◆大相撲 ▽夏場所14日目(27日、東京・両国国技館)
4場所連続休場明けの横綱・照ノ富士が昨年夏場所以来、1年ぶり8度目の優勝を決めた。唯一の2敗で追っていた関脇・霧馬山に寄り切りで快勝。昨年10月の両膝手術などからの復活を遂げた。3場所連続全休明けで優勝の横綱は1968年秋場所の大鵬、89年初場所の北勝海に次いで3人目となった。大関取りの霧馬山に関し、番付編成を担う審判部が千秋楽の28日に部内で昇進を協議することで一致。場所後の大関昇進が決定的となった。
1年ぶりに賜杯を自らの手に取り戻した照ノ富士は、勝ち名乗りを受ける際もまだ闘志が残っていた。歓声が降り注ぐ中、威風堂々と花道を下がった。「やることを精いっぱいやってきて良かったな、という思い」と久々の優勝をかみしめた。
8度目のVを決めた一番は1分9秒5の大相撲だった。大関昇進を決定的にしている霧馬山に左を差されたが、動じなかった。抱えて耐えると1枚ながら両前まわしをつかんだ。粘る相手を右のど輪でとどめをさしつつ寄り切った。「大関とやっている感覚でやっていた」と気を引き締め、全てを出し切って13勝目をつかんだ。
昨年10月に両膝を内視鏡手術。骨棘(こっきょく)という骨のとげが大きくなり、右膝に水がたまった。執刀した船橋整形外科病院の高橋憲正副院長(54)によると、右足は相手の体重を受け止める側で、横綱自ら「相撲が取れない」と判断。以前から状態が悪い左膝も含めて手術に踏み切った。可動域が改善されるなど大きなメリットはあったが、長期休場の代償も払った。
だが、大関から序二段に転落しながらも、最高位まではい上がった精神力は並大抵ではない。「どんなときもプラスに考えないと」。“復活ロード”も常識外れのスタートだった。伊勢ケ浜部屋専属トレーナーの篠原毅郁氏(62)によると手術翌日には退院。2、3日後には松葉づえも返却し、歩行も開始、上半身のトレーニングも再開したという。同氏は「普通では考えられない」と思わず苦笑する。
もちろん細心の注意も払った。春場所休場の原因の一つの糖尿病にも対処。血糖値を体に張って計測できるシール状の装置を導入し、常にチェックすることでコントロール。場所中も痛み止めなどの処置を施し、状態を保ってきた。高橋氏は「(自分の)体をわかっている」と目を見張った。
復活劇に八角理事長(元横綱・北勝海)は「精神的にもやっぱり横綱」と、たたえた。6月11日に控えるドルジハンド夫人との披露宴にも花を添えた。ただ、まだ1日残っている。「いい千秋楽を迎えられたら」と横綱。最高の形で初夏の土俵を締めくくる。
(三須 慶太)
◆照に聞く
―今回の優勝の味は。
「いろいろな思いがあって、もう一回、頑張る気持ちで臨んだ場所。一日一日を無駄に過ごしたくないという思いでやってきた。気が抜ける時もあったが、切り替えて頑張ってきて良かった」
―霧馬山とは熱戦。
「本当に力がついた。この何場所か見ても、いい相撲を取り続けてきていたので、全てを出し切って取り切れて良かった」
―最近は優勝者が代わる代わる。横綱の力を示した。
「それだけ、みんなが成長して、優勝はそう遠くないという意思でやっているから、そういう結果になる。決して今の力士が弱くなっているわけではない。どう見てもいい相撲が多い」
―師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)へ。
「親方、おかみさんがいないと、今の自分はないし、1度の優勝くらいで返せないくらい恩を感じている」
◆照ノ富士優勝記録メモ
▽横綱の3場所連続全休明けV 15日制では68年秋場所の大鵬、89年初場所の北勝海以来、3人目。
▽横綱の4場所以上連続休場明けV 昭和以降5人目。他には白鵬(6場所)、大鵬(5場所)、柏戸と北勝海(4場所)がいる。
▽優勝回数 8度目で北勝海に並ぶ。
◆照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお)本名・杉野森正山。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。31歳。伊勢ケ浜部屋。鳥取城北高から間垣部屋(当時)に入門し、2011年技量審査場所で初土俵。14年春場所に新入幕。15年夏場所の初優勝後に大関昇進も、両膝のけがなどで序二段まで転落。20年7月場所で再入幕。21年名古屋場所後に第73代横綱に昇進し、同8月に日本国籍を取得した。幕内優勝8度。得意は右四つ、寄り。192センチ、174キロ。既婚。