いま振り返ると冗談みたいだが、これも'70年代ニッポンの風景だ。同世代の男子からは、怖がられるとともに憧れられていたスケバン。あれもまた青春だった――。
給食が終わるとケンカに行く
伊藤かずえ(以下、伊藤): 私が『不良少女とよばれて』(大映ドラマ)に出演したのは'84年のことでした。アイシャドーと口紅は紫色で、眉毛も細くして、手にはカミソリを2枚持っている、バリバリの不良少女役。
ブル中野(以下、中野): 「カミソリマコ」ですよね。
伊藤: そうそう、よく覚えていらっしゃいますね。主演のいとうまい子ちゃんは、パーマをかけたカーリーヘアーで、劇中ではチェーンを振り回していた。私は子役から芸能界入りしているので、正直、実生活でスケバンの方に会う機会はなかったのですが、実際はどうだったんですか?
岩橋健一郎(以下、岩橋): 今では死語になった感のある女番長=「スケバン」ですが、'70年代から'80年代初頭の最盛期には各地で暴れ回っていました。私も当時は横浜でツッパッテいましたが、スケバンの子たちは怖かったですよ。
愛知の豊橋を拠点に「全日本スケバン連合」いわゆる「スケ連」というのがあって、総勢600人を超えるまでに拡大していました。ブルさんも若い頃は相当ワルかったとか。
中野: 私は埼玉県の川口市にある中学校に通っていたのですが、川口の中学校を全部シメようと思っていました。毎日給食が終わると電話帳を見て「今日はこの中学をシメるぞ!」って出かけて行く。ケンカに勝って、その相手を従えることで、勢力を拡大するのがスケバンの目標だったんです。
伊藤: ブルさんは、なぜスケバンになろうと思ったのですか。
中野: 中1の時に女子プロレスのオーディションに受かったんですが、女子プロに入ると自由がなくなるので「卒業までの2年間は思い切り好きなことをやろう」と思ってスケバンになったんです。
伊藤: 好きなことがスケバンというのが面白いですね。
中野: 当時はドラマの『積木くずし』('83年)が人気で、スケバンはある種の「最先端」でもあったんですよ。『スケバン刑事』('85年)もドラマになる前の漫画から欠かさず読んでいました。
刃物ではなく、素手で
伊藤: たしかにあの頃は、不良が一種のブームでしたね。『3年B組金八先生』('79年)で三原じゅん子さんが言った「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」という台詞も流行しました。
私が出演した『不良少女とよばれて』も本放送が終わった翌週から再放送が始まるほどの人気で、再放送の視聴率が30%近くもあった。
岩橋: セーラー服の上着は極端に短くて、スカートは超ロングなのがスケバンのファッション。これが全国に広がっていくのは、『ビー・バップ・ハイスクール』('83年)などの漫画やドラマ、映画の影響も大きかった。ブルさんも当然スカートは超ロングですよね。
中野: くるぶしまであったので、引きずって歩いていました。なんでああいう恰好が流行ったのかは分かりませんが、中学に入った時、中3の先輩が長いスカートをはいていて、それに憧れて自分も長くしたんです。
岩橋: どこからああいうファッションが広まったのか「ルーツ」を調べましたが、結局分かりませんでした。気づいたら長くなっていた。
中野: 私が中学を卒業するあたり('80年代中盤)から「美少女ブーム」が起こり、以降どんどんスカートの丈が短くなっていった。多分、私たちが最後のスケバン世代じゃないかな。
岩橋: スケバンはその後、「コギャル」へと進化していきますが、コギャルがファッション第一だったのに対して、スケバンはやはり「強さ」にこだわっていた。
中野: スケバンといえば、ペっちゃんこの学生鞄もお決まり。先輩から「熱湯をかけるとぺっちゃんこになるよ」って教わって、やったなあ。あと、持ち手にテープ巻いて、白だと「ケンカ買います」で、赤だと「売ります」のサインだった。
岩橋: 中に鉄板を入れて武器として使うスケバンもいました。