2011 年 60 巻 10 号 p. 22-29
天明狂歌を頂点とする江戸狂歌は、十八世紀後半期に発生し、天明期に大流行する。
まず大流行は、狂歌作者兼書肆であった浜辺の黒人というメディア抜きにして語れない。また、初期の江戸狂歌グループは極めて自由なサロン的なもので、その中心は唐衣橘洲であった。天明二年に表面化する橘洲編の狂歌若葉集と、四方赤編の万載狂歌集の確執の結果は後者の圧勝で、新たに赤良が天明狂歌の盟主となり、蔦屋重三郎とともに車の両輪となって狂歌界を動かすが、寛政改革で作者層が大きく変わり、蔦屋重三郎も失脚する。