「ロケットエンジンは魔物」――。

日本の次世代ロケット「H3」のプロジェクト・マネージャーを務めるJAXAの岡田匡史氏はかつて、ロケットエンジン開発の難しさを、こう表現した。

そして、H3の初打ち上げまで1年を切った2020年5月、この魔物が牙をむいた。完成に向けて試験を進めていた、H3ロケットの第1段メイン・エンジン「LE-9」に、新たに2つの技術的課題を確認。その対策のため、初打ち上げが2021年度へ、約1年延期されることとなった。

これを受け、JAXAは2020年9月18日に記者勉強会を開催。岡田氏が、LE-9を襲った技術的課題と、その対策などについて語った。

  • H3

    H3ロケットの想像図 (C) JAXA

LE-9エンジンとは

H3ロケットは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と三菱重工業が開発を進めている、日本の次世代大型ロケットで、LE-9はその第1段に装着されるメイン・エンジンである。

LE-9は、現在H-IIAロケットの第1段エンジンとして使用されている「LE-7A」と同じく、燃料に液体水素、酸化剤に液体酸素を使う。だが、エンジンを動かす仕組みが、LE-7Aの「二段燃焼サイクル」から、「エキスパンダー・ブリード・サイクル」というものに変わっている。

エンジンを動かす仕組みにはさまざまな種類があり、それぞれに一長一短がある。たとえば二段燃焼サイクルは、ターボ・ポンプ(燃焼室に推進剤を送り込むための強力なポンプ)を動かすために、まずプリ・バーナーという小さな燃焼室で推進剤を燃やして、そのガスでタービンを回してターボ・ポンプを動かす。さらに、タービンを回したガスも燃焼室に送り込んでいっしょに燃焼させる。推進剤を2段階で完全に燃焼させることから、この名がある。

この仕組みは、推進剤をいっさい無駄にすることなく噴射に使えるため、効率の良いエンジンにできるという長所がある。しかし、エンジンのなかにもうひとつエンジンがあるようなものなので、構造が複雑になり、また各所にかかる圧力や温度の条件が厳しく、どこかで不調が起きると途端に爆発する危険性がある。さらに、エンジン起動のタイミングの制御も難しいなど、製造や運用が難しいという短所もある。

いっぽう、LE-9のエキスパンダー・ブリード・サイクルは、燃料として搭載している液体水素の一部を、燃焼室やノズルの冷却に使い、その際に温められて生成される高温、高圧のガスを使ってタービンを回す。そのためプリ・バーナーはない。また、そのガスはエンジンの噴射には使わず、そのままロケットの外に捨てる。

これにより、効率は二段燃焼サイクルより劣るものの、エンジン全体のパーツ数を減らすことができ、また異常な燃焼状態になりにくいなどの特長がある。壊れにくいため安全性も高く、運用もしやすいエンジンにできるのである。

H3ロケットは高い柔軟性と信頼性、そして低価格を実現することを目指しており、そのために、こうした特長をもつエキスパンダー・ブリード・サイクルのLE-9エンジンの実現は必要不可欠でもある。

エキスパンダー・ブリード・サイクルはすでに、H-IIロケットの第2段エンジンの「LE-5A」や、H-IIA、H-IIBの第2段エンジン「LE-5B」、「LE-5B-2」で採用されており、日本にとっては得意とする技術でもある。

ただ、ロケットの第1段エンジン、すなわち大推力を出すためのエンジンに、このサイクルが採用された例は古今東西ない。たとえばエンジンのパワー(推力)だけで比べても、LE-5B-2の14tに対して、LE-9では150tと10倍以上にも増えており、エンジンの各部分にかかる熱や圧力なども大きくなる。

また、エンジンの冷却に使って発生したガスでタービンを回すという仕組み上、エンジンの性能を上げるためには、冷却時にエンジンから効率よく熱を吸収したり、タービンの効率を上げたりといった必要があるなど、多くの困難もある。

さらに、3Dプリンターによる部品製造や、世界初の大型電動弁による可変推力など、先進的な、しかし将来を見据えれば必要不可欠となる新技術も多数投入された。こうしたことから、LE-9の開発は大きな技術的挑戦となった。

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    LE-9が採用するエキスパンダー・ブリード・サイクルの概要や特長 (C) JAXA

今回の問題が起こるまで

JAXAはまず、大推力のエキスパンダー・ブリード・サイクルのエンジンが本当に実現できるのかどうかを確認するために、2005年から約10年かけて、「LE-X」という技術実証エンジンの研究を実施。LE-5Bエンジンに比べて3倍の燃焼圧、10倍の推力が実現可能な目処を得た。

そして2014年から、LE-9エンジンの開発がスタート。LE-Xエンジンの研究で取得したデータを基に、設計、製造が進められた。2017年からは技術試験が始まり、とくに重要なターボ・ポンプ単体の試験をはじめ、エンジンを構成する要素単位での試験が行われたのち、2017年4月27日からLE-9の実機型エンジンの燃焼試験が始まった。

この「実機型」というのは、ロケットの実機に使うモデルという意味ではなく、技術試験用のモデルという意味である。この前に実施した要素単位での試験より実機に近いものなので実機型と呼ばれている。この実機型エンジンによる試験のあと、実際にロケットに使うモデルとなる「認定型」エンジンの燃焼試験に移り、そして設計の型式(かたしき)を認定することとなっていた。

しかし、実機型エンジンの燃焼試験において、大きく2つの問題が生じた。ひとつは、3Dプリンターで製造した噴射器の燃焼特性が想定と異なるものであったこと。もうひとつは液体水素ターボ・ポンプのタービン動翼に共振(物体が外部の振動と同期してさらに大きく振動してしまう現象)が起き、「疲労破面」と呼ばれる、繰り返しの力を受け、物体の強度が低下したことで発生した、ひびのようなものが確認されたことである。

これを受け2019年10月、JAXAはLE-9の開発計画を見直し、2段階の認定計画にすることとした。まず第1段階では、3Dプリンターではなく、実績のある機械加工によって製造した噴射器を使用。また、タービンを共振する領域を避けて運転することとした。この第1段階で認定されるエンジンは「タイプ1エンジン」と呼ばれ、これらの対策の結果、性能に大きな変化は生じないものの、エンジンの使用にやや制約が生まれることとなった。

もっとも、タイプ1エンジンは試験機1号機でのみ使用することとなっており、H3の計画全体に大きな影響が生じることはないとされた。すなわち、1号機の打ち上げを2020年度内に間に合わせるための方策だったのである。

その後、第2段階で認定する「タイプ2エンジン」では、当初の計画どおり3Dプリンターで製造した噴射器を使用し、またタービンも共振領域そのものの排除した新設計のものを使用。タイプ1のような使用上の制約もなくなり、本来の性能や能力、コストを発揮できるようになるとされ、試験機2号機から使用する計画だった。

そして、この方針に基づき、今年2月からタイプ1エンジンの認定燃焼試験がスタート。認定燃焼試験というのは、実際の打ち上げに用いるエンジンと同等の設計・プロセスで製造した試験用エンジンによる機能・性能の確認、寿命実証を目的とした燃焼試験で、運用時に遭遇し得る環境を想定した、厳しい作動条件を含む試験を繰り返し実施。これまでに計8回、累計1098.5秒間の燃焼をこなした。

しかし、今年5月26日に8回目の試験を実施し、その翌日にエンジンの内部点検を行ったところ、新たに2つの技術的な問題が確認された。

LE-9の開発が佳境に入り、H3ロケット試験機1号機の打ち上げまで1年を切ったタイミングで、魔物が牙をむいたのである。

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    H3ロケットの第1段メイン・エンジン「LE-9」燃焼試験の様子(なお、写真は今年2月に行われた、LE-9認定型#1エンジン第1回目燃焼試験のときのものであり、今回の問題が発生したときのものではない) (C) JAXA