ミユビハリモグラ、豪大陸にも生息か

2013.01.09
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ニューギニア島に住む野生のミユビハリモグラと対面する動物学者クリストファー・ヘルガン氏。

Photograph by Tim Laman, National Geographic
 ミユビハリモグラは、トゲに覆われた体で、とがった細長い口先と先端が4本に分かれたペニスを持ち、卵と排泄物を同じ総排出腔から排出する。これ以上に奇妙な哺乳類はいないだろうと思われるこの動物は、ニューギニアにのみ生息する。個体数は約1万と推定され、絶滅の危機に瀕している。かつてはオーストラリアでも生息していたが、約1万年前に絶滅したと考えられていた。 しかし最近になって、ミユビハリモグラが少なくとも1900年代初頭までオーストラリアで繁殖していたことを示す確かな証拠が出てきた。現在もまだ生き残っている可能性さえあるという。

 ミユビハリモグラに関する新しい研究を発表したのは、スミソニアン研究所で哺乳類担当学芸員を務める動物学者のクリストファー・ヘルガン(Kristofer Helgen)氏だ。ナショナル ジオグラフィック協会のエマージング探検家でもあるヘルガン氏は、1901年にジョン・T・タニー(John T. Tunney、1871~1929年)がオーストラリアで入手した皮と頭骨は、ニシミユビハリモグラのものと確認したと発表した。この標本は西オーストラリア州キンバリー地域の西部で見つかったもので、長年にわたり誤った鑑定のまま置かれていた。

 ヘルガン氏は昔からハリモグラに魅せられていたという。彼が目にしたことのある野生のミユビハリモグラはわずかに3体だ。「要するにミユビハリモグラを捕まえるのは難しいということだ。内気な性質でひっそりと暮らしている。もし見つけることができるとしたら、それは幸運に過ぎず、出会いは偶然に任せるしかない」と同氏は話す。

 実際のところ、ヘルガン氏が行ったオーストラリアの標本鑑定においても偶然が働いた。2009年に同氏はロンドン自然史博物館を訪れ、ハリモグラの資料を可能な限りすべて見せて欲しいと求めた。そして十分な鑑定情報が揃っていない標本を集めたハリモグラ棚の一番下の引き出しをじっくりと調べ、何十もの標本が詰まった引き出しの中から、最も下にあった標本をつまみ出した。

「取り出してみると、以前に見たことのあるタグが付いていた。見たとたん、興奮を覚えた。動物学者として博物館で仕事をしていると、ある種のタグをしょっちゅう目にする。収集家の名刺のようなものだ。そのタグがジョン・タニーの手書きタグだということはすぐに分かった」。

 ジョン・タニーは20世紀初頭の著名な博物学者で、博物館のための標本採集探検を行っていた。ウォルター・ロスチャイルド男爵(1868~1937年)の私設博物館(現在のウォルター・ロスチャイルド動物学博物館)の標本を集めるため、1901年に赴いたオーストラリアで問題のミユビハリモグラの標本を見つけた。タニーはタグに「アンダーソン山(西部キンバリー地域)」と産地を書き、「希少」と印をつけたが、種別鑑定の項目には何も書き込まなかった。タニーが引き揚げた後、標本は鑑定のためパースにある博物館へ送られ、ただのハリモグラとしてロスチャイルドの博物館に戻ってきた。

 長い口先や大きな体、そして3本爪の足という標本の特徴から、ヘルガン氏はミユビハリモグラに違いないと判断した。通常のハリモグラは現在もオーストラリアに生息する。ミユビハリモグラと違って足の爪は5本あり、口先は小さく、体格は半分ほどだ。ミユビハリモグラは最大で16キロもの大きさになる。

 混乱の原因は何だったのか。トゲに覆われたオーストラリアのハリモグラは、世界的に見て最も珍しい動物の1種だ。なにしろ卵を産む哺乳類は、大きく分けてカモノハシとハリモグラのわずか2種類しか知られていない。

 20世紀の間にタニー標本がどのような道をたどってきたのか調べ始めたところ、ヘルガン氏は同じ標本に巡り会ったもう1人の魅力的な人物の存在に気がついた。その人物とはオールドフィールド・トーマス(Oldfield Thomas、1858~1929年)。哺乳類分類学者としては歴史上最も偉大といえるかもしれない。トーマスは、現在知られる全哺乳類のほぼ6分の1の種について分類を行った。

 トーマスがロンドン自然史博物館の動物学部門に勤めていたときに、タニーの標本が届いた。この時点ではまだハリモグラと分類されていたが、トーマスはそれが実際にはミユビハリモグラだと気がつき、オーストラリアにおけるミユビハリモグラの記録と示すために頭骨と足の骨の一部を皮から取り外した。そして、何事かのせいでそのまま放置された。

 トーマスがこの情報を開示しなかった理由は誰にも分からない。標本はヘルガン氏が現われるまで、80年間も引き出しの中で眠るままとなった。

 タニー標本が実際にオーストラリア由来のものと確信したヘルガン氏は、オーストラリア博物館のフェロー研究員マーク・エルドリッジ(Mark Eldridge)氏にその可能性について打診した。エルドリッジ氏の返事は「ミユビハリモグラがキンバリー地域にいた可能性を私に訊ねたのは、あなたが最初ではない」というものだった。キンバリー地域は、大陸の西側3分の1を占める西オーストラリア州の一番北にあたる。研究論文の共著者ジェームズ・コーエン氏は、2001年に同地域で行った現地調査で、アボリジニの女性から「祖母がよく(ミユビハリモグラの)狩りをしていた」との証言を得ている。

 シドニーにあるマッコーリー大学のティム・フラナリー(Tim Flannery)教授は、「オーストラリアにミユビハリモグラが近年まで生き延びていたことを示す最初の証拠となる。ハリモグラと識別されていたオーストラリア北部の個体について見直さざるを得ない大きな発見だ」と語った。

 ヘルガン氏は、オーストラリアで野生のミユビハリモグラが見つかることについて楽観はしていないが、オーストラリアの自然を熟知しているアボリジニへの聞き取りを含む調査を行いたいと考えている。可能性は少ないかもしれないが、野生の個体が見つかれば、「ミユビハリモグラをめぐる物語の素敵な結末になる」。

 研究結果は「ZooKeys」誌に2012年12月28日付で掲載された。

Photograph by Tim Laman, National Geographic

文=Christy Ullrich

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