無印良品(MUJI)は今や日本を代表するグローバルブランドになった。中国などアジアでは高品質でシンプルな日用品を取りそろえたブランドとして業績を伸ばし、欧米では禅の精神を日常生活で実践するブランドとして熱烈なファンを引き付ける。

 すでに27の国と地域に出店し、2018年には日本国内よりも海外の店舗が多くなる見込みだ(2016年2月時点で、日本国内は直営店312店舗、商品供給店102店舗の合計414店舗、海外は直営店と商品供給店の合計344店舗)。

 なぜMUJIは世界の人に愛されるのか。このほど発売した著書『MUJI式 世界で愛されるマーケティング』で解説したMUJIの秘密の中から、4つのキーワードを紹介しよう。

 初回のキーワードは「禅(zen)」──である。

JR有楽町駅(東京・千代田)近くにある、良品計画の旗艦店「無印良品有楽町」
JR有楽町駅(東京・千代田)近くにある、良品計画の旗艦店「無印良品有楽町」

MUJIのコンセプトは禅や茶道につながる

 MUJIが世界的に受け入れられる大きな理由はシンプルさにある。

 そのシンプルさとは、暮らしの中で使いやすく、見た目にも自然で、機能を十分に果たしているということだ。どこの家にあっても、誰が使っていても、暮らしの中に溶け込んでいくのがMUJIの商品の目指すところだ。

 MUJIが海外で語られる際には、日本文化や日本古来の美意識と結びつけられることが多い。良品計画の松﨑曉社長は、「無印良品の商品は、無駄を省いた日本的な『わびさび』なものと消費者に受け止められ、特徴を出せている」と述べている(日本経済新聞、2016年3月20日)。「わびさび」は、茶道によって発展した考え方である。

 禅や茶の本を読み解いていくと、MUJIと似通った概念が読み取れる。これは、MUJIの誕生、コンセプトづくりに大きく関わった田中一光氏が、茶道にも通じていたからであろう。禅や茶道につながる日本らしさをMUJIのコンセプトづくりに取り入れたものと考えられる。

「空っぽの箱」だから、アレンジの自由度が高い

イタリア・ミラノ1号店オープン時の茶室の壁面イメージ(2005年)
イタリア・ミラノ1号店オープン時の茶室の壁面イメージ(2005年)

 岡倉天心の『茶の本』によると、茶室は空っぽの入れ物であり、そこに何を入れていくか、どのように完成に向かっていくか、ということが茶道の本質にあるという。また、茶道では、招かれた客人も含めて共に茶の経験を完成させていくのだという。

 私はこの話を知ったとき、「MUJIに似ている」と感じた。何が共通するかというと、「自由度の高さ」である。空っぽの箱のように、使用の自由度が高い商品を購入し、使い手が自分なりの完成形を目指していくというのは、MUJIのスタイルであり、茶道の精神に通じるのではないだろうか。

 シンプルなデザインでいろいろなサイズのモジュールを取りそろえた収納用品に代表されるように、MUJIは使い手が使い方を自由に設定できる。余分な装飾をなくしているMUJIの商品は、顧客によるアレンジの自由度が高い。

 禅と茶道の共通するところは、物事を単純化することである。単純化し、そぎ落とし、残されたところに、本質、美があると考える。また自然と親しむことも大事にする。これらの考え方は、MUJIのコンセプトに通じる。

「これ『が』いい」ではなく、「これ『で』いい」という商品をつくる

 MUJIはターゲットを絞らず、最大公約数的な商品をつくる。MUJIの言葉でいうと、「これ『で』いい」という商品をつくるということだ。個人の好みの細かなところに合わせた、「これ『が』いい」と選ばれる商品よりも、不特定多数の人が合理的に満足できる「これ『で』いい」レベルの商品をつくる。

 普通、人が何かを選択するときには、「これ『が』いい」という、より好みにぴったりのものを選ぼうとする。だから商品開発をする側も「これ『が』いい」を追求する。それはマーケティング的な発想だ。「これ『で』いい」というMUJIの思想は、「これ『が』いい」というマーケティングの発想とは、考え方が違う。

【図】 「これ『で』いい」の考え方
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MUJIはターゲットを絞らず、最大公約数的な商品をつくる。個人の好みの細かなところに合わせた「これ『が』いい」と選ばれる商品よりも、不特定多数の人が合理的に満足できる「これ『で』いい」レベルの商品をつくるのだ。
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 「これ『で』いい」のレベルはどこなのか、という線引きは難しい。満足度の最大公約数がどのレベルなのか、ターゲットを絞らない満足のレベル感について、はっきりとしたルールがあるわけではない。決まったものでもなく、独りよがりのものでもなく、時代の中での生活者の多くに支持されるリアリティによって判断される。

 「これ『で』いい」がぴったりのレベルで実現できると、大きな市場に受け入れてもらえる。個性を出そうとして「これ『が』いい」を追求すると、市場の大きさは小さくなる。また、合理的な満足レベルに達しない商品は見向きもされないから、市場は小さくなる。MUJIの「これ『で』いい」は、価格や品質、デザインなどに関して、消費者の「あきらめ」や「妥協」が入らないように、絶妙なレベルを実現しているといえる。

MUJIはKUMONに似ている?

 このような考え方がMUJIのグローバル展開の成功に結びついたわけだが、まったく違う分野に、MUJIと似たグローバル展開の成功例がある。それはKUMON(公文教育研究会)である。世界的に普遍性がある商品・サービスを提供しているという点で、KUMONとMUJIはよく似ている。

 KUMONのグローバル化は、日本のサービス産業の国際化の成功事例とされる。KUMONのホームページにある公開データによると、日本国内の学習者数151万人に対し、海外では48の国と地域に教室があり、学習者数は276万人に達し、日本を上回っている(2016年3月時点)。

 KUMONが世界に広げているメソッド(公文式学習)は、読み、書き、算数といった基礎学力の向上が基本である。学習者のレベルに合った教材を指導者が与える「ちょうどの学習」により、楽にできることから始めて、少しずつ難度を上げながら、高い学力と自分で学ぶ力を着実に身に付けることを目標としている。

【図】 KUMONの考え方
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世界的に普遍性がある商品・サービスを提供しているという点で、KUMON(公文教育研究会)とMUJI(無印良品)はよく似ている。
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 基礎的な計算や読み書きは、世界中どこでも需要がある。自学自習というKUMONの考え方は、学ぶ態度を形成することである。それは世界中の親たちが子供に期待することでもある。だからKUMONのメソッドは世界中で受け入れられる。

 教育というのは国による違いがある。もし教える内容を、日本の受験勉強のようにそれぞれの国の事情に合わせたものにしてしまうと、グローバルには受け入れられにくい。KUMONはそうではなくて、基礎的な学力の向上を目指している。

個性の“一歩手前”で止める

 MUJIは日用品の全般に対して、人間の普遍的なニーズを満たす「これ『で』いい」のレベルの商品群を揃えている。顧客を絞ることなく、個性の一歩手前に引いた、最大公約数の満足を提供している。だから世界共通の商品として受け入れられている。

 「これ『で』いい」という考え方は、別の言い方をすると、「個性の一歩手前」で止めるということだ。個人の好みを具現化せず、少し引いて見たデザインの商品であれば、汎用的になり、許容できる消費者の数はグンと増える。使い方も広がる。

 ただしMUJIはそもそもターゲットを広くしようとして、「これ『で』いい」という考え方をしたわけではない。むしろ、少なくてもいいので自分たちの考え方を理解してくれる人に商品を届けたいと考えた(その点は次回の「アンチテーゼ」で取り上げる)。顧客を分けるマーケティングというより、顧客を創造するイノベーションこそがMUJIの原点にある。

 MUJIの商品カテゴリーは幅広いが、「感じ良いくらし」という目指す姿に対して商品が合致しているか否かが、一定の線引きとなっている。その線引きが、「これ『で』いい」にあたる。

増田明子著/日経BP社/1620円(税込)
増田明子著/日経BP社/1620円(税込)
 なぜ無印良品(MUJI)は世界中の人から好かれるのか? MUJIの商品開発に10年間携わり、現在はマーケティングの研究者になった著者が、MUJIが大事にしている考え方、商品開発の体制、戦略のユニークさなど、MUJIの秘密をわかりやすく解説。MUJIが好きな人、MUJIが好調な理由を知りたい人、商品開発を担当する人、事業のグローバル展開に関わる人など、誰が読んでもヒントが得られるマーケティング入門書。
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