日本テレビ・藤井貴彦アナがコロナ禍でメッセージを発信する理由と言葉選びの工夫

「キャプテン」としてチームをまとめる藤井貴彦アナウンサー(カメラ・佐々木 清勝)
「キャプテン」としてチームをまとめる藤井貴彦アナウンサー(カメラ・佐々木 清勝)
熱く語る藤井貴彦アナウンサー(カメラ・佐々木 清勝)
熱く語る藤井貴彦アナウンサー(カメラ・佐々木 清勝)

 日本テレビ・藤井貴彦アナウンサー(50)は同局系ニュース番組「news every.」(月~金曜・後3時50分)のメインキャスターを努める同局の“夕方の顔”だ。2010年3月の番組開始から出演を続け、13年目に突入した。昨年のオリコン「好きな男性アナウンサーランキング」では初の1位に輝いた。新型コロナウイルス感染が広がると、視聴者に寄り添うメッセージを連日発信した。メッセージに込めた思いや守り続けている報道姿勢。同期入社でフリーの羽鳥慎一アナ(51)への思いなどを語った。(高柳 義人)

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 ピンと張り詰めた3時間10分の生放送を終えた藤井貴彦アナウンサーは、疲れた様子も見せず颯爽(さっそう)と現れた。突然ニュースが入るなど予定調和はない。「誰も言ってくれないですけど、結構大変です。毎日、富士山に登って、下山して。その繰り返しです。富士山に登ったことはないですけどね」。キリリとした表情にほほ笑みが加わった。

 この日も緊急ニュースが飛び込んだが、冷静に対処していた。理由を聞いた。「アドリブも瞬発力もいきなりだと絶対失敗する。来るんじゃないかと思って1回でも頭の中でシミュレーションしておく。私は『ブックエンド理論』と呼んでいます。アドリブは準備できるんです。今では(トラブルも)楽しみに待っていますよ」。毎日、原稿が間に合わないなど、最悪の状況を事前に想定する。「撃つ弾がなくなった時があったんです」。番組が始まったばかりの頃、原稿が間に合わなかった。急きょ、渋谷スクランブル交差点からの映像を呼び、実況し時間をつないだ。「その間にスタッフが何とかしてくれる」。番組スタッフに全幅の信頼を寄せている。

 「every.」では放送前にスタッフの出欠を取る。陣内貴美子キャスター(58)がカメラマンや音声スタッフの名前を呼び、返事をするのが恒例だ。「チームワークが大切で、誰と仕事をしているのか。(スタジオで)気持ちが通じているのがテレビを見てくださっている人にも伝わると思うんです」。ファミリーとして役割がある。陣内キャスターは母親、お天気の木原実キャスター(62)は父親。藤井アナはキャプテン。NEWS・小山慶一郎(38)が名付けてくれたもので、船長的な立場だ。

 キャスター就任は、直前に告げられた。2010年2月、カナダ・バンクーバー五輪の実況担当として出発する前日だった。スポーツ実況を極めたいと意気込んでいた時に驚きの通告だった。「開会式の実況も担当したんですが、もう楽しむしかないと…。データを集めて頭でっかちでやっていたのですが、勉強するのはやめて、目の前にあることを伝えようと…。『これが、スポーツアナウンサーだ』とやっと気がつきました」。

 20年、新型コロナウイルスの感染が拡大し、緊急事態宣言が発令された。藤井アナが日々、視聴者に呼びかける言葉が注目を集め、賛同を集めた。「命より大切な食事会やパーティーはありません」「今大切なのは、生活のために開けているお店への批判ではなく、お世話になってきたお店への応援ではないでしょうか」「おうちにいる、人との距離を保つ、それだけで社会貢献になっています」。

 藤井アナは当時を振り返った。「みなさんがお互いを非難し始めて、日本が嫌な空気になりました。何か困っている人を助けることができないか。私は政府にこうして欲しいとは一度も言っていない。困っている人に『大丈夫ですよ』というメッセージを伝えたかった」。コメントは事前に準備せずに、オンエア中に考えた。直前のVTRの内容を引き継ぐメッセージにこだわった。「A4の原稿用紙にバーッと書き込んで、エッセンスをまとめて…」。

 エゴサーチもした。「内容に対しての批判をネットで探していました。私に対する人格攻撃はOKでした。『偽善者だ』『言い方がむかつく』とかは私が吸収して消化すればいい。正論過ぎると人格攻撃する仕組みが分かっていましたので…。内容に対して超える代案が出ているかを探しました」。

 人を傷つけない報道。これは「every.」の根底にある。きっかけは東日本大震災だった。現地で取材する際、スタッフと話し合った。「悲惨な映像や激しい映像を流すより、この中継で被災者が助かるのか、誰かの役に立てるのかどうかを考えよう」。深く心が傷つく場面にも遭遇した。自衛隊が担架で遺体を運ぶ時、自衛官の目に力がないのを見た。「私も担架の端っこを持って歩きました。人の命はこんなに重いんだと…。胸が苦しくなりました」。取材が終わると、炊き出しやボランティア活動に協力した。

 人に響く的確な言葉選びは後輩たちへの指導で学んだ。「プロフェッショナルクオリティーじゃないものは番組を守るために見過ごせない」。厳しい言葉にへこむ後輩たちも見てきた。「ある時から言われて嫌なことは彼らのプラスにならない。また言われてうれしいこともプラスにはならないと気がついたんです」。例えれば「水飲み場を教えるのではなく井戸の掘り方を教える」。「前に歩き出すためのアドバイスをするようになりました」。言葉選びが研ぎ澄まされた。「(視聴者に)メッセージが届くようになったのも、後輩へのトライ&エラーのおかげです。感謝しています」と語った。

 昨年のオリコン「好きな男性アナウンサーランキング」で初の1位に輝き同期入社でフリーの羽鳥アナの殿堂入りを阻んだ。「本当の私とはかけ離れた場所ですごい居心地が悪かったです」と苦笑いする。

 「羽鳥はダントツでした。ライバルという意識はありませんでした」。ともに180センチ超えで「ツインタワー」と呼ばれた。入社後、人事担当者から聞かされた。最初に羽鳥アナが決まり、当初は女性アナの採用を予定していたが、対象者がなく藤井アナが採用されたと。「実力を見れば分かる。彼は(実力が)メジャーリーガーみたいでしたから。おかげで邪心を持たずに技術を磨こうと思った。羽鳥がいなければ私はいない。全部、羽鳥のおかげです」と感謝を口にした。今でもお互いの誕生日にはLINEで祝福しあう仲だ。「友情という感じはない。戦友? 同じ方向を向いて戦っていないので戦友ではない。唯一の“同期”ですね」。

 フリーへの転身はあるのか。「オファーの“オ”もないです。社員キャスターとして生きていこうと思っています」。プライベートでも「ゴルフができて、お酒が飲めれば…」とシンプルだ。18年に日本酒とワインの資格を取得した。「アナウンサーの悩みを聞けるワインバーをやりたいですね。しゃべり手だけが集まるバーを」と夢を持つ。「先ほど人格攻撃はOKと言いましたが、そうは言っても、ダメージはある。いがみ合う世界にいたくないという思いもありますね」。静かに思いを語った。

 ◆藤井 貴彦(ふじい・たかひこ)1971年12月、東京都生まれ、神奈川県育ち。50歳。厚木高から慶大環境情報学部に進み卒業後の94年、日本テレビに入社。学生時代はサッカー部で活動。スポーツ実況アナとして、サッカー日本代表戦、クラブW杯決勝、高校サッカー選手権などで実況。「ウッチャンナンチャンのウリナリ!」「ズームイン!サタデー」などの進行役を経て、2010年春から「news every.」キャスター。著書に「伝える準備」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、「伝わる仕組み」(新潮社)がある。身長181センチ。

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