四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

正暦寺真由会

2024年05月16日 | 寺社行事

16日㈭週末の土曜日18日に、あやテラスで開催する四方源太郎後援会(鹿子木旦夫会長)拡大役員会には100名を超える方々に参加いただけることになり、ありがたいことだと思っている。

 西脇知事、本田代議士、山崎市長らにもお越しいただくので、それぞれの立場からのお話も聴かせていただいた後、私からの府政報告を行い、懇親会へと移る予定にしている。

 には正暦寺真由(しんゆう)(岩本正信会長)役員会に出席した。真由会は、玉川弘信住職が晋山された後、住職と同世代かそれより若い信徒で組織している。コロナで数年できていなかった夏祭り今年は久しぶりに7月7日㈰12時~15時、正暦寺境内で開催することになった。

 参加費大人1000円、子ども(小・中学生)500円、未就学児 無料で、どなたでも参加いただけます。飲み放題、食べ放題、遊び放題ですが、数に限りはあります。


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あやべ福祉フロンティア草創期の歴史

2024年05月15日 | あやべ福祉フロンティア

15日㈬午後海の京都DMO亀谷義忠総合企画局長と福井誠次長が来られて、昨年度の報告と今年度の事業計画の説明を受けた。

 綾部市は京丹後市や宮津市などと比べると観光産業のウェイトが低い町なので、それら地域と同様の観光施策ではなく、市内の飲食業者やこれから飲食業にチャレンジしたいと思っている若者に向けた施策展開をしてもらいたいとお願いした。

 現状、綾部は夜の人の動きが減っているよく言われる。人口減少や高齢化の影響も大きいだろうが、夜のタクシーがないことも影響していると思う。ライドシェアなど新しい方法も活用して何かできないか?と考えている。

 私も来月、タクシー事業の関係者らと個人的に懇談の機会を持つつもりだが、DMOでも考えてもらいたい課題だ。

 以前は綾部でも20代、30代で飲食店を新たに開店するケースがいくつかあった。そこが同世代の若者のたまり場になっていたと思うが、今はそういったケースをほとんど聞かなくなった。前に綾部市や商工会議所が取り組んでいた「チャレンジショップ」のようなものが街中にできても良いのではないかと思う。

 

 16時半から清山荘にて、NPO法人あやべ福祉フロンティア(玉川弘信理事長)役員選考委員会に出席した。

 今年度は役員改選期に当たっていて、数人の方からは高齢や病気を理由に退任願いが出ているようだ。新たに理事をお願いできる人は誰か、などについて協議した。

 選考委員会は数十分で終わり、あとは雑談で、フロンティアが25周年を迎えるので、5周年、15周年はどうだったか?やフロンティアの草創期の話などをした。なぜかフロンティアは「5」の記念年にしか式典や事業ができていない。

 15周年当時の府立医大・吉川敏一学長を招いて、記念講演会「健康長寿で若さを保つには?」を開催した。

 フロンティアを設立したのは平成11年(1999年)8月で、設立総会若者交流スペース「りんく」(味方町)という場所で行った。

 その建物はすでに解体されて、今はいすゞ自動車の修理工場の一部になっているが、昔は綾部楽園というドライブインの駐車場にあったうどん屋の建物だった。それを当時は大本が所有しておられて、「フロンティアの事務所に使ったらどうか?」と提案してもらったフロンティアには当時、事務員もおらず使う当てがなかったので「若者団体のNEXTで使ってもいいですか?」と頼んで、NEXTが例会や会合の場所として使っていた。

 設立から数年間は総会や理事会は綾部市社会福祉協議会が入っている綾部市福祉ホール(川糸町)で開催していたと思う。

 平成14年(2002年)5月31日に行った総会熊野新宮会館を会場に、総会後の懇親会も初めて行っている。ブールからオードブルをとってやったように記憶している。53名の出席があった

 交流会(懇親会)の案内には「なお、おしのぎ程度の軽食と、お酒・ビールを支度致しますので自動車でのご来場は、ご遠慮ください」と書いてあり、「おしのぎ」という表現からすると、おそらく当時の理事であった足立みどりさんが作成してくださった書類なのだと思う。

 総会以外の理事会やボランティアの講習会などの会議は今は清山荘で行っているが、当時はほぼ福祉ホールを使っていたと思う。

 平成12年(2000年)8月から常勤の事務員1名を雇用した。事務所は設立当初から数年は㈲両丹企画(綾部市並松町上溝口20-3)内に置いていた。そこからハートセンター(本町2丁目)に移り、今の清山荘には平成18年(2006年)5月に移転した。

 当時の事務所で、ボランティアや職員の皆さんと撮った懐かしい写真が残っている。平成15年(2003年)の3月頃ではないかと思う。29才になったばかりの頃か。

 平成15年(2003年)3月14日に開催した総会から、主に亀甲家を総会の会場とするようになった。以後、会場の都合でふしみやで開催したり、コロナで書面開催や食事なしで清山荘開催だったこともあるが、多くの年は亀甲家で開催している。

 平成15年から10年ほどは、綾部市長や綾部市福祉保健部長、綾部市立病院長、綾部市社会福祉協議会長などに案内を出してお越しいただいていたこともあった。

 6月には総会をして、その後にボランティア交流会、12月には忘年会を兼ねたボランティア交流会を開催してきて、今もそれは続いている。

 当時は総会は弁当、忘年会は鍋で開催していたが、だんだん鍋は敬遠されるようになって、最近は弁当や懐石に変わっている。「鍋をつつく」という同志の一体感が当時は良かった。

 25周年にあたっては、これまでボランティアなどでフロンティアに関わっていただいた方々を調べ、そのお名前を記念誌に残していくことで、感謝の気持ちを示したらどうかと思っている。


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NHK大阪放送局に朝ドラの要望へ

2024年05月14日 | 議員活動

14日㈫午後からNHK朝の連続テレビ小説誘致促進協議会(会長:山崎善也市長)正副会長、顧問NHK大阪放送局へ要望活動に行った。

 グンゼ創業者、波多野鶴吉・はな夫妻を中心とするドラマをつくってほしいと活動を始めて10年になる。

 今日は藤澤浩一京都放送局長の案内で、大阪放送局の森田正人局長代行、伊藤綱太郎副局長、中根健コンテンツセンター第3部長、菓子浩第3部シニアリードに、綾部市から山崎市長、材木正己商工会議所会頭、平野正明観光協会長らと要望をさせていただいた。

 私から「グンゼは戦前は製糸(絹糸)、戦後は綿糸を使ったシャツやパンツ、最近は医療用の糸が好調であり、一貫して「糸」にこだわって今日まで続いている。そこには会社に誇りを持って働く従業員の皆さんがあり、それはグンゼが力を入れた従業員教育の賜物であった。株主への配当を気にせずに設備投資ができたのは一株、二株という地域の株主に支えられたからであり、当時は若い人が働くことに充実感があっただろう。当時の活気をぜひドラマ化して、今の若者にも働くことの楽しさを感じてほしい」とお願いした。

 また「郡是という名前の名付け親である前田正名は薩摩藩出身で農商務省次官まで務めた人だが、若い頃からの友人で会った農商務大臣の陸奥宗睦とケンカして省を追い出された。前田正名は地方に産業を興すことが国を強くすると主張したが、当時、中央集権を進める藩閥政府とは合わなかった。今、農協などに金融が残っているのは前田正名のおかげだと思う」ということや「ドラマにするには多少スキャンダル的なことも必要だ」と初代技術部長であった新庄倉之助のエピソードなどもお話した。

 NHKに要望をしながら、綾部市内でも市民理解をもっと広げるような活動をしていきたいと思っている。


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北國新聞の北陸新幹線「米原ルート」に関する記事

2024年05月13日 | 論評・研究

13日㈪未明から警報級の大雨だと言われて心配していたが、綾部はさほどでもなかった。

 12時半から議員団会議があったので京都に行き、他の議員にも聞いてみたが、「降りましたが、そんなに大雨ではなかった」ということだった。

 

 先日の北國新聞からの取材が昨日、【日曜特番】として記事になったようだ。

※北國新聞2024年5月12日付:

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1396801

 

 そういえば「北國新聞」と言えば、人類愛善会総本部理事などを務められた大本の幹部の三ツ野真三郎さんが専務取締役・主筆を務めておられた新聞社で、ずいぶん前に一度だけ三ツ野さんと綾部の大本神苑で出会った際に、そういう話を聞いたことを思い出した。

 

 先日来られた記者の話を聞くと、石川県では現行の「小浜ルート」ではなく、「米原ルート」を復活させようという動きが政界や経済界で起こってきているようだ。

 誤解されては困るが、私は特別に「米原ルート」推しではない「小浜ルート」は住民の反対、由良川源流である美山町の自然破壊、京都市の地下水問題、地元自治体の費用負担などの課題が大きく、実現が難しいと当初から考えていた。

 このままでは敦賀終点となり、北陸の皆さんの悲願が達成できないため、それなら元々滋賀県や関西広域連合が推していた「米原ルート」が現実的でないかと考えるようになって、昨年の府議選の際の京都新聞のアンケートにもそう答えた。

 もし「米原ルート」も難しいというのなら、別の「小浜ルート」、小浜~福知山~新大阪という京都市や美山町を通らないルートも再度検討すべきではないかと考えている。

 これはまさに山陰新幹線につながるルートであり、北近畿にとっては「受益」があるので、「負担」もできるルートだと思う。

 

 現行ルートに決まった時、地元民の素直な感想としては「これは難しいルートに入っていったなあ」というものだった。「国が費用負担して国の事業として進めていく」ということだったので京都府は口を出せずに見守るしかなかった「まあ、お手並み拝見」と思っていたら、案の定、入り口の美山町の住民の猛反対に遭い、環境アセスメントすら行われていない。

 意地になって進めようとしても、次から次へと難題が立ちふさがり、結局、敦賀止まりになってしまうと懸念する。

 

 石川県の加賀市、小松市、能美市、川北町の三市一町を「南加賀」地域と呼ぶが、この地域の小松市議会や加賀市長から「米原ルート」の推進を求める声が上がり始めているようだ。石川県議会や富山県議会の自民党の重鎮議員も声を上げておられるとのこと。

 南加賀地域衆議院選挙区は石川2区にあたり、現在は佐々木紀代議士の選挙区となっている。佐々木代議士と私は同時期に党本部と京都府連でそれぞれ青年局長を務めた。佐々木代議士は森喜朗元総理の後継者である。

 「舞鶴ルート」の陳情に東京に行っていた頃、行く先々で「整備新幹線は政治新幹線だから」と言われた。

 北國新聞の今回の記事は「狼煙」なのかもしれない。

 

 現行の小浜ルートに決定される直前、平成28年6月の府議会一般質問で、私がこのルートの自然破壊や地元自治体の負担に対する懸念を訴えていた質問を下記に掲載します。

 私の意見は当時から一貫しており、何も変わっていません。

 

【四方源太郎質問】

 次に、北陸新幹線の敦賀以西ルートについて質問します。

 ご存知のとおり、候補は3つに絞られ、滋賀県が推す米原ルート、JR西日本の小浜から直接京都駅に向かうルート、そして京都府が推す府北部を経由して京都駅に向かうというルート、この3本に調査費がつき、年内には与党のプロジェクトチームで結論が出されるのではないかと言われております。私はもちろん、京都府の推すルートを支持しております。

(中略)

 山田知事は、我々のそういった思いをしっかりと受けとめ、日本海側国土軸が必要だ、京都府にはしっかりとした南北軸が必要だとの従来からのご主張のとおり、「府北部ルート」を京都府の第一候補と定め、国に対してその優位性を強く主張していただいているところです。

(中略)

 一方でJR西日本のルートになった場合、幾つか懸念を感じます。

 敦賀から小浜市を通り、直接京都駅へというのは、小浜市の南に位置する京都府域には「芦生の森」があり、ここは先ごろ、京都丹波高原国定公園として指定を受け、京都府もここを地域振興の中核として「森の京都」事業等を進めようとしている宝の山々がある場所であります。

 また、この「芦生の森」を水源として、南丹市美山町、そして京丹波町和知、綾部市、福知山市、舞鶴市を流れて、宮津市の由良海岸に注ぐのが、私たち中丹・南丹住民の命の川である由良川であります。私たちの命の源とでも言うべきところにトンネルを掘って新幹線を通すということに、大いなる危惧を覚えます。京都縦貫道の工事の際にも、掘られたトンネルによって水の流れが変わり、田んぼに水が入らなくなったという苦情がありました。

 トンネルを掘る際には、たくさんの土を運び出す必要があり、大きなダンプが毎日のように行き交う作業道もたくさん必要でしょう。国定公園に作業道が張り巡らされ、何年もの間、ダンプカーが走り回るという姿が、私には想像できません。

 「芦生の森」が国定公園化されるという話が出た数年前、自民党議員団で国定公園の先進地として、鹿児島県の屋久島を視察に行きました。私たち若手の6名の議員は実際に現地を見るということで屋久杉まで往復約22キロ、朝6時から夕方6時ごろまで山道を歩きながらガイドさんの説明を聞き、自然環境の保全と観光収入のバランスのとり方について勉強してきました。

 町役場でもお話を聞きましたが、観光客をふやそうというのではなく、自然保護のために、森に入る人数に制限をかけようという議論が地元で起こっているとのことであり、屋久島を貫くトンネルを掘ろうなどという発想など、もちろん全くありませんでした。

 JR西日本ルートに決まった場合には、国定公園や由良川の水源地は避けるよう要求しなければならないと思っております。これについて、知事はどのようにお考えでしょうか、ご見解をお聞かせください。

 また、地元負担の話ですが、JR西日本ルートだと、京都府にとっては駅のつくりようもない山の中を新幹線が走ることになると思われますが、それでも府はそこへの負担を求められるのでしょうか。

 私は、そんなところの負担は京都府がするべきでなく、その場合は山陰線(園部-綾部間)の複線化に府のお金を回していただきたいと思っています。

 

【建設交通部長の答弁】

(前略)小浜-京都ルートにつきましては、小浜と京都駅を単純に結んだ場合に四方議員ご指摘のとおり、京都丹波高原国定公園内の由良川の水源地域を通過する可能性がございまして、現在、その詳細なルート候補については、国において調査が行われているところでございます。

 地域の自然環境の保全については、国の調査において当然配慮されるべきものと考えておりまして、どのルートでも同じような環境の問題ということが出てくると思われますので、国にはしっかりと調査していただけるよう、申し入れていきたいと考えております。

 府としては半年後に取りまとめが予定されている調査結果が出れば、改めて必要な対応を求めてまいりたいと考えております。

 また、整備新幹線の建設費の負担についてでございますけれども、全国新幹線鉄道整備法という法律によりまして、国及び新幹線鉄道の存する都道府県が負担することとされておりまして、現行ルールでは、受益にかかわらず府域を通過する場合は負担を求められることとなっておりますけれども、途中駅もなくトンネルだけで通過する区間に対する負担は、大変厳しいものと考えているところでございます。

 本来、都道府県に負担を求める場合は、受益に応じた負担とすべきと考えており、関西広域連合でも検討すべきと考えてお願いしているところでございます。

 知事から2月17日の与党PTにおいて、そのことを主張し、どこにどういう受益が発生するかなど、国でしっかり調査していただくようお願いし、先日6月8日の政策提案でも、国家プロジェクトとしての重要性を踏まえた国と地方との負担のあり方の見直しを、国土交通大臣に要望したところでございます。

 今後、調査が実施され、国からルートや費用負担の案が示された段階におきましても、国に対し、必要な対応を求めてまいりたいと考えております。


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綾部ライオンズクラブ60周年

2024年05月12日 | 議員活動

12日㈰11時から綾部ライオンズクラブ(辻建作会長)60周年記念式典・記念祝宴に出席した。

 60年前のチャーターナイトのメンバーであった粟賀保さんが表彰を受けられ、当時を振り返って挨拶をされた。歴史の重みを感じる良いお話で、皆さん聞き入っておられた。

 粟賀さんには初当選した13年前の府議選の際には正暦寺の総代として「四方源太郎くんを応援する正暦寺の会」の会長を務めていただき、強力なご支援をいただいてきた。今年、奥様を亡くされ、体調を崩しておられたそうだが、久しぶりにお顔を拝見できて良かった。

 司法書士粟賀保事務所はお孫さんの奥様が引き継がれたと少し前に挨拶状が届いていたので「良い後継者ができて良かったですね」と式典の後で声を掛けに行ってお話した。

 

 綾部ライオンズクラブの皆様には60周年記念事業として、綾部中学校吹奏楽部の昨年の全国大会出場に際して寄付をいただいた。

 懇親会の冒頭では綾部中学校吹奏楽部が演奏をしてくれ、その自信あふれる堂々たる演奏に全国大会の経験が活きていることを感じた。子ども達に良い経験の舞台をつくっていただいた皆様に感謝申し上げます。

 懇親会では久しぶりに先輩の巽昭府議ともお目にかかれたし、京都府北部から100名ほどの方が集まり、盛大に開催された。

 

 終了後は事務所に戻り、ブログ書きや事務仕事など。


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春の行事

2024年05月11日 | 教育・子育て

10日㈮久しぶりNEXT(今川信吾代表)例会に参加例会後はいつものように居酒屋にて懇親会。

 20代の頃に始めたNEXT今の参加者は全て50代。どうしても昔話ばかりになってしまう。

 

11日㈯9時から綾部バラ園「春のバラまつり」(グンゼスクウェアにて6月24日まで、9時~17時)開会式に出席綾部バラ会の材木正己会長の挨拶で始まる。

 4月1日に就任された京都府の奥野昌徳中丹広域振興局長の挨拶も初めてお聞きした。人事委員会の事務局長からの異動で、府北部での仕事の経験はないそうだが、北部の状況を肌身で感じ、我々と共に訴えていただきたい。

 グンゼ集蔵で行われていた「おかいこさんフェスティバル」(グンゼ、蚕都Grants共催)も見学した。出口春日さんが蚕から糸を取る実演をしておられた。

 レプリカかと思って見ていたら、本物の蚕で驚いた。

 グンゼの吉川智美総務課長と昔のグンゼの写真や資料展示を見ながら、NHK朝ドラに取り上げてもらうには「どこにポイントを当てて働きかけていくか、ドラマ化する立場も考えて、今後の運動のための実質的な作戦会議が必要ではないか」というお話などをした。

 吉川課長も相当、いろんな創業期の歴史を調べておられるので、新しい話もいくつかお聞きした。

 

 その後綾部中学校へ。PTA総会を開催する前授業参観が行われた。土曜日だったからか、大勢の保護者が参観に来ておられた。

 温二郎のクラスは社会の授業を受けており、第二次大戦の頃が取り上げられていた。

 気になったのは、枢軸国VS連合国で枢軸国は「日本、ドイツ、イタリア」、連合国には「アメリカ、イギリス、ソ連、中国」と黒板に書いてあったこと。

 連合国の主要国には「フランス」も入っていて、それが現在の国連安全保障理事会の常任理事国の5か国となっているので「フランス」も入れておいた方が良いと思ったのと、「中国」というのはどうなんだろうか?と思った。

 「中国」は「中華人民共和国」を指していると思うが、「中華人民共和国」の建国は昭和24年であり、昭和20年に終戦した第二次世界大戦時には国が存在していない。当時の「中国」は「中華民国」のこと「中華民国」の蒋介石総統は後に内戦によって国を追われ、台湾に移った。

 授業で取り上げられていた「ヤルタ会談」(日本の戦後処理を連合国が決めた。蒋介石は参加せず)の3年前に、同様の趣旨で「カイロ会談」が開催され、ここには蒋介石総統が出席している。

 そうすると、黒板に書いてあった「中国」は「中華民国」(現在の台湾)を指していることになるが、それは国際的には刺激的な表現だ。

 中学生の社会の授業はそこまで深くは立ち入らないのだと思うが、黒板を見ながらあれこれ考えていた。

 

 11時55分からはPTA総会を開催した。

 会長挨拶では「PTAはレクレーションや研修会を目的とする団体ではなく、親同士、親と先生が交流し、いざ何か問題が起きた時にはそのネットワークを問題解決に活用するための組織だと思う。昨年のPTA会員へのアンケートでは『PTAを廃止してほしい』という意見も複数あった。教育という言葉の「教」は先生が指導するという意味で、「育」は親が子どもを育成するという意味だと思う。「教」と「育」がバラバラでは「教育」にならない。PTAは先生と親が交流する「教育」の場であって、『PTAを廃止してほしい』という意見は『学校から教育を廃止してほしい』という意味になるが、そうではないだろう。PTAの本来の意味を理解してもらえるよう、【交流】をメインに活動していきたい」と述べた。

 全ての議案は承認され、無事に総会は終了した。文化活動委員会では今年もPTA合唱を行う予定で、11月1日の「ライブオリンピック」(文化祭)で発表をすることになった。

 資源回収は例年、8月のお盆過ぎに実施していたが、昨今の猛暑を考え、今年は9月28日㈯に実施することに変更となった。

 また、学校のクラブ活動に所属する義務がなくなっており、学校のクラブ以外で活動している生徒も増えていることから、文化体育費(月額130円)の徴収を廃止することとなった。

 さらに生徒数減少で自転車置き場のスペースが空いてきたことから、自転車通学の規定が改訂され、上野、並松、大島中については全てが自転車通学範囲となり、青野は町域が広範囲で生徒数も多いことから綾部用水路以北と引き続き定められた。

 

 午後は事務所で事務仕事。夜はPTA役員の懇親会を亀甲家で開催した。


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北近畿みらい塾「祈る、聴く、食べる」

2024年05月08日 | 哀悼

日㈬午前中黒田實さん葬儀に参列

 今から17年前「げんたろう新聞」の発行を始めた時、最初は川糸町内は貴田清さんに配っていただいていた。貴田さんが病気で配れなくなった後は黒田さんに引き継いでいただき、今年の1月まで配っていただいていた。

 今年の2月頃「本人は自分が配ると言って聞かないんですが、先日も配りながら何回もこけて、とても無理なんです…」と親戚の方が申し訳なさそうに電話をしてこられた。体調の変化に気がついておらず、本当に申し訳なかったと思い、御礼とお詫びのハガキを書いてから、まだ3ヵ月ほど。急逝の報を聞いて驚いた。

 10年以上前「ほろにがクラブ」に入った時は会計をしておられて、いつも美味しそうにビールを飲んでおられたし、釣り竿や畑仕事の道具を自転車に載せて颯爽と走っておられた姿が懐かしい。

 大変お世話になり、本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

 NPO法人北近畿みらい(四方八洲男理事長)では今年度、北近畿みらい塾を数年ぶりに再開され、「祈る、聴く、食べる」と題して「奥京都国宝(重文)十箇寺巡り」(各回参加費は8,000円~9,000円、昼食付)を計画されている。

 第1回(5月10日)の観音寺(福知山市)、光明寺(綾部市)で昼食(あやべ温泉)は、すでに〆切を過ぎているが、第2回(6月14日)は松尾寺(舞鶴市)、多禰寺(舞鶴市)で昼食は「ふるるファーム」となっており、第5回(11月29日)まで開催される。

 各回ともに、出発は綾部駅北口から貸切バス利用で、〆切は10日目まで。

 申し込みは北近畿みらい 電話0773-40-2211、FAX0773-40-2244、メールinfo★k-mirai.net(★を@に変えて下さい)にどうぞ。

 

日㈭午前中中丹東土木事務所の細井浩一所長ら続いて、中丹広域振興局の大槻督昭農林商工部長らが来られて、今年度の京都府の土木・農林事業の箇所決定の説明を受けた。

 午後北陸新幹線の敦賀以西ルートに関して、石川県の県紙である北國新聞の記者の方がわざわざ金沢から取材に来られた。

 北陸の人にとっては「由良川の源流」や「京都大学の芦生演習林」のことはあまりご存知なく、なぜ京都府民が現行ルートに懸念を示し、南丹市美山町田歌地区の住民の方々が環境アセスメントにも反対しているのかが理解できていなかったようだが、お話すると「それは推進するのは、なかなか難しそうですね」とおっしゃっていた。

 「京都府北部にとっては現行ルートの推進にデメリットがあることはよく分かりましたが、如いてメリットがあるとすれば?」と質問されたので、「トンネルの残土を運び出す運搬業者の仕事ができることでしょうか」と言ったら「それだけでは寂しい話ですね」と言っておられた。

 

 綾部中学校PTAの第2回運営委員会に出席し、今週末の総会に向けての議案審議などを行う。


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自民党綾部支部の役員会

2024年05月07日 | 政治活動

日㈫GW明け。

 自民党綾部支部(支部長:四方源太郎)役員会を開催した。綾部支部では6月30日に定期大会を予定しており、その審議内容の協議、党費集金のお願いなどが議題となった。

 冒頭には政治とカネの問題について、ご迷惑をおかけしていることを謝罪し、私は現状の自民党の状況に危機感を覚えていることや、そのため今年2月に自民党京都府連会長宛てに「政治資金適正化についての提言書」を提出したが、何の反応もないということなどを説明した。

 議事の後府政報告や意見交換の時間を持った。

 昨夏の災害復旧のための地域交響プロジェクト被災地支援プログラムの採択状況等の説明をした。

 昨秋、綾部支部で招いたソロモン諸島マライタ州のスイダニ元知事が州議員選挙に当選し、近々、知事に返り咲かれる予定だと説明したが、翌朝、「スイダニ氏が知事選への出馬を断念した」との一報が入ってきた。

 スイダニ氏を追い落とした前知事が中国の江蘇省政府と結んだ資金援助協定があり、スイダニ氏が知事になればそれは白紙に戻されるということを言われているらしく、スイダニ氏は「自分がマライタ州発展の阻害要因になることは避けたい」と表明されたようだ。残念だ。


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図書館の開館日数と開館時間

2024年05月06日 | 教育・子育て

日㈪今日でGWも最後。昼に冷蔵庫にあったもので「豆腐あんかけ丼」を作った。

 大学生の頃、下宿でこれを友達に振る舞うと「源太郎スペシャル」と言われて、喜ばれていたのを思い出した。

 涼子がちょうど起きてきたので、涼子にも食べさせたら何も言わずに食べていた。

 午後は涼子を図書館に送って行った後、事務所でブログ書きや事務仕事。

 

 綾部市図書館については、勉強する子ども達や保護者から「開館時間をもっと長くしてほしい」という声を聞く。昨日も八田や志賀郷の方からわざわざ行ったのに「休みだった」という声を聞いた。


 府議になって間もなく、佐賀県の武雄市図書館を視察したことがある。

※2014年7月31日付blog「武雄市と佐世保市へ」https://blog.goo.ne.jp/gentarou-ayabe/e/f3f2fe116fed294cda085c36e538c69c

 

 当時の武雄市の樋渡啓祐市長総務省官僚出身有名な「名物市長」だった。今で言うと安芸高田市の石丸市長のような存在だろうか。

 その樋渡市長の肝入りで、デザインも内容も素晴らしい図書館ができていた。当時は先駆的だったが、スターバックスが図書館に入っていると聞いて驚いた覚えがある。

 その武雄市図書館の開館状況は?と調べてみると「9時~21時までで、年中無休」だった。すでに市長は代わっているが、図書館には変わらず力が入っているようだ。

 

 昨年府議会文化生活・教育常任委員会で札幌市図書・情報館を視察した。現地視察の前札幌市まちづくり政策局政策企画部の淺野隆夫プロジェクト担当部長(札幌市教委中央図書館調整担当部長兼務)の説明を聴いたが、これまで通りの型にはまった「図書館像」を語られるわけではなく、また公務員の型にもはまらないような柔軟な発想で興味深いお話だった。

※2023年11月16日付「札幌市図書・情報センター」https://blog.goo.ne.jp/gentarou-ayabe/e/68f54b60c26554822efcfc2307096021


 「図書館」とはこういうもので、利用する市民はそれをわきまえるべき、というのではなく、市民が求めているものは何か?それに合わせた施設をつくってこそ、利用が増え、公共施設の意味があるというお話だった。

 ここでは市民のビジネスや学習を支援することに特化した運営が行われていた。札幌市図書・情報館開館時間「平日は9時~21時、土日祝は10時~18時、休館日は毎月第2・4水曜」となっている。

 

 綾部市もせっかく先進的な立派な図書館をつくったので、運営も全国の先進事例に見習っていくべきだろうと思う。

 近隣では福知山市立図書館「月曜休館で、火~金10時~20時、土日祝10時~18時」舞鶴市は東西それぞれに図書館があり、「原則開館時間は10時~18時で、東西それぞれが週に1日は開館を19時まで延長」している。

 綾部市図書館年末年始等以外では「月曜日(祝日の場合は火曜日)、祝日の翌日、毎月最終火曜日(祝日の場合は水曜日)が休館で、開館時間は火~金が10時~19時で、土日祝は10時~18時」となっている。

 

 舞鶴市と綾部市は開館時間が福知山市より短く、開館日数は福知山市に比べて相当少ない。舞鶴市では現在、新しい図書館の建設が進められており、現状より開館時間や日数が拡充されるのではないかとも思う。

 図書館の運営状況だけ見ても、綾部市と福知山市との間には根本的な教育力(自習力)に大きな差がついてしまっているのではないかと心配する。


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秋葉三尺坊大権現

2024年05月05日 | 寺社行事

日㈰10時半から紫水ヶ丘公園にある秋葉三尺坊大権現の春季大祭を参拝した。

 ここは味方町自治会(志賀正則会長)で守っておられる「火の神様」であり、消防関係者も数多く参拝されている。

 綾部三光教会の行者の方々による護摩焚きが行われ、湯立神事、火渡りなども行われた。


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綾部中学校野球部、絆杯で3位に!

2024年05月04日 | 教育・子育て

日㈯、昨夜宵宮の後、深夜12時頃から奥地町の方々は公民館で軽く打ち上げされるようだったが、地元の皆さんの輪を邪魔するのも良くないだろうと思い、先に泊めていただく家に戻って、シャワーを浴びて寝かせてもらった。

 寝ながらも、ドデッサッサーという声やお囃子の響きがずっと頭の中を回っている感じだった。

 祭の本祭礼はどうしようか?と思っていたのだが、巡行は昼からで、また夜遅くまでかかるようだった。

 昨日、温二郎が出場した中丹地区絆杯の大会綾部中学校野球部が11対6で福知山の成和中学校に勝ち、今日は9時から長田野グラウンドで桃映中学校と試合だと聞いたので、本祭礼を失礼してそちらに応援に行くことにした。

 本祭礼には、またいつか参加する機会があればいいなと思っている。

 三河内の皆さんには大変お世話になり、昭和にタイムスリップしたような良い経験をさせていただきました。ありがとうございました。

 与謝峠を越えて、福知山に戻り、綾部中学校野球部の試合の応援に長田野グラウンドに向かった。

 試合は12対2であっさりと4回コールド負けを喫した。

 温二郎は今日はヒットが出なかったが昨日は打てたそうだ。

 昨日勝った成和中学校には練習試合でも公式戦でも全く歯が立たなかったのに、やっと勝つことができたので、これからも日々練習に励み、今夏の最後の大会で良い成績を残せるように頑張ってほしい。

 今日はピッチャーが四球で崩れたわけでもなく、ピンチにはマウンドに集まって、温二郎もピッチャーの背中を叩いて励ましていたし、チームワークは少しずつ良くなっていると感じた。

 3位で表彰されて、良い経験ができたと思う。次はその上へ。


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三河内曳山祭りの宵宮に参加

2024年05月03日 | アート・文化

日㈮午後から丹後与謝野町三河内に向かった。三河内は旧野田川町の一地区「三河内」と書いて「みごち」と読む。毎年、三河内曳山祭が盛大に開催されている。

 なぜ?このお祭りに参加することになったのか?というと、昨秋、京丹後市峰山町の飲食店でたまたま席が隣りになった少し年上の50代の経営者と知り合い、意気投合した。

 その時に強い与謝訛りで「お前はワシよりちょっと年下やから四方クンと呼ぶけど、四方クン、ミゴチの祭を知らんのではアカンわ」「うちに泊めてやるから、今度来るか?」と言われた。

 初対面で、互いに結構飲んでいたこともあり、「そうは言っても、明日になったら覚えてないだろう」と思っていたが、それからも何度か「約束通り来てくださいね」とLINEをもらったのでお言葉に甘えることにした。

 その方の家も知らないので、「どこへ行ったらいいですか?」と数日前に聞いたところ、「梅林寺という寺の手前」だと言われて、梅林寺を目指して行った。梅林寺は臨済宗妙心寺派のお寺で城のような巨大な石垣があった。

 寺の近くから電話をかけたら「寺の下まで来て!」と言われたが、人はたくさんいるもののその人の顔が分からない。一度、会っただけなので、よく考えたら顔もよく覚えていなかった。

 寺の下に知り合いの与謝野町議がおられた。「げんたろう、お前、なんでこんなところにおるんだ?」と言われ、「この祭の意味も分からずに、〇〇さんに誘われて来たんですけど…」と答えた。「それなら、これから後藤神社に行くから、お前もついて来い」と言われて、よく分からないまま、出雲大社与謝分祠の後藤神社へついていくことになった。

 後から分かったことでは、三河内には6つの町内会があり、それぞれに山車を出しているこの町議の町内会は「神楽山」で、僕が誘われたのは「倭文(しどり)山」、他にも「春日山」「浦嶋山」「大幟山」「八幡山」というのがあるそうだ。

 「倭文山」に行くべきところを間違えて「神楽山」についていってしまったようだ。

 

 後藤神社で少しビールを飲ませてもらい、三河内の区長さんや後藤重和分祠長らとご挨拶した後、ずいぶん歩いて戻ってようやく「倭文山」と合流することができた。

 「倭文山」は梅林寺の門前にある奥地町の方々が80軒弱で守っておられるそうだ。今年の「倭文山」の総責任者(総町主と呼ぶそうだ)が元京都府職員の方で「綾部の四方先生がなぜ?ここに?」と驚いておられた。

 「倭文山」と書かれた法被を貸してもらい、「山車の綱を引っ張ってくれ」と言われて列に加わった。山車は初めて見たが、小学生を乗せて坂道を登ったり下ったり、90度直角に細い路地へ入って行ったりする時に溝にはまったり、屋根にぶつかりそうで、「大丈夫かな?」と心配した。

 15時半頃子どもの山車が梅林寺下の倉庫に戻ると夜の巡行までしばらく中休みとなった。

 

 その間に三河内の町を歩き、祭のことを説明していただいた。家々の前には「献灯」と書かれた提灯が立てられ、町全体が祭一色になっている。あちこちからお囃子が聞こえ、フーテンの寅さんがひょっこり歩いて出てきそうな雰囲気がある。

 三河内曳山祭は5月2日から準備が始まり、3日が宵宮で青年屋台(10代、20代の若者が乗る)と子ども屋台(小学生が乗る)の巡行、4日は本祭礼で大きな山車と子ども屋台が昼から夜まで巡行するそうだ。

 街並みには、昭和の頃までは機屋が軒を連ね、「ガチャ万」で大儲けしていたなごりが感じられた。

 祭の中心である倭文神社にも参拝した。機織りの神様「綾部」と通じるところもあるように思った。

 「神楽山」とも再び遭遇した。この町内会では若者が神楽を舞い、三河内区全域を回るようだ。

 浦嶋山の「総町主」の方に祭を運営する組織の話を聴かせてもらった。各町内で「町主」と呼ばれる幹事役が選ばれて、その代表が「総町主」となるとのこと。だいたい60才前後の方がなられるそうだ。

 山車の組み立てや運行管理は「保管委員長」もしくは「保管係長」が責任者その下に20名ほどの委員がおられるそうだ。僕を招いてくれた方「倭文山」の「保管委員長」を務めておられた。通常は1年交代で、その方は次になる予定の方の都合が悪くなって2年連続で引き受けたとおっしゃっていた。

 巡行の出発点にある小さな祠。ここにも神社の幕には全て「丹後ちりめん」が使われている。

 17時45分頃からは、奥地町の公民館の前に青年屋台、子ども屋台が運ばれ、飾りつけの準備が始まっていく。

 町の人達によって、出発点まで移動し、各町から10基ほどの山車が集まってきた。順序は毎年、総町主による話し合いで決まり、間違えると大変だそうだ。

 出発点に着くと、提灯が灯される。昨年からLEDになったそうだが、以前は火をつけていたということだった。

 屋台に乗る青年や子ども18時から23時過ぎまで、交代で太鼓を叩き、笛を吹き、ドデッサッサーという掛け声を発し続ける。太鼓が腹に響き、若者が叫び、笛が甲高い音色を出し続ける。すごい熱気だ。

 倭文神社や梅林寺、町のあちこちでしばらく停まる場所や転回する場所などがある。

 また、祭りの法被を着ていると、この日はどの家でも酒や食べ物が振る舞われるそうだ。

 こんな祭を今でも継続できているところは京都府北部では三河内しかないだろう。何もかも祭に捧げて、老いも若きも狂喜する姿は、行ったことはないがスペインのカタルーニャ地方で独自の言語や文化を誇る「バルセロナの雰囲気」ではないかと思った。

 ドデッサッサーという掛け声は大人は言わず、若者や子ども達だけが言っていた。大人が大きな声で叫ぶと若者や子どもは呑まれて言えなくなるかもしれない。次につなげるための工夫ではないかとも感じた。

 最後は出発点に戻って、全員で万歳した後、各地に戻っていった。軽く考えていたので5時間も歩くことになるとは思わなかった。明日は明日で、本祭礼があり、さらに大きい山車が同じように夜まで巡行されるそうだ。


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山菜まつり、綾部ふれあい牧場まつり

2024年05月03日 | イベント参加

日㈮10時於与岐町弥仙会館「山菜まつり」(於与岐区主催)開会式に出席した。開会式前には恒例の「於与岐太鼓」が披露された。

 上野司実行委員長の挨拶からスタートした。今日の祭りにはジャージを着た中学生の姿が目立つなと思っていたが、上野実行委員長の挨拶でそれが説明された。

 八田中学校の小林孝伊校長から「中学生の地域ボランティア体験として、山菜まつりに協力させてもらえないか?」と申し出があったそうだ。駐車場係、司会進行、売り子などで中学生が頑張ってくれていた。

 中学生にとっても大変素晴らしい体験になったことだろうし、於与岐の方々に大きなエネルギーを与えたようだ。

 会場からは霊峰・弥仙山が美しく見える。山崎善也市長に続いて私も挨拶させていただいた。挨拶では「於与岐の皆さんの長年の継続によって、山菜と言えば於与岐、5月3日は山菜まつり、というのが綾部市民に刷り込まれたと思う」と述べた。

 「地元の特産を使って村おこしをしよう!」と20年ほど前に於与岐の皆さんが行動されたことで、八田中学校の生徒の皆さんがそれに共鳴して今年は動かれた。

 私も府議会で綾部の皆さんの気持ちを知事に訴えており、西脇知事はそれを受けて、新たな取り組みの第一号として「黒谷和紙の振興」を取り上げ、今年3月には東八田地区の黒谷を訪問していただいたこともお話した。

 八田中学校吹奏楽部と吹奏楽部OBによる演奏も行われた。「孫が出とるんや」と言ってお越しになっている方もあり、「中学生効果」は集客にもずいぶん働いているようだった。

 山菜の天ぷらには行列ができていた。人気の山ぶきは早々に売り切れたようだった。

 東八田の酒井裕史市議と共に、地元の方々ともお話した。施福寺の方がおられたので、足立製作所㈱の農業プロジェクトの経緯等を説明した。

 

 続いては、位田町の綾部ふれあい牧場へ。ここでも「綾部ふれあい牧場まつり」が行われ、大勢の人で賑わっていた。

 店主の由良修一さんによると、綾部ふれあい牧場への来場者は綾部の人は1割くらいで、半分以上は京阪神からのお客さんだとのことだった。

 駐車場も入場料も無料で、ふれあい食堂の食事は質に比べて値段が安い。芝生や様々な遊具で子ども達は一日中でも遊べるし、京阪神の人にとっては1時間半ほどで来れる「穴場」になっているのだと思う。

※綾部ふれあい牧場 https://www.ayabe-kankou.net/spot/fureaibokujyo/

 近所に住む地元・豊里の後藤光市議と共に「いちごヨーグルトアイス」を食べ、「アイスコーヒー」を飲んだ。あやべMBTプロジェクトのツーリング部長の山下哲也くんも一緒に。

 

 午後与謝野町三河内の地元の方のお誘いで「曳山祭」の宵宮へ行った。有名なお祭りだが、写真でしか見たことがなかったので良い経験ができた。

 そちらは改めて投稿します。


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「げんたろう新聞」の配達にご協力を!

2024年05月02日 | 議員活動

日㈭午前中「げんたろう新聞」の配達に、新緑に包まれた吉美や西八田へ。

 「げんたろう新聞」は毎回6300部印刷し、市内外に配達および郵送しています。毎回の予備分配達先の周辺や団地等にポスティングしていますが、届いていないお宅もたくさんあると思います。申し訳ありません。

 「げんたろう新聞」をご覧いただける方は四方源太郎事務所(☎0773-43-1001)までご連絡ください。※GWの5月3日~6日、それ以降も土日祝日は事務所を閉じています。

 近所に新聞を配っても良いという方は何部でも構いませんので、ご協力いただければ大変ありがたいです。また、3ヶ月に1回は平日午後の2時間程度、事務所でラベル貼り作業も行っています。詳しくは四方源太郎事務所もしくは四方源太郎までお問い合わせ下さい。

 午後は来客等。

 

 先月、ホームステイにやって来たオーストラリア人のロッキーが綾部を立つときに弁当箱をプレゼントした。その弁当箱をオーストラリアに帰ってからも使ってくれているようで、写真を送ってくれた。

 170センチの身長がある中学3年の彼の弁当がこんなに少なくていいのか?と思うが、食文化が違うというのは相当なものだ。

 これは「ブリトー」のような物とスナック菓子の詰め合わせ弁当だろうか?


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ソロモン諸島のスイダニ氏が当選との報

2024年04月30日 | 一般

30日㈫8時前家を出て京都へ。10時から定例の監査委員会議に出席し、例月出納検査の状況などについて報告を受けた。

 来月から監査委員としての任期は二年目に入る。一年目は初めての経験で戸惑いもあったが、2年目は1年目の経験を活かしてさらに頑張りたい。

 監査委員になって気がついたことの一つ「収支差引」や「差引残高」の「差引」は「さしひき」と読むのだと思っていたが、京都府の職員は「さびき」と読むということ。ネットで読み方を調べるとやはり「さしひき」が出てくるが、京都府では「さびき」と読むのが一般的なのだろうか?と思っている。

 

 昨年秋に綾部にお招きした南太平洋の島国であるソロモン諸島で最大の州、マライタ州のスイダニ元知事今年の4月に行われた州議員選挙で再び当選された。この後、再び知事に選任される可能性が濃厚だとのこと。(ソロモン諸島の州知事は州議員から選ばれるようだ)

 大変、喜ばしい。

※2023.10.7付blog「ソロモン諸島からスイダニ前マライタ州知事が綾部に」

 一緒に来ておられた元首相府の役人であったタリフィルさんは落選されたようだとの報もあり、そちらは大変残念だが、彼らの政敵であるソロモン諸島のソガバレ首相派の議員は国会の50議席のうち15議席しか獲得できず、ソガバレ首相は退任し、後任に腹心のマネレ外相を擁立し、他党と連立して28議席を得たと発表している。

 5月2日には新首相が選ばれるようだ。スイダニ派の首相が誕生するのではないかとも期待している。その場合はタリフィルさんも政府の要職に就くという話を聞いている。

 しかし、ソガバレ派は中国政府をバックに資金力で多数派工作を進めているという話もある。そうなると、スイダニ知事への政府の圧力がさらに増し、反発したスイダニ支持者による暴動などに発展する恐れもあるのではないだろうか。

 綾部の自然や人々に触れた彼らがソロモン諸島のリーダーになる日を私は待ち望んでいる。

【現地ルポ】ソロモン諸島が脱中国へ旋回、総選挙で何が起きたか 反中派の知事復帰がほぼ確実に(2024年4月21日付、福島香織氏)

 

 一方で日本の政治衆院補選で自民党は惨敗し、岸田首相は総裁選での交代が余儀なくされるかもしれない。「代わりがない」という話もあるが、岸田首相のままで選挙をすると自民党は大敗する可能性があるため、国会議員は「誰でもいいから代わってほしい」という気持ちになっているだろう。

 ロシア・ウクライナや中東での紛争、アメリカ大統領選、進む円安などの裏で中国の動きが不気味であり、世界情勢が混とんとしている今の時期に日本は何をやっているのか?と思う。


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