エチオピアで語り継がれるコーヒー伝説
アフリカ大陸東部、アラビア海に突き出る「アフリカの角」と呼ばれる半島の一部をなすエチオピア。アフリカ最古の独立国として知られ、ラリベラの岩窟教会群をはじめとする独自の文化遺産や青ナイル川の源流であるタナ湖など、観光資源に恵まれた国でもある。
国土の大部分を高原が占め、ほぼ中央に位置する首都のアディスアベバの標高は約2400メートル。アフリカに抱く一般的なイメージとは異なり、1年を通じて冷涼で過ごしやすい気候だ。
エチオピアには「コーヒーセレモニー」と呼ばれるユニークなコーヒーの飲用文化が残されている。客人をもてなすためのコーヒーの飲み方を形式化したこのセレモニーは、青草を敷いた地面の上でお香をたき、まず鉄鍋で生豆を煎るところから始まる。当然ながらそれは火力うんぬんの話ではなく、実に原始的な焙煎をされた焦げた豆なのだが、これが産地で飲むと実にうまいのだ。
コーヒーセレモニーと同様、栽培方法からもコーヒーとこの国の人々とのつながりの強さを推し量ることができる。イルガチェフェなどの南部の産地では、農家の裏庭にコーヒー農園と呼ぶにはつつましいほどの、100~200本くらいのコーヒーツリーが植えられている風景をよく見かける。これは現地でガーデンコーヒーと呼ばれる、小規模ながらも立派なエチオピアの代表的な栽培スタイルである。
こうした光景の原点には、移民によって強制的にもたらされた国にはない、エチオピアならではのコーヒーとの関係性があるように思える。すなわちそれはコーヒーのアラビカ種の原産地としての、大地に深く根を張るような自然で強固な関係性だ。
読者のみなさんはこの国に伝わるこんな伝説をご存じだろうか?
「昔々、アビシニア(現在のエチオピア)にカルディという名のヤギ飼いの少年がいました。あるとき山中で赤い木の実を食べて興奮しているヤギに気づいたカルディがその実を食べると、カルディの気分も爽快になりました。それを知った修道僧が夜のお祈りでこの実を眠気覚ましに利用し始め、そこはやがて“眠らない修道院”と呼ばれるようになりました――」
この「赤い木の実」の正体はコーヒーチェリー。つまりこれは人とコーヒーとの初めての出合いを描いた物語というわけだ。この伝説の真偽はともかく、エチオピアがコーヒーの原産地であるとする説は有力で、実際に自生するコーヒーの在来種は数多い。たとえば2004年にパナマで開催された国際オークション「ベスト・オブ・パナマ」で一躍脚光を浴びたゲイシャは、もとはエチオピアのゲシャ地区で自生していた品種だ。
エチオピアはいわばコーヒーにとっての“エデンの園”。コーヒーの遺伝子の宝庫でありながらいまだ解明されていない品種もまだまだ多く、そのポテンシャルはまさに未知数。エチオピアはコーヒーのためにある国だと我々が特別視してしまうのも無理からぬ話なのだ。
国際品評会で頭角を現したエチオピアコーヒーの新旗手
エチオピアコーヒーの特徴はそのフレーバーの多様性にある。産地や品種ごとに、花のような香りやフルーツポンチのような香り、あるいは和菓子の「八ツ橋」に似たスパイシーな香りを有する豆までいろんなタイプが混在しているのだ。
スペシャルティコーヒーの要である酸も、強くはあるが飲みやすい。ケニアコーヒーがはつらつとした、パーンと弾けるようなイメージの酸だとすれば、エチオピアコーヒーは寝かせたお酒のような、角の取れた甘みを伴った酸であると言えば分かりやすいだろうか。
私にとってのエチオピアコーヒーの“原体験”は、2000年初頭にさかのぼる。ある日たまたまイルガチェフェ産のコーヒーのサンプルを入手した私は、カップしてたちまちその味に魅了された。それはピーチ、フローラル、あるいはジャスミンを感じさせる豊かで華やかなフレーバーで、それまで味わったことのない素晴らしいコーヒーだった。
前述した04年の「ベスト・オブ・パナマ」には私も審査員として立ち会ったのだが、欧米の審査員たちがゲイシャの登場に沸く中で、私は「いやいや、最高のイルガチェフェのほうが上だと思う」と一人冷めた言葉を発していたほど。それだけ当時のイルガチェフェはずぬけていた。
しかしその甘美な記憶の裏には、あのイルガチェフェを超えるコーヒーに出合えていないというもどかしさが根底にあった。昨今の全世界的な気候変動の影響を受け、エチオピアコーヒーもまたその品質が変容していたのだ。
ただそれはネガティブなものばかりではない。生育環境の変化に伴い優良産地の勢力図も少しずつ書き換えられ、その結果これまでとは異なる産地が注目されるようになっている。その一つがシダマ県。20年に国内初開催されたコーヒー豆の国際品評会、カップ・オブ・エクセレンス(COE)で見事優勝を勝ち取ったニグセ・ゲメダ・ムデ農園を輩出した産地である。
ニグセさんの優勝豆は、フルーツやスパイス、そして花といった香りが混然一体となったような複雑な味わいで、その感覚はむしろリキュールや赤ワインに近い。優勝ロットを落札し、丸山珈琲で提供した際のお客様の反応も大変よく、あっという間に完売御礼。あまりの人気の高さに私自身ほとんど試飲する機会も持てなかったほどだ。
もともとそれなりの資本があったのだろう、先日訪問した彼の農園は広大で、本人はかなりビジネスに前のめりな性格でもあった。しかしそんな彼であってもこれまで全く表舞台に姿を見せることがなかったのは、生産者個人にスポットが当たる仕組み自体がなかったからだ。COEとはその意味で、彼のような未来のスターを発掘する一種の「ディスカバリーシステム」だと換言できよう。
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