政教分離に必要なのは「ライシテ」? 宗教学者に聞く

聞き手・藤谷和広
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 【千葉】世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と政治家の関係が取り沙汰されるなか、厳しいセクト(カルト)対策を行っているフランスの規制法を日本に導入しようという議論がみられます。フランスの政治と宗教の関係に詳しい伊達聖伸・東大教授は、「集団に抑圧された個人の自由を守る」という人権意識こそが重要だと指摘しています。社会問題化した宗教団体とどう向き合えばいいのか、聞きました。

 ――フランスのセクト規制法が制定されたのは2001年でした。

 「1990年代半ば、フランス国内などで、太陽寺院という教団の信者が集団死する事件が相次ぎ、反セクトの世論が高まりました。当時、議会に設置された調査委員会の報告書では、セクトとされた団体のリストと、セクトを判断する基準が示されています。『精神状態を不安定にする』『法外な金銭を要求する』『公権力への浸透を企てる』といった基準です」

 「セクト規制法では、人権侵害行為により有罪判決が確定した場合、裁判所が団体の解散を宣告できるようになりました。ただ、その後リストは否定され、実際に解散を宣告された団体もありません」

 ――なぜでしょうか。

 「政教分離によって信教の自由を保障する『ライシテ』という概念が影響しています。ある団体を国がセクトと認定することは、ライシテの原則に反する。セクト規制法もセクト自体ではなく、『セクト的逸脱行為』を規制しているのです」

 「ライシテは、18世紀のフランス革命に由来する概念です。共和国の市民は、王政と結びついていたカトリック教会の権威を否定し、王権神授説に対して、人権を掲げました。ライシテはフランスの民主主義に不可欠な要素とみなされています。ライシテの国だから、セクト規制法ができたとも言えます」

 ――ライシテは日本には根付かないのでしょうか。

 「フランスでは長く、国家と教会が時に対立するものとして、二元論的に語られてきました。一方、日本では政治が『まつりごと』とも表現されるように、宗教に対して十分に自律的ではなかったと考えられます。特に明治時代以降の政治指導者は、欧米の近代文明の基底には宗教があると考え、国家神道体制をつくりあげていきました」

 「戦後にできた憲法は厳格な政教分離を定めていますが、旧統一教会が引き起こした社会問題が長年放置されてきた実態をみると、宗教団体の自由を保障する一方、個人の自由はないがしろにされてきたのではと思ってしまいます」

 ――「セクト的逸脱行為」にはどう対応すればいいのでしょうか。

 「セクトの基準など参考にできることはあります。伝統的な宗教は文化や習俗とみなされ、新興宗教には忌避感があるなかで、何が『宗教的』なのかわかりづらいという状況に対しては、宗教リテラシーを高めることも必要です」

 「ただ、何よりも重要なのは、集団に抑圧された個人の自由を守るというライシテの根幹にある人権意識です。人権は弱者のためにあります。自己責任と突き放して、苦しんでいる信者やその家族を見捨てるべきではありません」

 「ライシテは、宗教によって主権が左右されないための知恵でもあります。国民が主体となって、旧統一教会と政治の癒着を断ち切ることができるかどうか。日本の民主主義が試されていると思います」(聞き手・藤谷和広)

     ◇

 だて・きよのぶ 1975年生まれ。今年度から現職。専門は宗教学。著書に「ライシテから読む現代フランス」など。

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