2014.09.13

樹林伸×佐渡島庸平(前編)「新入社員時代から、どうやって新人作家の才能を見つけ、世に出してきたんですか?」

先輩編集者に学ぶ!

会議には出さず、作家とふたりで新人賞を狙った新入社員時代

佐渡島 樹林さんの活躍は伝説になっていましたが、新入社員時代の樹林さんについてはお聞きしたことがないんです。

樹林 いきなり「少年マガジン」編集部に配属されました。新入社員時代から、あまり会社には行かない感じでした(笑)。

佐渡島 その頃、「マガジン」ではどんな作品が連載されていたんですか?

樹林 しげの秀一さんの『バリバリ伝説』、楠みちはるさんの『あいつとララバイ』、蛭田達也さんの『コータローまかりとおる!』。人気があったのはその3作と寺沢大介さんの『ミスター味っ子』ですね。これは、僕が入社する一年ぐらい前にはじまりました。『あいつとララバイ』の担当編集が、指導社員でした。

佐渡島 入社して、はじめて連載を立ち上げられたのはいつですか?

樹林 1年め目の終わり頃じゃなかったかな。新人マンガ家の作品を雑誌に掲載しました。

佐渡島 新人発掘は、会いに行かれたわけではないですよね?

樹林 今でもそうだけど、編集部にたくさん持ち込みがあるんですよ。まず新人作家から電話がかかってくる。電話をとった人がその人と会って、作品を見てアドバイスする。要するに担当になるんです。今も同じシステムだと思いますよ。だから、当時は昼前に出社して、かたっぱしから電話に出ていました。昼前の編集部は、まだみんな出社していなくて、閑散としてるから。

その中で出会ったのが『お天気お姉さん』『バカ姉弟』の安達哲です。宝みたいな才能だと思いました。それと、僕が入社する少し前くらいからコミケットに新人を探しに行くようになっているんですよ。そこで買った同人誌を通じて『GTO』の藤沢とおると出会っています。

佐渡島 おお、藤沢とおる先生はコミケット出身なんですか!

樹林 正確には、コミケには藤沢さんの友だちの作家が来ていたんです。作品を見せてもらって、「これは才能あるな」と。紹介してもらって、いっしょに新人賞獲得を目指して読み切り作品を作りました。

佐渡島 新人作家の発見は、玉石混交といいますけど、玉より石のほうがずっと多いですよね。樹林さんはどうやって才能を見つけていたんですか? 入社してすぐの新入社員は、才能発掘の基準を持ってないじゃないですか。

樹林 たとえば商社マンの新入社員は、入社してから基準を作っていくしかないと思うんだけど、マンガはガキの頃から読んでいるから、誰でも自分なりの基準を持っていると思うんですよ。言い換えれば、入社したときすでにキャリアを積んでいるんです。

佐渡島 たしかにそうですね。

樹林 そうすると、先輩より自分の方がキャリアがある、見る目があるという話にもなってくるんですよ。入社して、とりあえず会議とかに出ると、先輩の実力も見えてくる。新入社員だから軽く見られるところもあるしね。まあ、それは仕方のないことだと思うんだけど。

もちろん、すごい編集者はいたよ。尊敬してる人はいました。ただ、そういう人って、ひとつの編集部でせいぜい5、6人じゃないですかね。中の下より下の人と組んでも、いいものはできないと思いました。だったらひとりでやろう。ひとりでやるためにはどうしたらいいか。会議にネームを出して連載にこぎつけようとするより、新人作家とふたりで作品を作って、新人マンガ賞に入賞すれば作品が雑誌に載る。それで人気が出れば連載になる。ひとりでも連載を持てるシステムがあるんだから、そっちでやろうと思ったんです。

佐渡島 では、はじめから入賞狙いだったんですね。作品を会議に出したりはしなかったんですか?

樹林 僕はほとんど出しませんでした。会議に出すと、みんなが意見を言ってくれる。でも面白くなるとは限らない。逆に角が取れてつまらなくなることもある。僕がやりたいようにもならないし(笑)。

佐渡島 会議に出すと安心なんですけどね(笑)。

樹林 確かにそういうメリットはある。まあさすがに新入社員の頃は会議には出てました。でもその頃から編集部にはあんまりいなくて、打ち合わせで外出していることが多かった。要は、会社にいない新入社員でした。

そのころ、新人マンガ賞の特選という最高賞を、新人漫画家と一緒に作った作品でとりました。安達哲の『ホワイトアルバム』という作品で、1年目の終わりに連載することができたんです。それが最初の連載ですね。

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