電卓インベーダ(カシオ502P)
 私のデビュー作です。
 高校3年の時、関数電卓用のインベーダゲームを開発して雑誌に 投稿しました。 まだ、限界という言葉を知らなかった頃です。怖いもの知らずで、全てのことに興味を抱いていました。 今思うと随分無謀なこともしていました。

 投稿した記事は幸運にもI/Oという雑誌の1980年 1月号に掲載していただけました。 これが私のデビュー作となりました。この記事がきっかけで?電卓ゲームブームが起きたことを 憶えています。
 考えてみると、この頃の原稿料と、今頂いている原稿料にあまり差がない。どーいうこと…
使用していた電卓の写真
デビュー作を掲載してくれた雑誌 掲載ページのタイトル


タイムエンパイア(PC8801用)
パッケージの写真 ゲーム画面
 大学4年の時に作ったゲームです。あの「信長の野望」で有名な光栄から発売 されました。
はやりのロールプレインゲームの土台となったゲームです。
歩き回って戦ったり、いろいろな人と会話をして謎を解いていくタイプのゲーム です。

 会話はすべて吹き出し形式(右の写真の左上)、
草むらの中をを歩けば下半身だけが草むらに隠れるなど
当時としては画期的なグラフィックエンジンを作って結構話題になりました。

たけしの挑戦状(ファミコン)
攻略本の中の1コマ たけしの挑戦状のパッケージ


1986年に発売されたファミコンゲーム「たけしの挑戦状」。あのビートたけしが 高橋名人
にギャフンと言わせるために作ったゲーム。このゲームのメインプログラマーは私です。
ビートたけしと新宿の有名ホテルの最上階で何度も頭を突き合わせて作りまし た。
大学ノート一杯にかかれた彼のアイディアはとても印象的でした。
こんなに難しくしたらゲームバランスが崩壊するという忠告にも耳を貸さず、
だたひたすら自分の世界を追い求めていく彼の姿勢は勉強になりました。
私の考えかたや生き方に大きな影響を与えた一作でした。


Micro Mouse

1983年ごろからはじめたマイクロマウス。
途中で10年のブランク期間をへて1995年に復活。現在に至る。
当時はまだマイコンがアマチュア市場に出始めたころ。
何をやっても、驚きと感動があった。
ソフト作りに飽き始めたころロボット大会の記事を見る。
これだ、これが私が求めていたものだ
バイト、バイトでお金をため、ようやく作ったマイクロマウス。
初めてゴールに入ったときの感激は20年たった今でも鮮明に覚えている。
おそらく、最後の最後までマウスをやり続けるであろう。


Metallic Fighter

2002年からはじめた2足歩行型ロボット。
ホンダさんやソニーさんがヒューマノイド型ロボットを発表して世間を
あっと言わせていた頃。アマチュアの世界ではまだまだと思っていたが
あっという間にアマチュアでも作れるようになってしまった。
もちろん分野は違うが…
インターネットでプロが使う部品が買えたり、部品を作ったりすることができる時代。
これから、この世界がどのように進化していくか、とっても楽しみである。
自分も歴史を作るひとりとなれれば幸せである・・・


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