ハラム・アッシャリーフ(読み)はらむあっしゃりーふ

世界大百科事典(旧版)内のハラム・アッシャリーフの言及

【エルサレム】より

…19世紀半ばまでは全市民が城壁の内側で生活していたが,その北西部分がキリスト教徒地区,南西部分がアルメニア人地区,中央部の南がユダヤ教徒地区,北東部から中央部にかけてがイスラム教徒(ムスリム)地区と分かれていた。大きく南東隅に広い平たんなスペースをとって,イスラム教徒がハラム・アッシャリーフal‐Ḥaram al‐Sharīf(高貴なる聖所)と呼ぶ区域があり,ここに金色に輝く岩のドームアクサー・モスクとがある。この区域はもとソロモンの建立した第一神殿,またバビロン捕囚後に再建された第二神殿があった場所で,モリヤMoriahの丘とも呼ばれた。…

※「ハラム・アッシャリーフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」