すみたはら

炭俵解説

 

炭俵序

 
 此集を撰める孤屋野坡利牛らは、常に芭蕉の軒に行かよひ*、瓦の窓をひらき心の泉をくみしりて*、十あまりなゝの文字の野風をはげみあへる輩也。霜凍り冬どのゝあれませる夜、この二三子庵に侍て、火桶にけし炭をおこす。庵主これに口をほどけ、宋人の手亀らずといへる藥 、是ならん」と、しのゝ折箸におきのさゝやかなるを、竪にをき横になをしつゝ、 「金屏の松の古さよ冬籠」と舌よりまろびいづる聲の、みたりが耳に入、さとくもうつるうのめ鷹のめどもの、是に魂のすはりたるけにや、これを思ひ立、はるの日のゝつと出しより、秋の月にかしらかた ふけつゝ、やゝ吟終り篇なりて、竟にあめつちの二まきにわかつとなん。是をひらきみるに、有声の絵をあやどりおさむれば、又くぬぎ炭の筋みえたり。けだしくも題号をかく付侍事は、詩の正義にいへる五つのしな、あるはやまとの巻々のたぐひにはあらねど、例の口に任せたるにもあらず。ひそかにより所ありつる事ならし。ひと日芭蕉旅行の首途に、やつ かれが手を携えて再会の期を契り、かつ此等の集の事に及て、「かの冬籠の夜、きり火桶のもとにより、くぬぎ炭のふる哥をうちずしつるうつりに*、 「炭だはらといへるは誹也けり」と独ごちたるを、小子聞をりてよしとおもひうるとや、此しうをえらぶ媒と成にたり。この心もて宜しう序書てよ」と云捨てわかれぬ。今此事をうかがへ、其初をおもふに、題号をのづからひゞけり。さらに弁をつくる境にはあらじかしとくちをつぐむ。
 
         元禄七の年夏閏さつき初三の日*   素  龍 書
  
 

俳諧炭俵集  上巻

俳諧炭俵集  下巻

 


 


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 おき:「火」偏に「唐」
ひそかに:ウ冠に、らいすき=すきへん「耒」偏にぐう「禺」

 ・常に芭蕉の軒に行かよひ:この三人は、常日頃芭蕉庵を訪ねて、の意。
瓦の窓をひらき心の泉をくみしりて:「瓦の窓」には、@ 土を焼き固めてつくった窓。A 貧者や隠者の住居。また、そこに住む人(『大辞林』)とある。ここはAである。芭蕉に会って教えを受けている、の意。

くぬぎ炭のふる哥をうちずしつるうつりに:「契りあれや知らぬ深山のふしくぬぎ友となりぬる閨<ねや>の埋火」(夢庵)という古歌を打ち誦し(詠んだ)際に、の意。このときに芭蕉が「炭俵」というのは既にして俳諧なのだなと一人で納得していたというのである。
元禄七の年夏閏さつき初三の日:元禄7年閏5月3日。この日には芭蕉は伊賀上野に居た。よって、芭蕉は本撰集の最終点検をしていないことになる。ただし、出版は同年6月28日京都寺町・書肆井筒屋庄兵衛であり、この直後の7月5日には芭蕉も京都に滞在していたから刷り上りは見ているものと思われる。


 


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