
「真っ先にこだわったのは、まったく新しく組織した人材でやっていくこと。2つめは、多角的な展開です。初めて起業するベンチャー企業ですから、できるだけ複数の収入源を作ることを重視しました。それで、現在の主要3事業すべてを早い時期からスタートしました。周りからは選択と集中すべきだと言われましたが、ゴルフにしぼったニッチなビジネスなので、ニッチの中で多角化すべきだと思ったのです」(石坂社長)。そして、もう一つこだわったのが資本金で、ベンチャーキャピタルなどは入れずに、半年間は収入が無くてもシステム開発投資を続けられる金額を設定して、事業を始めたそうです。
リスクマネジメントに重点を置いて経営
「経営の基本的考え方としてとても大事にしているこだわりは、リスクマネジメントです。私は、商社時代、タンカーなどのオペレーションや貿易全般の仕事に携わっていました。タンカーがどこかでぶつかったら、ドカーンと爆発してしまいます。『うまくいくこと』だけではなく、『うまくいかない場合のシミュレーション』をいくつも考えることをたたきこまれました。さらにビジネススクールでもリスクを科学的に分析することを徹底的に学びました。私が会社を始めるときも、『うまくいかなかった時の対処法』を、重点的に考えました」(石坂社長)。
気分転換
こんな石坂社長は、子供との時間が楽しく、休日は一緒に山に行ったり、釣りに行ったりすることが最高の気分転換と言います。一方、ほとんどのサラリーマンからはうらやましい話ですが、「社長のゴルフ熱がどんどん冷めている」という噂を流されるなど(もちろん冗談ですが)、ゴルフの回数が以前より減っていることが問題視されたことから、今年は積極的にゴルフの時間を割きたいとのことです。
ゴルフをツールに、無限の可能性を秘めたビジネスモデル
「例えば、山梨のゴルフ場の近くには立派な温泉街があり、ワイナリーもありますが、連携している気配はありません。街も、ゴルフ場も、温泉街も、ワイナリーもMIXして、結束したら、もっと大きな展開になるのではないかと考えています。GDOが手がけているのは、何かをマッチングさせていくプロデュースビジネスだと思っています。ゴルフでいえば、ゴルフ場はツール。ゴルフ場は、すでに全国各地の都道府県にあって、男女、年齢に関係なく一緒に楽しめる独特なスポーツだと思います。このゴルフを通じた、コミュニケーションの場を、もっと活性化していきたいと考えています」。「ゴルフは親子でも、おじいちゃんと孫でも、年齢に関係なく半日一緒に触れ合える遊びです。野球やサッカーではそうはいきません。年が離れていても、海外の人とでも一緒に楽しめるスポーツって他にありません」(石坂社長)。
『ゴルフで世界をつなぐ』
「日本のゴルフ業界は依然として厳しいです。でも、ゴルフでできることはまだまだたくさんあると思っています。それにアジア全体という広い視野で見ると、ゴルフは成長分野です。中国や東アジア、またゴルフ市場が成熟しているアメリカへの進出も考えて、社内では外国人を交えてのミーティングも行っています。GDOの中長期戦略は、『2020年、世界No.1のゴルフ総合サービス企業』です」(石坂社長)。
お客様から見たGDOは、ゴルフのポータルサイトとしての姿に過ぎないかもしれませんが、その裏側では、ユーザーニーズをゴルフ場に伝え、システム開発を行うゴルフ場事業のコンサルティングに他なりません。最近では小売分野にもそのノウハウの活用を始めています。ゴルフをツールにしたコミュニケーションの場が拡大していくことで、これからのGDOには無限の可能性が拡がっていくことが期待されます。
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