(写真:Shutterstock)
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 またもや日本の「性差別」発言が、世界の注目を集める事態に発展してしまった。

 自分の立場を全く“わきまえない”人たちの貧困な発想と、コミュニケーション能力の低さ、「生きづらい世の中になったな」などの言動には、ほとほとあきれるばかりだ。

「でも、女性は周りの人たちが騒ぎ立ててくれるからいいですよ」
「女性差別は問題になっても、男性差別は問題にならない」
「女性に容姿のことを言うのは差別なのに、男は言われっぱなしだ」
「女性を『きれいですね』と褒めるのはNGなのに、『我が社のイケメンランキング』はオッケーという理不尽」
「女性はセクハラって声を上げられるけど、男が言うと笑い飛ばされる」
「女性の多い職場の男性は肩身がめちゃくちゃ狭いんですけど……」
……etc.etc.

根が深い「無意識バイアス」

 森喜朗氏(東京五輪・パラリンピック大会組織委員会前会長)の発言以降、本コラムも含め女性差別問題を取り上げる度に、こういった意見がメールなどで送られてきた。

 個人的にはこれまでも「男性問題」は取り上げてきた。が、ご指摘の通り、男性差別、あるいは男性問題への関心は低く、自浄作用もほとんど進んでいない。
 「女らしくしろ!」は袋だたきにされるが、「男になれ!」は美談になってしまうのだから、差別された男性たちが怒るのはごもっともだ。

 しかも、多くの女性差別同様、それらは「無意識バイアス」によるものなので、極めて問題の根が深い。

 無意識バイアスは、社会に長年存在した価値観や外部から刷り込まれた価値観であり、何気ない一言や何気ない行動に、ポロリと出る。自分より“上”の人にはブレーキを利かせても、バカにしてる相手にはエンジンをふかしまくる。

 その価値観が偏見ということも、その無神経な言動がひんしゅくを買うことも、ましてや他人を傷付けるだなんて一ミリも考えていない。実際には、自分が相手を見下しているだけなのに、「生きづらい世の中になったな」などと時代や社会のせいにするのである。

 つい先日も、世間的には“女性活躍”を推進していることで知られる、ある企業の社長さんの発言にクラクラした。

 「私はね、女性をどんどん管理職にしろって言ってるんです。女性のほうが気が利くから、部下のめんどう見がいいでしょ。それに誰にでもズバズバと意見する。ああいうのは新鮮だし、いやぁ~おもしろいよね。

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 男性にも育児休暇は必ず取れって言ってるんです。子どもが生まれるときに仕事なんかしてると、家庭不和のもとですよ。うちの女房なんて、いまだに『あなたは私が苦しんでるとき、上司と酒飲んでた』って怒りますからね。ガッハッハ。育児休暇は、どんどん取らせりゃいいんですよ。社会科見学だと思ってね」

 ……さて、何が問題かお分かりでしょうか?

 このコメントは“無意識バイアス”の塊である。

 そもそも育児とは「乳幼児を育てること」(広辞苑)だ。育児は出産に立ち会うだけで完結するものでもなければ、育児休業は一生女房に小言を言われないためにあるものでもない。

原因は「ケア労働」の軽視

 しかも、やっかいなのはこういうトップのバイアスが、
「女性は仕方が無いけど、男性の育児休業は正直、迷惑」
「取りたいなら取ればいいけど、戻ってくるときに席はないぞ」
「育児休業? いいご身分だね~。こんな忙しいときに」
といった“男性差別”の火種になる。主婦・主夫業という「ケア労働」の軽視を助長するのだ。

 世間では「女だ!男だ!」というジェンダーばかりに注目するけど、労働現場における男女格差問題のほとんどは、「ケア労働の無理解と軽視」に起因している。ケア労働の軽視こそが、日本で性差別問題が一向に解消しない最大の原因といっても過言ではない。

 一般的に「労働」と言えば、「市場労働」と思われがちだが、国を成長させ、社会を支え、人々の生活を守る労働には、「市場労働」と「ケア労働」の2つがある。

 生きていくためには「お金」が必要なので、私たちは「市場労働」をする。同時に、生きていくためにはご飯を食べたり、掃除をしたり、その力がない子どもや高齢者のご飯をつくったり、掃除をしたりする必要があるので「ケア労働」をする。

 ケア労働(care work)とは、すなわち家事、育児、介護、ボランティア活動などの無償労働だ。

 どちらも、私たちが生きていくためには必要不可欠な労働であり、男であれ女であれ、市場労働とケア労働にアクセスする権利があり、前者の権利は「労働権」、後者の権利には「父母権」「保育権」がある。「子が親を介護する権利」「社会活動としてボランティアをする権利」なども含まれる。

 であるからして、育児休業を「社会科見学」に例えるのは、これらの権利を認めてないことに等しい。政府が散々カネをつぎ込んで「イクメンプロジェクト」だの、「おとう飯(おとうはん)」だのをやっても、育児休業取得率はいまだに1割以下。日本の育児休業制度は、「世界に誇る」優しい制度になっているにもかかわらず、だ。

「ガラスの天井指数」、日本は28位

 国際女性デー(3月8日)に向けて3月4日に公表された英エコノミストの 「女性の働きやすさランキング」(ガラスの天井インデックス)で、日本は29カ国中28位と、「ああ、またか~」という順位だったが、ランキング算出に使われた10種類の指標を具体的に見ていくと、実に興味深いことが分かる(資料)。

  1. 高等教育を受ける男女比率の差
  2. 男女の労働参加率の差
  3. 男女の給与差
  4. 管理職における女性の割合
  5. 役員における女性の割合
  6. 経営学修士(MBA)を取得する試験を受けた女性の割合
  7. 議会下院もしくは一院制の議会での女性の割合
  8. 賃金に占める育児費用の割合
  9. 女性が取得可能な有給の育児休業期間
  10. 男性が取得可能な有給の育児休業期間

 この10指標のうち、日本が経済協力開発機構(OECD)の平均を下回ったのは8つ。中でも最低レベルだったのは、「男女の給与差(28位)」「管理職における女性の割合(29位)」「役員における女性の割合(27位)」「経営学修士(MBA)を取得する試験を受けた女性の割合(29位)」「議会下院もしくは一院制の議会での女性の割合(29位)」の5指標だった。

 一方、OECDの平均を上回ったのは、「女性が取得可能な有給の育児休業期間」「男性が取得可能な有給の育児休業期間」の2つで、「男性が取得可能な有給の育児休業期間」は1位。全体で29カ国中28位の日本が、この指標だけは1位だったのである。

 日本は壊滅的な男性の育児休業取得率を向上させるために、この10年の間に両親ともに育休を取得した場合の休業期間を延長したり、育休の給付金を増やしたりして、男性の育休制度を拡充してきた。

 その結果、今では実質収入の8割がもらえる世界最高レベルの充実した制度となり、給付金が出る育児休業の長さはOECD加盟国など41カ国のうち、堂々の1位と評価されるまでになった(2019年ユニセフの調査)。

 にもかかわらず、男性の育児休業取得率は、いまだにたったの7.48%で、取得期間も「5日未満」が36.3%と最も多く、次いで「5日~2週間未満」が35.1%と、7割が2週間以下(厚生労働省 2019年度「雇用均等基本調査」)。まさに「社会科見学」レベルだ。

見えない家事、“妻任せ”が6割超

 それだけではない。
 妻が育児と家事に充てる時間は夫の2倍超。これだけ夫婦共働きが当たり前の社会なのに、ケア労働の負担は、女性に集中しているのだ(2020年版「男女共同参画白書」)。
 「仕事がある日」の家事時間(1日当たり)を比較したところ、単身世帯では女性が1時間10分、男性が1時間と同水準だった。ところが、子どもがいない夫婦世帯では、妻が1時間59分に延びた一方、夫は45分に短縮。その差は2.6倍に広がった。

 食品や日用品の在庫を管理する、食事の献立を考えるなど「見えない家事」についても、妻が担う世帯が6~7割を占めた。

家事・家庭のマネジメントの分担
家事・家庭のマネジメントの分担
出所:内閣府男女共同参画局「令和2年版男女共同参画白書(概要)」掲載の「家事等と仕事のバランスに関する調査」(令和元年度内閣府委託調査・リベルタス・コンサルティング)
[画像のクリックで拡大表示]

 このようなデータを出すと、決まって「だって女性のほうが家事は得意でしょ?」という意見が出るが、育児だって、家事だって、最初からちゃんとできる人はめったにいない。

 失敗し、苦労し、自己嫌悪に陥り、ストレスもたまる。会社なら上司や先輩が教えてくれたり、同僚がヘルプしてくれたりすることがあるが、一人っきりで育児と家事をこなすのはめちゃくちゃ大変なことだ。
 家事の得意な女性もいれば、苦手な女性もいる。家事が好きな女性もいれば、嫌いな女性だっている。男性の中にだって、家事が得意な男性もいれば、苦手な男性もいる。家事が好きな男性もいれば、嫌いな男性もいる。

 ケア労働は能力や好みとは一切関係なく、“誰か”がやらなくてはいけない仕事である。人が生きていくための「価値ある仕事」だ。

 ところが、「労働=市場労働」と考え、おカネを稼ぐ能力の違いで人間の価値まで選別される社会では、ケア労働にアクセスする権利を行使した男性を差別し、男性は世間の冷ややかなまなざしに耐えることを余儀なくされるのだ。

 「夫は1人目の子どものときにいろいろと考えることがあったみたいで、2人目ができたって分かった途端、“育児に専念したい”と言い出しました。当時、私は復職してから、やっと納得できる仕事に就いた時期だったので、彼がそういってくれたのはものすごくうれしくて。出産ギリギリまで働いて、出産後もひと月で復職し、夫と育児をバトンタッチしました。
 いろいろ周りから言われることは、ある程度覚悟していました。でも、世間のバッシングは想像以上で、“ひも”呼ばわりされたときは、さすがにこたえました。

「差別のまなざし」、同性にも

 夫が保育園へ迎えに行ったときなんて、『お体は良くなりましたか? 子どもさんといると気分も前向きになりますよね』って突然言われちゃったんです。“ママ友”たちの間で、夫はウツで会社を辞めて、主夫になったって噂になってたみたいなんです。本人は笑ってましたけど、私は自分の選択が間違っていたのではないか悩みました。

 でも、夫は主夫を経験してから『ママさんたちのおかげで、社会はうまく回ってる』が口癖になりました。専業主婦は年収1000万円くらいの価値はあるって、いつも言ってます」

 これは以前、インタビューした女性が話してくれたことだ。

 育児に専念した“主夫”に向けられる世間のまなざし。その根底には「主婦業は誰でもできる」という、ケア労働への軽視がある。主婦業を「誰にでもできる」などと見下すから、主夫が哀れみのまなざしにさらされ、「お気の毒ね~」なんて言われてしまうのだ。

 家庭を運営し、子どもを育てるという役割は、市場労働の活動と同じくらい社会的な価値がある。実際、イタリアでは、主婦にはcasalinga(カサリンガ)という職業名が付けられていて、医師、警察官、ジャーナリスト、作家などと同様に、プロフェッショナルな職業に分類されている。

 主婦(夫)業の多くは予測不可能なものであるため、適切な判断力と極めて多様なスキルが求められる極めて難しい仕事だ。
 子どもの不意の病気やけが、事故への絶えざる不安、隣人の気分や夫の帰宅時の機嫌など、常に様々な“脅威”と背中合わせだ。主婦がこれらの出来事にうまく対処してくれるから、大きな出来事も小さい出来事も、家族は「日常のごくありふれた一コマ」として経験できる。

 男だの女だのと言ってる限り、男性が主な働き手だった「市場労働」に、女性が同化することが目的になる。それは「飲み会は絶対に断らない」などと豪語する紅一点エリートを生む社会構造にもつながっていく。

 しかし、もっと「ケア労働」を重んじる社会になれば、ケア労働=女性という前提で考える必要性は全くない。というか、そう考えたらむしろおかしい。

 今回は書かなかったけど、男性看護師や男性保育士も、ケア労働の価値が社会で共有されるようになれば、理不尽な差別で涙することは減るであろう。

 とにもかくにも、森氏の不適切発言で、「女性差別」は社会の大きな関心を呼ぶテーマになった。だが、女性差別といわれることのほとんどは、反対側から見れば男性差別。女性差別と男性差別はコインの表と裏だ。しかも、「差別のまなざし」は異性から向けられるものだけではなく、同性から向けられるものも多い。

 全国の社長さん! ぜひとも「会社で仕事ばっかりやってないで、さっさと家に帰って家事とか育児しないと一人前じゃないぞ!」と、市場労働ばかりにいそしむ輩を叱り飛ばしてくださいまし。

コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)


本コラムに大幅加筆のうえ新書化した河合薫氏の著書は、おかげさまで発売から1年近くたっても読まれ続けています。新型コロナ禍で噴出した問題の根っこにある、「昭和おじさん型社会」とは?

・「働かないおじさん」問題、大手“下層”社員が生んだ悲劇、
・「自己責任」論の広がりと置き去りにされる社会的弱者……
・この10年間の社会の矛盾は、どこから生まれているのか?
そしてコロナ後に起こるであろう大きな社会変化とは?

未読のかたは、ぜひ、お手に取ってみてください。 

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