「ハゲタカ外資」とついに別れた西武ホールディングスの行方

残された大きな課題とは

骨肉の争いを経て

米投資ファンドのサーベラスが、西武ホールディングス(HD)の株式を、全て売却していることが判明した。これで、上場廃止に追い込まれ、混乱していた西武HDに1000億円を投じて筆頭株主になったサーベラスの出口戦略が完了した。

西武HDは、ようやく「平時」となった。振り返れば西武の混乱は、2004年3月、総会屋への利益供与事件の発覚から始まっている。崩壊の危機に直面した西武は、みずほコーポレート銀行が主導する経営改革委員会によって再建が始まり、同行副頭取だった後藤高志氏が社長に就任した。

2006年にサーベラスの出資を受け入れ、共同歩調を取りながらも2013年には再上場をめぐって敵対的TOBを仕掛けられるなど対立。2014年に再上場を果たしてからは、サーベラスの売り圧力に抗しながら株価を保たねばならず、そういう意味では13年以上に及んだ混乱が、ようやく収まった。

 

私は、政財界に幅広い人脈を持っていた西武オーナーの堤義明氏が、事件を機に転落する様子を取材。以降、サーベラスとの対立など折に触れて西武HDを追い続けた。

その結果得た結論は、後藤・西武HDがやってきたことは、上場の意味を持たない「堤家の西武」から脱却しつつも、投資ファンドの市場原理主義に抗し、日本型経営の良さを残した「普通の企業」となることだった。

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この間、西武HDにはさまざまなプレッシャーが加えられた。創業者の堤康次郎には、5人の女性がいて7人の子があり、後継者には義明氏が指名されたが、氏が転落すると、「自分たちにも株の所有権がある」と、他の兄弟が主張し始めた。

骨肉の争いは、義明氏を取り込む形となった西武HD経営陣にも及び、後藤社長は「進駐軍のくせに傲慢。西武HDを後藤王国にしようとしている」と、批判された。

この後藤批判は、西武HDとサーベラスの争いが激化する12年後半以降、さらに高まり、報じた週刊誌との間で名誉毀損訴訟に発展した。「敵の敵は味方」ということで、サーベラスと反後藤の堤家が、結果的に手を結んだ。

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