日本地理学会発表要旨集
2009年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S306
会議情報

琉球列島のエコツーリズム
先住民族エコツーリズムの視点から
*小野 有五
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

1 琉球列島と北海道
 明や薩摩藩による支配を受けながらも、1879年の琉球処分まで、14世紀以来、「琉球王国」として存続していた琉球列島と、1869年の開拓使設置まで、道南の松前藩を除くと、「蝦夷地」、すなわち「アイヌ地」として、幕藩体制下の「日本」の領土ではなかった北海道は、ともに明治政府の強力な中央集権政策によって、あいついで初めて「日本」の領土とされたという共通性をもつ。国家体制をもたない先住民族であるアイヌの土地であった「蝦夷地」と、「日本」とは異なる「王国」であった琉球列島とは、同一には論じられない面もあるが、先住民族としての意識をもっている琉球列島人(シマンチュ)も存在する。この点については立ち入らないが、「ヤマトンチュ」(「日本」本土人)に対する「シマンチュ」というアイデンティティは、琉球列島において一般的に受け入れられていると言ってよいであろう。
2 先住民族エコツーリズムの視点
 北海道では、2005年にシレトコでアイヌ自身がガイドをする「アイヌ・エコツアー」が始まった。これは、シレトコ世界遺産が指定される過程において、先住民族であるアイヌが日本政府からも北海道からも全く無視されたことへの批判にたち、世界遺産管理計画へのアイヌ民族の正当な参画と求めるとともに、エコツアーを通じてのアイヌの文化伝承や、アイヌの若者の雇用創出、世界遺産地域における自然資源利用権などの権利回復を目指すという目的をもっていた(小野、2006)。アオテアロア(ニュージーランド)では、先住民族のマオリによって、とくに1990年代からマオリによるエコツアーが盛んになっており、アイヌ・エコツアーはこれを一つのモデルとしている。
 これらの先住民族エコツーリズムが共通して目指しているのは、それまでの「見られるもの、語られるもの」としての先住民族の立場を、「見るもの、語るもの」に逆転させ、自らの文化を自由に発信するとともに、「見つめ合う、語り合う」関係をつくりあげることを通じて、「先住民族が置かれている現状への気づき」を促すことであると言えよう。
 「見られるもの、語られるもの」から「見るもの、語るもの」への逆転は、同時に、中央から地域へ向かう「まなざし」や「資本」のベクトルを逆転させようとする試みでもある。エコツーリズムの定義はさまざまであるが、本論では、地域主体のツーリズムで、利益が可能な限り地域に還元されるとともに、地域の歴史・文化伝承、自然環境の保全を目指す持続的ツーリズム、として扱う。
 このような視点で琉球列島における「エコツーリズム」を見ると、シマンチュの視点で組み立てられ、できる限りシマンチュに利益が還元され、地域の歴史・文化伝承、自然環境の保全を目指しているといえるエコツーリズムは、まだきわめて少ないのではないか、と考えざるを得ない。そうした、まだ少ない事例のなかで、恩納村の女性たちを中心につくられてきた「恩納エコツーリズム研究会」による取組みについて検討したい。
3 「恩納村エコツーリズム研究会」の意義と課題
 「恩納村エコツーリズム研究会」は、恩納村の仲西美佐子氏を中心とする環境保全運動のネットワークによって、2000年につくられた研究会である。仲西氏は1980年代から水環境の保全をめざす活動を始め、1994年には、自宅に石鹸工房をつくって、廃油からの石鹸づくりを普及させていたが、90年代には、目の前にある屋嘉田干潟を開発から守るため、観察会を開くなどして、その保全運動も始めていた。このような活動のなかで、恩納村の自然環境を守っていくには、開発でそれを壊すより、壊さないでいることに経済的な価値があることを示すことが効果的であるという考えが生まれた。「エコツーリズム」によって、それが可能になるのではないか、との思いから、運動のネットワークで結ばれた女性たちを中心に、研究会がつくられたといえよう。
 「おばあ」(女性のお年寄り)文化は、琉球文化の一つの特徴であるとはいえ、年齢に関わらず、女性からの視点を中心に据えた「恩納村エコツーリズム研究会」の取り組みは、沖縄に限らず、男性主体で行われている多くの「エコツーリズム」を相対化するうえでも、重要な意味をもっていると思われる。研究会が本来、目指した、地域の環境保全や、歴史・文化の共有・伝承といったことがらへの効果についても、あわせて検討したい。

著者関連情報
© 2009 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top