2016.05.25
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真田家、上杉家、徳川家、そして石田三成……あの「歴史の偉人たち」の子孫が語る名家の家訓

知られざるエピソードたっぷり
週刊現代 プロフィール

「徳川の天下では、家康を苦しめた信繁の子孫であるということは厳重に秘匿されていたようです。1712年にようやく片倉から真田に姓を戻すことができましたが、それでも気兼ねがあったのでしょう。子孫が仙台真田家について語り出したのは、明治以降のことです」

徳川家の窮屈な人生

一方、関ヶ原の戦で徳川方につき松代藩として真田家を存続させた信繁の兄、信幸(劇中では大泉洋が演じる)の子孫はどうしているのか。松代真田家14代当主でブロードバンド無線システムを研究する慶應義塾大学教授の真田幸俊氏(46歳)が語る。

「(信幸と信繁の父)昌幸は、息子二人の性格を見て、どちらが秀吉と家康に合うか、考えていたのでしょう。信幸というのは、真面目できちっとしたタイプで家康に信頼されたようです。あまり『目端の利く』家系ではないですね。私の父も工学系の出身で、武家というよりも学究肌の人が多いです」

大名家独特の家訓のようなものもあった。

「家訓というほどのものではないですが、うちの家族の世話を長年して下さった方からは、よく『風呂』の話を聞きました。『お湯加減いかがですか』と聞かれたら、どんなに熱くてもぬるくても『いい湯だ』と言わなければならない、と。そうしないと風呂焚き係の面子が立たないということですね」

現在は、長野県松代に多く残る家臣団の子孫などが参加する「真田会」という親睦会があり、顔を出すそうだ。松代真田藩の重臣、小山田茂誠から数えて13代目に当たる小山田恒雄氏(84歳)は、真田会の代表理事を20年も務めた。茂誠は、松(信幸や信繁の姉で劇中では木村佳乃が演じる)の夫で、真田家に忠義を尽くした武将として知られる。恒雄氏が語る。

「私は松代で生まれ、上田で育ちました。上田高校では永六輔と同級。戦争中は満州に移住したこともありましたが、戦後、松代城の近くで病院を開業しました。小山田家には信繁が最後に出した書状が伝わっています。大坂夏の陣で豊臣方についた心境を綴った手紙です」

手紙には信繁の「辞世の句」として伝えられる一節もある。

「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候(定めのないこの世界で明日のことはわからない。私たちのことは、もうこの世にいないとお考え下さい)」

信幸の家臣でありながら、信繁の信頼も厚かった小山田家の立場がよくわかる内容だ。

では、真田に苦しめられながらも天下統一を果たし、太平の世を築いた徳川家の末裔はいかがお過ごしか。徳川宗家19代目に当たる徳川家広氏は、徳川記念財団理事を務めながら、翻訳家としても活動している。家広氏が語る。

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