ペルー年表 その

フジモリの時代

 

1990年

2 国会議員5名があいついで暗殺.カヤオに非常事態宣言.

4.08 大統領選.第一回目の投票では,27%を獲得したバルガス・リョサについでフジモリが急浮上,24%を獲得し2位にすべりこむ.過半数をとる候補がないため決選投票に入る.選挙は貧しい大衆(スペイン語を話すメスティソ37%,ケチュア語を話す原住民45%)と豊かな白人(15%)の対決となる.

5.06 センデロ,リマ市内北部の市場を訪れたフジモリ大統領候補に爆弾テロ.

6.4 リマ市内のモンテリコでセンデロのアジト摘発.最高幹部の一人シビラ・アレドンドら31人を逮捕.

6.10 ペルー大統領選,決選投票.「ショック政策」をとなえ,白人支配層の利益を代弁する民主戦線(人民行動党とキリ民党の連合)のリョサは34%にとどまる.

フジモリ・ブーム
フジモリはサムライのイメージを売り込み,フジモービルと呼ばれたトラクターに乗って「正直,勤勉,テクノロジー」をスローガンにして躍進.去年1年で3400%のインフレと200億ドルの対外債務にたいする不満を背景にカンビオ(変革)を訴え,アプラと革新勢力の支持も受け56%を獲得,大差で当選.

6.21 ベネットDEA長官,コカイン問題でフジモリに警告.

6月 MRTA,フジモリに対して和平提案.この時点でMRTAは主戦派,和平派など3つの潮流に分かれていた.

7.01 大統領就任を前にしたフジモリ,来日し海部首相らと会談.海部首相はペルーに経済調査団を派遣すると表明.

7.09 カント・グランデ刑務所の近くの民家を借りたMRTA,25人が3年がかりで刑務所に達する抜け穴を掘る.ロランド司令官(ビクトル・ポライ)らMRTA幹部をふくむ47名が,3百メートルにわたるトンネルを通じて脱獄に成功.

7.16 大統領就任を前に,フジモリ陣営内で対立表面化.側近2人が辞任.

7.17 フジモリ次期大統領,ホルヘ・チャベスを新経済顧問に,フアン・カルロス・ウルタド・ミレルを首相兼経済・金融相に指名.ウルタードはハーバード出身のエコノミストで元農相.

7.28 フジモリが大統領に就任.就任演説で腐敗追放と経済再建訴える.就任に併せセンデロによる大規模な軍事行動.軍との双方に51人の死者.
 

失われた10年間: GNPはマイナス10%、国民一人あたりGNPはマイナス30%。平均賃金は60%低下、最低賃金は75%低下。対外債務は103億から173億ドルに増加。

7.29 フジモリ大統領,海軍および空軍総司令官を更迭.

90年8月

8.07 腐敗警察幹部2百人らを解任.警察は抗議ストの構えを示す.無警察下の首都で掠奪行為あいつぐ.フジモリ,リマをはじめとする主要11都市の非常事態宣言を30日延長.7千人が逮捕,十数人が死亡.

8.08 ウルタード首相兼経済相,新経済政策を発表.公約とは逆に,IMFのコンディショニングを受入れ,超緊縮政策をとる.公共料金をガソリン32倍,砂糖13倍に引き上げ.貧困者向けには緊急社会プログラム.4ヶ月間にわたり食料,医療援助をおこなうこととなる.
 

この年の物価上昇率,7657%に達する.一日あたりのカロリー摂取量は国連基準の58%,5歳以下の児童の6割が栄養失調となる.幼児死亡率は12%,所によっては23%に達した.毎年約6万の乳児(1歳未満)が栄養失調と病気で死に,7万5千が5歳を前に死んでいると報告されている.平均寿命は58歳に短縮.
学齢期児童のうち通学しているのは59%以下に過ぎず,毎年学童の16%が脱落.ほとんどの学校では水も電気もトイレもなかった.90年を通じて3万近い教師が職業を変えた.彼らの月給は60ドル以下だった.

8.20 二大労組のよびかけで超緊縮政策に反対する48時間ゼネスト.

8 10年前エル・アグスティーノ区に始まったコメドール・ポプラール(共同食堂)運動,全国に拡大.全国組織として全国コメドール委員会(CNC)結成.

9 フジモリ,米国との麻薬対策協力協定を拒否.「作物転換の見通しなしに抑圧的手段のみでコカ農場根絶を図ろうとすれば,25万農家をセンデロ・ルミノソの側に追いやるだけであり,総合的政策が必要」と声明.世論調査では市民の2/3が,センデロこそもっとも深刻な国民的問題だとし,麻薬問題を国内最大問題と考えるのはわずか11%に過ぎなかった.

10 総合的麻薬対策「フジモリ・ドクトリン」を発表.コカ栽培農家の登録,代替作物栽培のための信用供与,インフラ整備,代替作物に対する先進国市場の優先的開放などを骨子とする.
 

ペルーは世界全生産の65%を占める最大のコカ葉生産国.栽培面積は20万ヘクタール以上と推定され,コカインによる「収入」は年間15億〜20億ドルにのぼる.これはペルー輸出総額の5割にあたる.ペルー中央貯蓄銀行(BCR)が金融面を担当しているといわれる.
政府が農業近代化のため市場を開放,農民への援助を打ち切ったことから,多くの農民はコカ葉以外に商品作物の生産が困難となる.コカ葉栽培面積の拡大は,アマゾン地帯の自然破壊と同時進行した.
当初は高地の五つの州で生産されていたが,その後中心地は上ウアジャガ渓谷に移る.ウアジャガはリマ東北380キロ,7万の農民が住み,コカをコロンビアの麻薬業者に売ることで毎年2億4千万ドルにのぼる収入を得ている.

11.15 公務員労連,大量解雇に反対し無期限ストに突入.大衆的支持を得られず敗北.

12 リマで日本,米国,ソ連の各大使館に対し連続爆弾テロ.

90年 モンテシノス,フジモリ政権に入り国家情報部(SIN)の実権を握る.

モンテシノスは,76年に上司の許可をえずに米国におもむき、国家機密をCIAに引き渡したとされる.大尉の職を剥奪され1年の刑期を送る.その後刑法の学位をとり弁護士となる.
78年には,大物麻薬業者エバリスト・ポラス(通称「大臣」)がリマで30トン近いコカイン・ペーストとともに逮捕された事件で弁護を担当.その釈放に尽力.このとき大金を稼ぎ政治活動を展開する資金となったとされる.

 

1991年

1.7 左翼ゲリラ,旅客機をハイジャックしようとするが失敗.犯人は射殺される.

1 米国,ペルーへの援助を再開.政府は1億6千万ドルの援助と引き換えに,米国の麻薬対策への協力を受け入れる.

1月 統一左翼から入閣していたヘイフェル教育相は,緊縮政策に抗議の辞任.左派系閣僚の辞任あいつぐ.

ショック政策の実施

2.14 ウルタード首相兼経済相,経済政策をめぐる対立から辞任.トレス・イ・トレスが首相に就任.フジモリは後任経済相にオックスフォード出身でマネタリズム派のカルロス・ボローニャ・ベールを任命.ボローニャは為替,貿易を徹底して自由化.関税率を平均17%にまで引き下げ,多国間投資保障協定を批准,利潤送金の自由化を実施する.

2 山岳地帯を中心にコレラの大流行がはじまる.

91年4月

4.4 二度にわたりサンマルチン県で大地震.死者不明は百人を越す.2月からのコレラによる死者も千人に迫る.

4.05 センデロ,米日イスラエル各国大使館に同時多発テロを仕掛ける.

4.12 フジモリ,中国を訪問し李鵬中国国務院総理らと会談.1,000万ドルの無利子借款(10年返済)と40万ドルの無償物資援助を受ける協定に調印.

4.29 大統領府にロケット弾.

91年5月

5.05 フジモリ大統領,1月からのコレラによって10万人が罹患,1,280人が死亡と発表.

5.14 フジモリ大統領,アメリカとコカ根絶のための協力協定に仮調印したと発表.大筋においてフジモリ・ドクトリンをとり入れたもの.

5.16 民間世論調査で,フジモリの支持率は54%に回復.これと逆比例して民主主義諸制度に対する不信が広がる.政党について76%が不信,議会については72%,裁判所については68%,国家警察については61%が不信,と答える.

6.08 日本とアメリカが債務利子支払いを支援する融資を決定.2年間に総額7億5,000万ドルが融資されることとなる.

6.22 国内各地でセンデロの襲撃事件が続発.数日間に少なくとも14人の死者.ペルー政府,8県の全域と3県の一部地域での非常事態宣言を60日間延長.公安警察がセンデロのアジトを一斉摘発.

6 ボローニャのプランに基づいて,電力など基幹産業の民営化が開始される.金融は,銀行国有化法の廃止と新銀行法公布で大幅に自由化.また勧奨退職を基礎とする人員削減を実施.年間5万人を目標とする.

6 センデロへの立場を問うアポヨ社世論調査.リマ市民の2/3が,センデロの暴力はペルー全体を包む巨大な暴力,すなわち麻薬密輸,当局の腐敗と強権姿勢に関連していると答える.さらに1/3は,貧困の結果としての暴力は容認せざるを得ないと回答.リマ市内の貧困区域では12%の回答者がセンデロが公安を脅かしていることに共感.グスマンは最貧困層においては17%の支持を得た.そして38%がセンデロは頑張っていると評価していた.センデロの敗北を予想するものは25%にとどまる.

91年7月

7.21 センデロ,日本政府の援助で運営されている野菜生産技術センターを襲撃.国際協力事業団(JICA)の日本人農業技術専門家3人が,銃撃を受け死亡.6月の一斉摘発に対する報復行動と見られる.日本政府は事業団の派遣を見合わせるとともに観光の自粛を促す.

7.28 フジモリ,就任1周年と独立記念日にあたり国会で演説.国家再建への強い意欲を示す.

7 通貨がインティから「新ソル」(nuevo sol)に交換される。旧ソルから見ると10 億倍に当たる。フジモリのドラスティックな引き締め策により物価上昇率は7,650%から139%に急低下.一方でフジモリの支持率は31%にまで低下する.

7 米国,65年以来初めてとなる3千5百万ドルの軍事援助を承認.協定にはコカ葉生産者が他の作物に転換するための6千万ドルの経済援助も含まれる.

91年8月

8.01 上院ゲリラ問題調査特別委員会のベルナレス委員長,フジモリ政権の最初の1年で3千4百人がテロにより死亡したと発表.これは90年に比べ1割の増加である.

8.07 米国,7月協定に基づき,グリーンベレーをふくむ50人以上の軍事顧問団を派遣すると発表.

8.09 センデロ,北西部ジャングルの町バリアコトを襲撃.町長,神父ら4名を殺害.同地域への三回にわたる攻撃で兵士,警官,民間人計15人が死亡.

8.30 カンビオ90のプーノ地区責任者,センデロにより射殺.

9 IMF,ペルーの経済計画承認.パリクラブもペルーの債務繰り延べ承認.

9 「フォーチュン」誌は世界中でもっとも投資リスクの高い国としてペルーをあげる.

9月 英国のニュースレター「ラテンアメリカ特別報告」もラテンアメリカ中もっとも政治的リスクが高く,貧困層の多い国としてペルーをあげる.とくに警察の腐敗が深刻化.高速道路での強盗から容疑者の拷問,不当待遇などを理由に,91年だけで1,300人の警察官が解雇され,多くが刑務所に送られる.

10 米国とのあいだに20億ドルにのぼる債務延長交渉が成立.この合意に沿って先進諸国の対ペルー支援グループ正式結成,数億ドルの経済援助が開始.

91年11月

11.03 リマ市内のバリオのひとつアルトス地区ワンタ通りの集合住宅で,SINの秘密部隊「コリーナ」が乱入。居合わせた者を床に伏せさせた後に、自動小銃とピストルを乱射.8歳の子供を含む市民15人を殺害.4人が重傷を負う。住民は下水修理の資金を集めるためにパーティー開いていた。センデロ・ルミノソと誤認したものといわれる.
 

コリーナ: コリーナ部隊(El Grupo Colina)は、陸軍情報部の人員で構成され、国家情報局(SIN)の指揮下で超法規的処刑を行なっていた。コリーナは,ゲリラや反体制派を誘拐・殺害し、手足や頭を切り取って屍体を目立つところに捨てることで有名となる.

11.06 フジモリ,三度目の内閣改造.トーレスにかわりアルフォンソ・デ・ロスエレス労相を首相に指名.

11 フジモリ,国家秘密法を公布.軍の権限を拡大しセンデロ・ルミノソをせん滅するよう指令.軍の2億8千万ドルにのぼる緊急補給の要求に対し,7千5百万ドルを支給.
 

国軍の経済実態
国防予算は89年の5億4千万ドルから2億5千万ドルに半減,軍の戦闘予備能力は度重なる予算不足から30%に低下(85年には75%).戦場の兵士たちの給料は月10ドル以下,食料費は一日20セントにとどまる.将軍の税込み収入は月300〜500ドル(一説に200ドル以下),大尉は120ドル.さらにその月給もインフレにより侵食された.
91年前半だけで180人の将校,370人の技官,400人の海軍将校が経済的困難のため辞職.これは全将校の1/5にあたる.このため軍は将校の辞職を一時禁止.兵士の退職者は4割に達する.

11.22 メンデス検事総長,ガルシア前大統領を不正蓄財,豪邸取得疑惑事件に関して起訴.ガルシアは在任中の50万ドルにおよぶ公金横領の容疑で,国会から告発されていた.

91年12月

12.27 ペルー最高裁,審理を開始するに十分な情報がないとして,検察当局の訴えを却下.

12 91年度の政治暴力による死者は3,400名.これは90年に比べ1割増.

 

1992年

1 ペルー南部海岸のイロでフジモリとボリビアのパス・サモラ大統領が会談.アンドレス・デ・サンタクルス協力協定を締結.イロをフリーゾーンとし,50年間ボリビアに使用を認めることで合意.

1 IMF,ペルーの努力を評価し,延滞債務を2年間凍結する「ライツ・アプローチ」を適用すると発表.米州開発銀行がラテンアメリカ準備基金を使って延滞債務を肩代わりすることとなる.米議会,3千万ドルの対麻薬活動資金を含む1億ドルの援助を可決.
 

ペルーの「努力」
強烈な緊縮政策の結果,物価上昇率はガルシア時代の7,650%(月60%)から91年度140%(月3.8%)にまで下がる.これは過去15年間で最低の数字.経済成長率は4年ぶりにプラスに転じ(92年はふたたびマイナス3%),外貨準備高は10億ドルを突破する.220億ドルにのぼる対外債務の支払いは予定通り進み財政赤字は消失した.外貨準備高は20億ドルに達した.海外企業の誘致策は効果を発揮し始めた.
いっぽう社会経済状況は依然厳しく,収税能力も低下し,90年GNPの内税金に回ったのは4%以下.87年には60%だった.
所得:フジモリの最初の1年間で実質収入は半分に減った.ECLACによれば,91年までにペルーの実質賃金は87年の2/3にまで減少.一人当たり収入は60年代の水準まで低下.国家公務員の給与は88年当時の15%にまで低下.極貧層が5百万人,それ以外の貧困層は千3百万人,これは人口の6割に相当する.
失業:完全雇用率はリマで15%,失業・半失業率は8割に達した.フジモリ当選以来公共事業従事者の数は半分の50万人にまで減少.
国民総所得のうち13%のみが,人口の最貧層40%に配分されていた.92年,貧困層の収入は年間200ドルに過ぎなかった.インフォーマル経済のみがこれらの貧困層を支えている.

2 センデロ,リマでの組織作りを本格化.隣組委員会,母親クラブ,共同スープ,教会の対話グループなど草の根組織に対し自らの傘下となるよう強制.ビジャ・エルサルバドル(リマで最大かつ最良のスラム,人口35万)の中央公園を確保.副区長マリア・エレーナ・モハノ(Moyano)らこれに抵抗する市民運動指導者10人が犠牲となる.

3.15 フジモリ大統領,国賓として来日.日本の経済支援を要請する国会演説.

3 政府,農民をセンデロに対して武装自衛させる「農民自警団(ロンダ)」新戦略を打ち出す.

92年4月:アウトゴルペ

4.01 フジモリ大統領,名古屋で開催される米州開発銀行総会(IDB)出席のため来日.日米両国が4億づつの拠出をおこなうことで合意.日本はペルー支援グループ設立に積極的援助.

4.05 議会の抵抗で行き詰まったフジモリ,軍の支持の下に自主クーデター(auto-golpe)を決行し全権を掌握.軍・警察に全土を統制下におくよう指令.テレビ・ラジオ演説で「腐敗した議会が職務を妨害している」と非難.議会を解散し79年憲法を停止.「国の方向を転換し,社会的政治的衰退に歯止めをかけ,麻薬を取り締まり,ゲリラを殲滅するため」非常事態宣言.

4.06 デ・ロスエロス首相ら全閣僚が総辞職.オスカル・デ・ラ・プエンテ・ライガーダ・アルベラ官房長官兼外相兼住宅建設相を首班とする国家非常事態再建政府の樹立を宣言.軍と国家警察は大統領支持に回る.

4.08 フジモリ大統領,「国家再建基本法」の制定を公表.

4.9 日本,ペルーへの経済制裁は行わないと決定(日本のODAは165億円が決定済み).ドイツは経済援助を凍結.

4.13 民間世論調査機関アポヨ,アウトゴルペ後にフジモリ支持率が79%に上ったと報告.4月末には82%に達する.
 

米州諸国の激しい非難にもかかわらず,国内世論はフジモリを支持した.
フジモリの憲法修正に反対するものは16%に過ぎず,議会閉鎖に反対するものは12%,裁判所の再編に反対するものはたったの2%であった.多くの国民が裁判所を「正義の宮殿」ではなく「不正の宮殿」と見ていた.
85%がフジモリにより効果的な立法機関を期待し,84%がより誠実な司法機関を期待していた.75%が経済危機の解決を,50%以上がテロの根絶を期待していた.フジモリのもっとも支持が高かったのは,軍隊,民間業者,輸出業者,都市中間層,そして下層階級であった.もっとも強硬な反対派は前議員たち,政治的支配層,知識人,そしてマスコミ関係者であった.

4.13 米州機構(OAS)緊急会議でペルー非難決議.しかし経済制裁は行わず.米国の主要紙はフジモリを独裁者と呼ぶ.ベイカー国務長官は「自己クーデター」を民主主義への攻撃であり許されないと非難.1億7千万ドルの新規援助を凍結.さらに先進国からの金融支援と多国間金融組織からも排除.フジモリの要請した3億ドルの軍事援助を拒否.麻薬業者監視のため配置された,イキトスとアンドアスのレーダー・サイトを撤去.ペルー警察を指導するため派遣されていた,20個の対麻薬作戦特殊部隊も撤退するなど麻薬対策を大幅削減.

4.14 政府,ロンダ計画に基づき,農民への武器供与開始.

526の自警団が公式に承認される.その登録人数は公称20万人,実働隊員は2千に達する.1万1千丁のライフルやショットガンが手渡され,装備を大規模化した自警団は軍隊以上の威力を発揮.リマの穀倉地帯となっているマンタロ渓谷では,1500名の自警団部隊がセンデロを完全に駆逐した.これは対ゲリラ戦におけるフジモリ政府の最大の成功であったとされる.

4.15 べネズエラのペレス大統領,ペルーとの外交関係停止を発表.

4.19 フジモリ,全国非常事態再建政府を樹立,オスカル・デ・ラ・プエンテ・ライガーダ・アルベラ官房長官兼対外関係相を議長にすえる.二年後に新憲法制定のための国民投票をおこない立憲体制に復帰すると声明.センデロのメンバーを無罪放免した最高裁判事を追放し,司法長官の事務所を閉鎖.

4.21 フジモリ,民主体制復帰計画を発表.非常措置と憲法改正の是非を問う国民投票を7月5日に,国会議員選挙を来年2月28日に実施すると声明.

4.21 反フジモリ派国会議員団に担がれたマキシモ・サンロマン第一副大統領,「大統領就任式」を行なう.

4.25 リマにある日本レストランやすし店などに,ゲリラによる連続爆弾テロ.

4月 フジモリ,テロ対策法と投降者減刑法の二法を制定.MRTA和平派は戦線を離脱.主戦派内からも大量の落脱者が出現.勢力が数分の一に縮小.残存勢力は,戦力を中部のセルバ地帯に集中させ温存する一方,年で政治戦を展開する戦略を採用.

92年5月

5.01 センデロ,リマの北500キロにある陸軍基地を襲撃,双方あわせ17人が死亡.

5.11 超党派の『地球的行動のための議員会議』日本委員会,有志による「ペルー問題に関する緊急声明」を発表.フジモリ大統領による議会解散,憲法停止措置に懸念を表明する一方,各国の性急な経済制裁等の措置に反対.

5.18 バハマでOAS外相会議.フジモリのクーデターにきびしい批判.ベネズエラとパナマは国交断絶.国民生活に打撃を与えるとして経済制裁の実施は見送る.会議に出席したフジモリは,向こう5ヶ月以内に民主制憲議会の選挙をおこなうと表明.

5.19 フジモリ,兵力の再配備を指示.8割が国境警備に配置されていたのを改め,2/3を紛争地帯に再配備.南部カントグランデの刑務所に警察隊を派遣し「解放」.この刑務所は,センデロが看守を脅迫・買収し,事実上ゲリラの訓練基地と化していた,

5 政府,赤字経営の国有企業200社をすべて売却する計画を発表.最大の売り物イエロペルー鉱山会社は,年内に何件かの引き合いがあった末,中国の国有会社が買収.この結果,中国は日本に次ぎペルー第二の投資国となった.

92年6月

6.01 コロンビア政府,アラン・ガルシア元大統領の政治亡命を認めると発表.

6.09 ポライ,再逮捕され無期刑を宣告される.MRTA残党はアマゾンの密林地帯に潜伏するが,麻薬取引き,強盗や誘拐作戦についての評価で内部矛盾を深める.

6.19 フジモリ大統領,地方首長・州・市議会議員選挙を来年3月に実施すると発表.

6.25 フジモリ大統領,民主化のあり方を市民と話し合う「平和と発展のための国民対話」開始.

6 闇ドル流入と高金利をねらった短期資本の流入により,「円(ソル)高不況」の状況となるが,流通マフィアのため物価下落と需要喚起につながらず.政府は反ダンピング法で対抗.首都リマは,センデロの脅威を逃れてシエラからやってきた大量の国内難民で,700万に膨れ上がり,ペルー総人口の1/3をしめる.その大多数がメスティソないしインディオとなる.彼らのスラムは劣悪な住環境におかれる.

92年7月

7.12 世論調査でフジモリの支持率は65%に低下.

7.16 センデロ,首都リマでの活動を強化.一連の爆弾テロで死者21人.負傷者200人以上を出す.

7.18 「カントゥータの虐殺」事件.軍部がラ・カントゥータの国立教育大学で教授1人と学生9人を連行し,殺害する事件.のちにコリーナのしわざであることが明らかになる.

7.26 フジモリ,国民に向け演説.「大目標であったペルーの国際金融社会への復帰が実現した」と強調.伝統的政党の腐敗と非民主性を激しく攻撃するとともに,完全な議会制民主主義の再確立を公約.フジモリの支持率はこの月も65%を維持.

7.28 フジモリ,就任2周年の演説で民主化とテロ対策への努力を表明.停止中の現憲法に代わる新憲法案起草のため,来年初めに制憲議会を招集すると発表.

8.13 フジモリ,ゲリラのテロ行為に対し国家反逆罪を適用.最高刑は終身刑.また裁判は一般法廷ではなく軍事法廷で行うとする大統領令を布告.

8.22 制憲議会議院選挙のための選挙法を公表.投票日は11月22日,議員は比例代表制で選出され,任期は大統領任期と同じく1995年7月までとされる.

92年9月:グスマン逮捕

9.12 国家警察テロ対策本部(DINCOTE),リマ市内のセンデロ・アジトを攻撃し,教祖グスマンを逮捕.フジモリはグスマン逮捕後の記者会見で「36の組織と100人のメンバーが,センデロの『大使』として,海外における宣伝と資金獲得を担当しており,その多くはペルー人である」と暴露.

9 政府,新たに結成された都市部の自警団にも武器を手渡し始める.さらにセンデロ攻撃目標となっていたアマゾン最大の部族アシュニンカ族に対しても1400丁のショットガンを手渡す.

9.28 軍事法廷でグスマンの裁判が始まる.逮捕時押収された文書によりセンデロのリマ市内組織の全貌が明らかとなる.
 

センデロの女性活動家
センデロの指導部の56%,中央委員19名のうち少なくとも8人が女性.グスマンと同時に逮捕されたエレナ・アルベルティナ・イパラギレ・レボレド(ミリアム同志)はセンデロの最高意志決定機構である政治局ナンバー2.元教師のラウラ・サンブラーノ・パディージャ(メチェ同志)はセンデロの「首都委員会」委員長として数々のテロを指導・実行.法律家のマルタ・ウアタイ・ルイス(トータ同志)は,リマでの軍事行動にも参加していたセンデロのフロント組織「人民救援運動」(ソコロ)の指導者.

10.14 ペルー最高軍事法廷,終身刑判決を受けたグスマンの上告を棄却.終身刑が確定.

10.20 フジモリ大統領,センデロ指導部の95%が投獄されたと発表.DINCOTEは情報に基づき市内アジトを一斉摘発.センデロの活動分子のうち7割を逮捕.ソコロのトップ5人中4人も逮捕される.
 

センデロの残存能力
DEAの最大の目標,ウアジャガ渓谷上流のセンデロは,MRTA崩壊後も手つかずのまま.都市部でのテロ実行能力や秘密軍事組織もほとんど無傷のまま残される.麻薬密輸活動は軍や警察の一部の支援を得てむしろ活発化.

92年11月

11.13 軍内反主流派が,フジモリ大統領の殺害,陸軍司令官の身柄拘束を狙ったクーデターを起こす.未明の銃撃戦の末,失敗に終わる.首謀者はホセ・バストル陸軍退役将軍,バルディビア将軍ら.元陸軍司令官をふくむ3人の退役将軍が支持を表明.25人が逮捕される.
 

「アウトゴルペ」のあと待遇改善を期待したにもかかわらず,一向に実現されないことから,不満が表面化したものと見られる.
とりわけ軍全般の政策決定に絶大な影響力を持つウラディミロ・モンテシノス・トーレス大統領首席顧問に攻撃が集中.モンテシーノスは大統領と軍隊とのパイプ役を務め,国家情報局(SIN)の創設にあたっても全権を握っていた.

11.22 全国単一の選挙区のもと制憲議会(CCD)の選挙実施.各地で投票妨害をねらう爆弾テロ.カンビオ90の後身である新多数派運動(MNM)などフジモリ与党は43%の得票,80議席中44議席を占める.他に18の政治グループが選挙に参加したが,APRA,左翼政党,AP,バルガス・リョサの自由主義運動などはボイコット.保守系のPPCは選挙に参加し,7.7%,9議席を獲得.投票者の22%は白票・無効票を投じた.

11.23 200名からなるOAS監視団,フジモリが票を不正操作したとの疑惑を否定し,選挙が公明正大に行われたと声明.

11.27 最高裁,ガルシア元大統領の身柄引き渡しをコロンビアに要請することを決定.

11 センデロ,「均衡作戦」から「攻勢作戦」へ戦略を転換.麻薬業者からの数百万ドルにのぼる「税金」を元に,リマ市内の施設をねらい打ち.警察の外郭団体である法律防衛協会の本庁が二度にわたり爆弾攻撃の対象となるなど,センデロのテロはむしろ増加.グスマン逮捕後の三ヶ月間に全国で474回(502回?)の攻撃が仕掛けられ,365人(653人?)が殺された.この攻撃回数はグスマン逮捕前より25%増しの数である.ゲリラ・グループの内ゲバも激化.犠牲者の内訳はセンデロ兵士75人,MRTA92人,国家警察13人,一般市民90人である.

11 政府軍,中部ウアジャガ(Huallaga)渓谷のMRTA基地を破壊.MRTA指導者ビクトル・ポライ,ふたたび捕らえられカリャオ海軍基地の地下8メートルの独房に拘留される.ナンバー2のピーター・カルデナスも前後して逮捕される.サンマルティンのゲリラ地区ではミゲル・リンコン(通称エドガルド)が司令官に就任.リンコンはモスクワは共産党の活動家でルムンバ大学を卒業,84年にMRTAに加わる.リマ地区では労働運動指導者のネストル・セルパが地下組織のリーダーとなる.

11 クーデター未遂事件に関連して,軍の腐敗を暴こうとしたジャーナリストの何人かが脅迫あるいは暗殺.

92年12月

12.01 フジモリ大統領,車での夜間外出禁止を解除すると発表.

12.18 労働組合指導者のペドロ・ウィルカが暗殺される.当初センデロのしわざと発表されたが,後にモンテシノスの組織した準軍事組織「コリーナ」の犯行だったことが明らかになる.

12.28 リマの日本大使館の前で,大使館の警備兵とゲリラが銃撃戦.ゲリラの乗り捨てた車が爆発し,20人が負傷.

12.29 民主制憲議会開催.日本は制憲議会成立後,最大の投資国として登場.91年には4億ドル,その後も多額の援助を続けている.

12.30 与党のハイメ・ヨシヤマ・タナカが議会議長に当選.ヨシヤマはハーバード卒のエコノミストで,フジモリ内閣でエネルギー・鉱山大臣を務めた.

12 米国人口危機対策委員会,世界の都市における「生活の質」要因を分析.リマ市をワーストテンの一つとしてあげる.国連発展計画では毎年の人間的発達指数ランクを発表.これは寿命や教育程度を国内総生産で除したもの.ペルーは91年の78位から92年の95位に後退.

92 この年,政治的暴力は3,101の生命を奪った.センデロによるものが44%,当局によるものが42%である.当局による拉致・虐殺を意味する行方不明者の数は,89年には440人,90年251人,92年112名.アムネスティ・インタナショナルは,これより2,3倍多い数を報告している.国連人権委員会はペルーを「世界で1,2を争う行方不明者の国」と報告.全国人権活動調整委員会によれば,80年にセンデロがテロ活動を初めて以来,92年末までに合計28,309人が犠牲となった.経済的損失も220億ドルにのぼるとされる.

 

1993年

93年1月

1.19 ペルー司法当局,コロンビアにガルシアの身柄引き渡しを要求.

1.22 クリントン,ソイ・ベアード司法長官候補の指名を撤回.ベアード女史は労働許可のないペルー人夫婦をベビーシッターに雇っていたとされる.

1.29 統一地方選が実施される,1万2千人が立候補.MNM系の候補が圧勝.リマ市長選では,親フジモリ独立派の現職リカルド・ベルモントが48%の得票を得て当選した.APRA候補の得票はわずか3%にとどまった.

1.30 フジモリ,地方選の結果を踏まえ「OASなどと交わした民主体制復帰の公約を果たした」と宣言.

1 センデロの残されたメンバー,三人委員会を結成.新指導部はテレサ・ドゥランド・アラウホ(フアナ同志),彼女の甥のオスカル・アルベルト・ラミレス・ドゥランド(フェリシアーノ同志),アンヘリカ・サラス・デ・ラ・クルース(ルシア同志)である.ラミレスはセンデロ軍司令官に指名.彼は陸軍将軍の息子で法学部学生.1年間で32回のリマ市内作戦を展開.ビジャ・エルサルバドルのモハノ後継者も暗殺される.このような暴力にもかかわらず,センデロはスラムの人民組織を打ち破ることは出来なかった.

1.22 ゲリラ,リマ市内のコカコーラ工場二カ所を爆弾攻撃.二人が死亡,二人が負傷.同じ日,リマ空港に着陸したアメリカン航空機にテロリストの狙撃.死傷者はなし.

1.28 リマのIBM本社ビルが車爆弾で攻撃される.

93年3月

3.4 ペルーの債務救済のための支援国会議,ワシントンで開かる.クリントン,ペルーの人権状況が改善し,米国のIMFを通じての援助を再開するにふさわしい水準に到達したと声明.日本とともに2億ドルの共同支援を開始することを決定.

3.7 ペルーの米大使館に爆弾.

3.17 14億ドルのペルー融資でIMFが合意.世銀もペルー向け融資を再開する.ペルーはこの融資から対IMF未払い債務約九億ドルを返済,IMFとの関係を正常化する.

3 ビクトル・マルカ・ビジャヌエバ国防相,軍の74名が麻薬密輸に絡んでいたことを認める.将校がコカイン地帯での任務のために賄賂を払っているという噂は否定.同じ時期,ウアジャガで長年活動してきたDEA捜査員アウグスト・デル・リオも,リマのテレビ会見で,軍と麻薬業者の関係を生々しく証言.

93年5月

5.19 センデロ,チリ大使館に車爆弾で攻撃.負傷者はなし.

5 陸軍退役将軍のロドルフォ・ロブレス・エスピノサ,92年7月のラ・カントゥタ大学での虐殺(学生10人と教官一人が死亡)は,軍情報部の即決処刑によるものと暴露.この告発を受けた軍当局は8人の軍人を捕らえ,軍事裁判で有罪とする.事実を暴露したロブレス将軍は,証言の後,米国大使館に逃げ込む.

5 チリとペルー,リマ協約を締結.「1929年条約」の未解決条項の全面解決に向けた本格協議が開始される.

93年6月

6.01 フジモリ,訪日し宮沢首相と会談.5千万ドルの追加支援を引き出す.

6.09 制憲議会の憲法委員会,新憲法草案を与党の賛成多数で承認.新憲法は全226条からなり,最初の二期に限り大統領の再選が認められる.またテロリストへの死刑適用など死刑制度の強化がもりこまれる.キリスト教人民党(PPC)やアプラ党は,地方交付金の廃止,「安定就業権」の削除,公立大学授業料の有料化を「既得権利の後退」と批判.

6.30 フジモリ大統領,日本人記者団と会見.2期目以降も政権を担う意欲を示す.

93年7月

7.12 南東部ワンタ州でセンデロが村を襲撃し住民13人を殺害.

7.27 リマの米大使館前でセンデロの仕掛けた車爆弾が爆発.警護の一人が負傷.同時に隣のスペイン大使館,店舗,米国系ホテルも損害.ホテル従業員などが負傷.

9.06 センデロ,中部ワタコ州モンソン近くの山中の村を襲撃し,農民15人を殺害.

93年10月

10.10 終身刑の判決を受けカリャオ海軍基地内の独房に収監中のグスマン,「平和のための闘い」を提案.武装闘争路線を放棄し,合法政党化を呼びかける.センデロの指導者4人が同席.証言の模様はテレビで放映される.グスマン後継者のオスカル・ラミレス・ドゥランド(フェリシアノ同志)はこの提案に反発,新ペルー革命運動=センデロ・ロホ(赤い道)を結成.ワンカベリカとプノに本拠をおき,テロ活動を継続.

10.25 リマ国際空港の駐車場にあったホテル用マイクロバスが床下に仕掛けられた爆弾により爆発.運転手が死亡,乗客など20人がケガ.

10.31 新憲法,国民投票で成立.地方の反対票が予想を上回ったことから僅差となり,賛成票が辛うじて50パーセントを越える.

93年11月

11.01 フジモリ,新憲法承認の国民投票後,初の記者会見.「(予想以上の反対があったことが)政府支持の低下を意味するわけではない」と述べ,長期政権維持に自信を表明.

11.20 アメリカセンターにセンデロが手榴弾を投げ込む.

11 MRTA,日産の部品工場に爆弾テロ.

93年12月

12.29 新憲法が公布される.フジモリ大統領が,野党の欠席のまま新憲法公布式典を行い,憲法に署名.

12 政府,80年以来ゲリラによって2万7千名が犠牲となり,経済的損害は直接的なものだけで260億ドルに達したと報告.

 

1994年

94年1月

1.11 リマ市の日秘文化センターの玄関先でダイナマイトが爆発.死者なし.当局はゲリラ「センデロ・ルミノソ」による犯行と発表.

1 コロンビア当局,デメトリオ・チャベス・ペナエレーラ(通称「バチカン」)を逮捕.ペルー当局に引き渡す.バチカンは月30トンのコカイン・ペースト(PBC)を動かす大物,軍や官憲当局の支持を受けウアジャガ高地にコカイン帝国を建設.

94年2月

2.11 フジモリ大統領,カントゥータ事件の容疑者を軍事法廷で裁く「カントゥータ法」に署名.

2.13 「テレビ・アメリカ」局,グスマンらが戦闘停止とゲリラ組織解散で合意したと報道.

2.16 ブスタマンテ首相が辞任.ブスタメンテは,軍部による大学生虐殺事件をめぐり,軍部寄りのフジモリと対立を深めていた.

2.17 フジモリ,新首相にエフライン・ゴルデンベルグ外相を任命.

2.19 民間機関の世論調査.フジモリ支持率が1月の63.8%から54.3%に下がったと発表.

2 センデロ,空軍本部ビルに車爆弾.

2 軍幹部の麻薬カルテルとの癒着を陸軍捜査本部に告発したカスティージョ・アステ中尉,200ドル窃盗の容疑により,軍を放逐される.その後身辺に「死の脅迫」がおよんだためスペインに亡命.

94年4月

4.06 裁判所,左翼ゲリラを支援したとして逮捕された新聞記者8人に無罪判決.

4.08 デクエヤル前国連事務総長,来年のペルー大統領選出馬については白紙と語る.

4 ペルー政府,バチカンがセンデロと関係していたとして,秘密軍事裁判に回す.彼は「祖国への裏切り」のため30年の刑を下される.

94年5月

5.9 バチカン裁判に関して政府の対応に非難が集中.立憲議会の調査委員会はバチカンを試問する.彼はセンデロとの関係を強く否定する一方,「軍の飛行場を使って毎月12回の秘密空輸を行い,その度に5千ドルの使用料を支払っていたこと,軍の援助を得て2百人のガンマンを雇い,身辺警護の他,対ゲリラ作戦にあたっていた」と証言.ウアジャガ高地の政治・軍事司令部議長エドワルド・ベジード将軍の関与も示唆.

6.06 フジモリ,羽田首相と会談.円借款の供与を実現.IMF,世銀の融資,日本の援助などにより,ショック政策が効果をあらわし始める.インフレは7000%から17%に沈静,93年の経済成長率は6.9%,94年には12.9%に達する.しかし失業率はさらに増加し75%に達する.

6.07 フジモリと結託した軍部,学生や教授ら10名を虐殺.黒焦げの遺体がマスコミにより発見される.

94年8月

8.04 フジモリ大統領の妻スサナ夫人,フジモリの政策を公然と非難.公邸から出て別居.検察当局にフジモリ政権の元閣僚2人を収賄で告発.

8.07 大統領府,大統領選挙を来年4月9日に実施すると発表.

8.21 デクエヤル前国連事務総長,大統領選に立候補する意欲を表明.翌日にはいったん撤回声明.

8.23 フジモリ,スサーナ夫人の問題に関してテレビ演説.公務上一線を画すとし,彼女をファーストレディ職務から解任すると声明.

94年9月

9.02 スサーナ夫人,大統領から「心理的な暴力を受けた」と,リマ地方裁判所に提訴.

9.12 スサーナ夫人,新政党「21世紀に向けての独立協和運動」を設立し,大統領選へ立候補すると表明.

9.22 デクエヤル前国連事務総長,大統領選へ正式出馬表明.ペルー団結運動(UPP)を結成.

9.23 東北部の密林地帯でゲリラと政府軍部隊が戦闘.軍当局によれば,一連の戦闘でゲリラ42人が死亡.

94年10月

10.08 フジモリ,大統領選への出馬を宣言.「新多数カンピオ90」を公認団体として登録.

10.11 スサーナ夫人が大統領選に立候補の手続き.ペルー選挙管理委員会は,推薦者名簿の不備でスサーナ夫人の候補資格の無効を発表.

10 センデロ,6基の送電塔を破壊.リマ全域,海岸部一帯が停電となる.

11.01 政府,センデロの投降者が5,500人を超えたと発表.

12.03 デクエヤル前国連事務総長,メルコスールとアンデス・グループを合併させた9ヵ国による経済統合の構想を発表.

94 政府,地方農政を担当するFOPEAGROを創設.中小農民に対して年間2億5千万ドルの資金貸し付けが開始される.

 

1995年

95年1月

1.02 フジモリ大統領,メルコスールに加盟するための準備を進めていると表明.

1.20 ペルー軍事最高法廷,JICA職員殺害事件の犯人に終身刑の判決.

1.26 国境地帯のコンドル山脈でペルーとエクアドル両国パトロール隊が衝突,戦闘は三日間に及ぶ.双方で少なくとも23人死亡.

1 ペルー北部アマゾン地帯のロス・ノルテノス・カルテルに強制捜査.粗コカイン3トン,コカインペースト500キロが押収される.

1 米国市民ローリ・ベレンスン,反逆罪で無期刑を宣告される.

95年2月

2.06 国境紛争が激化.ペルー軍はエクアドル側の拠点の一つのティウンサを陥落させる.

2.13 フジモリ大統領が,テレビ放送を通じて一方的な停戦を発表する.

2.15 ブラジリアで停戦協定に合意(イタマラチ和平宣言).軍事的にはペルー側の勝利に終わる.

2.28 エクアドルとの和平宣言を即時実行するための,モンテビデオ宣言に調印.

95年4月

4.09 大統領選実施.フジモリは第1回目の投票で64%を獲得.前国連事務総長のデクエヤル(75)を大きく引き離して当選.議会選挙でも与党連合「新多数・カンビオ90」が120議席中67議席を占める.

4.18 議会は,テロ裁判での裁判官の覆面姿を禁止.

4.28 議会,ガルシア前大統領が,リマ市の電車プロジェクトでイアリア企業から賄賂を受けとったとされる疑惑で,起訴を決議.

4 議会,市場主義を柱とする新土地法案を可決.土地所有にかかわる一切の制限を廃止,SAIS農場の旧地主への売却をふくめ検討にはいる. 

4 ペルー当局,センデロ軍事部門のナンバー2,マルヒ・クラーボ・ペラルタを逮捕.

95年5月

5.05 コラン検事総長,ガルシア元大統領がリマ市内のモノレール整備事業に絡んでイタリア企業から多額の賄賂を受取り,総額2,000万ドル以上を不正に蓄財していたとして告発.

5.09 越境したエクアドル軍部隊とペルー軍が交戦.ふたたび緊張が高まる.

5.24 センデロ,リマ郊外のマリア・アンゴラ・ホテルに車爆弾.3人が死亡,30人が負傷.

5.27 フジモリ大統領が国立大学の自治権を停止.

95年6月

6.14 大統領就任にともなう恩赦法公布.80年5月から95年6月までのあいだに,対ゲリラ作戦に関連して治安部隊が犯した拷問,「失踪」,即席処刑などの人権侵害について,一切の調査を停止.「カンツータ事件」で有罪判決を受けた軍人8人などが釈放される.

6.28 下級審のアントニア・サキクライ判事,恩赦法は違憲と声明.これに対し議会は,裁判所が恩赦法の合憲性を判断することを禁止する,第二の法律を通過させる.世論調査では87%が恩赦法に反対.

95年7月

7.21 北東のウヌアコ県で,センデロが軍のパトロール部隊を攻撃,当局発表では兵士16人とゲリラ20人が死亡.

7.26 新国会議長にマルタ・チャペス議員を選出.ペルー史上初の女性議長.

7.27 フジモリ大統領,新内閣名簿を発表.新首相にダンテ・コルドバ教育相を指名.

7.28 フジモリ,2期目の大統領に就任.

7 最高裁,第二恩赦法を受けサキクライ決定を覆す.国連人権委員会は恩赦法を,人権保護への配慮の欠如を示したものと厳しく批判,その廃棄を求める.

7 議会で「国土及び農民,原住民社会における経済活動の発展を促進するための民間投資に関する法律」が成立.協同組合を全廃し,土地利用を市場に委ねることとなる.同時に河川,土壌保護全国プロジェクトが発足.地方の産業,公衆衛生計画に対し年間1億ドルが支出されることとなる.

7 エクアドル国境地帯の非武装化と,保証国による監視団の派遣で合意.

95年8月

8.30 フジモリ大統領,リマの市長選挙に側近のハイメ・ヨシヤマ前制憲議会議長を擁立すると発表.

10.27 ブレイディ・プランに基づく民間銀行団との交渉がまとまる.80億ドルの累積債務を30億ドルに削減.フジモリは「国際金融市場への復帰が可能となった」と述べる.

11.17 リマの家庭裁判所,フジモリ大統領が申し立てたスサナ夫人との離婚申請を認める決定.

11 司法改革の名目で,裁判所と検察庁のそれぞれに執行委員会を設置.委員長には最高裁長官や検事総長以上の権限が与えられ,モンテシノス系の人物が任命される.

11.30 国家警察のテロ対策局,リマ市内ラ・モリーナ区のMRTAアジトを襲撃.潜伏していたコマンド部隊とのあいだで銃撃戦となる.

12.01 MRTAナンバー2のミゲル・リンコンら,数時間にわたる銃撃戦の末投降.当局は十数人を逮捕.その後の調査で国会を襲撃する計画が準備されていたことが発覚.リンコンは元ペルー共産党員で,モスクワのルムンバ大学を卒業後MRTAに加わった.

95 景気の過熱に対する不安が強まる.政府の引き締め策により,成長率は7%から2%に減速.物価上昇率も10%台まで低下。この時点でペルーの対外債務総額の残高は、265億ドル。GDPの50%に達している。(10.27の記載とだいぶ数が違います。誰か訂正してください)

 

 

1996年

1 ペルーのNGOが集めた統計によると,センデロは95年中に124名の人々を殺害.80年以来2万5千名以上の人々に死をもたらす.

4 与党,国民投票の実施に関する法案を強行採決.有権者の署名に加え議会の発議が必要であるとの規定を加える.

4 フジモリの実弟で経済担当のサンチアゴ・フジモリ大統領顧問,辞職に追い込まれる.モンテシノスの策略によるといわれる.

5.16 センデロ,シェル倉庫のわきで自動車爆弾を爆発.10人が負傷.

6.14 ルリガンチョ刑務所で家族との面会に対する制限強化に抗議して,5千名の囚人が抗議行動.

7.26 リマ中心部の警察署の正面で,センデロによる自動車爆弾攻撃.民間人1名とが死亡,警官1名が重傷.

7 国際人権条約の実施を監視する国連人権委員会,法手続き保証の欠如を理由として,覆面裁判制度の廃止を求める.

8 フジモリ,連続三選を禁止する憲法に対し「旧憲法下で当選した1期目は,当選回数に含まれない」とし,次期大統領選への出馬の意思を表明.

8.23 議会,フジモリの打ち出した憲法解釈法(法律26657号)を強行採決.野党はモンテシノスについて調査委員会を設けるべきだと主張するが,最終的に否決される.

8月 ペルーを訪れた橋本首相は、今後さらに621億円の円借款を行うことを約束。85%は「有償資金協力」と呼ばれる貸し付けであり、さらにその75%が、「債務繰り延べ」のための融資にあてられる。

9 フジモリ立候補を違憲とする国民投票実現に向けた野党の署名が,国家選挙管理委員会(JNE)により承認される.

9 ふたつの米国人権団体が、アンソニー・レイク安全保障問題担当大統領補佐官に対して質問状.アメリカとモンテシノスの関係について質す.レイク補佐官はこの手紙を黙殺.

9 サンチャゴ・フジモリに続き,ハイメ・ヨシヤマ大統領顧問も辞任に追い込まれる.

10 リマの週刊誌『カレタス』,麻薬カルテルからモンテシノスに数万ドルが支払われたとの証言を掲載.この金は,麻薬密売の罪で逮捕されていたロペス・パレデス兄弟の釈放を確実にするためのものだったという.また“エル・バティカノ”(法王庁)と呼ばれるボスは,麻薬業者と腐敗警官43人に対する裁判で,91年7月から翌年8月までの間、毎月5万ドルをモンテシノスに支払っていたと証言.

10 DEAのバリー・マカフリー将軍がリマを訪問.麻薬取締りへの協力を要請.このとき少なくとも二度にわたり,モンテシノスが会合に同席したという.

11.26 ロドルフォ・ロブレス将軍,テレビに出演.「軍部が殺人部隊を再活性化させており,10月のテレビ中継局爆破にかかわっている」と非難.その直後,街頭で暴力的に逮捕される.家族には知らされず.2時間後に政府筋から「不服従,上官および軍への侮辱,偽証罪で,軍刑務所に収監された」と発表.

12.3 ロブレス逮捕への批判が広まる.フジモリはロブレスの恩赦法案を議会に送る.議会はこの法律を5日に採択.ロブレスは2日後に釈放された.

12.7 ロブレス,今回の逮捕はテロリストによる暗殺を偽装した殺害計画だと非難.

 

日本大使館人質事件

12月17日

19:00 日本大使公邸で天皇誕生日祝賀レセプション開始.ゲリラは医師や看護婦に変装し,救急車で隣の家に入り込む.

20:20 ロケット砲が爆発。空に向け銃が撃たれ、襲撃がはじまる.

20:30頃 ネストル・セルパ・カルトリーニ(ウエルタ司令官)を指揮官とするMRTAコマンド,隣家から大使公邸中庭に面する壁を破壊.銃声とともに公邸内に侵入。その後約30分にわたる銃撃戦が継続.メンバーはセルパのほかにロハス、ティト、サルバドル(アラベ,パレスティーノ,メヒカーノ).女性二人(16才位)を含む14名.

21:00 警察側からの催涙ガスによる攻撃がはじまる.MRTAはマスクを着用.

21:15 木本公使,外務省との直接交信.「銃声が継続し頭が上げられない状況である」と報告.威嚇射撃するとき、彼らはカセットを換えて空砲を撃っていた(人質となった日本人外交官小倉英敬氏の証言)

23:10頃 官邸を制圧したゲリラ,パーティー出席者数百人を人質にとりたてこもる.女性及び高齢者を解放. 政府側はブリオーネス内相が公邸前にて陣頭指揮.

23:30頃 MRTA,犯行声明を発表,4項目にわたり政府に要求.@ 収監されている仲間の釈放.A経済政策の変更.Bアマゾン地域までの移動の際の人質の連行.C戦争税(身代金)の支払い.

12月18日

02:30 人質の身元調査がはじまる。大使、軍人、政府関係者などは別にされ、二階に移される.

14:00 赤十字国際委員会代表のミカエル・ミニングが薬や水などを持って戻る.その後,赤十字が食糧品を持ち込む.

17:00頃 ペルー政府,パレルモ教育相をMRTAとの対話役に任命.

18:00頃 カナダ、ギリシャ、独大使、仏文化担当官及びペルー外務省局長の5名解放.ヴィンセント・カナダ大使らはパレルモ教育相との会合開始.

22:25頃 新たに4名解放.

23:00 ミカエル・ミニングが大使館内に戻り,交渉が続けられる.

12月19日 

12:30 パレルモ教育相を中心とするペルー政府代表とヴィンセント・カナダ大使を中心とする交渉団との第2回会合.交渉の仲介者を巡り意見の不一致 . 

17:30 4人の人質が解放される。

21:30 ウエルタ司令官(セルパ)とアラベ副司令官(ティト)の人質との対話集会.MRTAの歴史と思想的立場,センデロ・ルミノーソとの違いなどを説明し、ジャングルにおける逸話などが語られた。アラベはサンマルコス大学元学生,歴史を学んだと称する.

12月20日 

00:45 フジモリ大統領が関係閣僚会議を開催.テロリストの釈放要求は受け入れられないというペルー政府の立場が再確認. 

09:30 窓に「水・電気・電話がない.再開するように.NHKのスタッフどうぞ」という張り紙がはられる.

10:15 「人質が出て行く」という第二の張り紙が出される。

15:45 最初に解放される人質のリストができる。奨学生、日系センター、老人など34人.

17:14  ミニング赤十字国際委員会代表とビンセン ト・カナダ大使、レカーロス外務省二国間政策局長が、使命は終了したとの声明を発表 .

19:20  韓国、エジプト、伯大使を含む人質39名が解放 。ミニグ赤十字国際委員会代表はMRTAの声明を読み上げる.@同志の解放以外に解決の道なし.Aわれわれはテロリストではない.外交官を人質としたのは安全確保のため.B収監中の仲間と連絡が取れれば、相当数の人質を解放する.

12月21日 

18:55 人質となっているトゥデラ外相,青木大使とセルパが3者会談.青木大使は赤十字・政府に対し電気の供給を再開するよう求める.

19:00 青木大使、テレビ番組の無線交信に応え、ペルー政府とゲリラが交渉を再開するよう呼びかける.

22:45 フジモリ大統領,TVを通じ事件発生後初の国民向けメッセージ発表.「囚人の釈放要求は拒否する.しかし人質全員を解放すれば、武力行使は行わない」と述べる.

12月22日 

21:40 人質225人を解放.フエンテス元労相ら4名がMRTAの声明読み上げ. @大統領のメッセージは「降伏」を求めるもので、受け入れられない.A政府と無関係の人質をクリスマスの祝意として解放する.残る人質の解放は、MRTAメンバーの釈放が条件である.

12月23日 

10:10 ウイッチ司祭と田口牧師によるミサが執り行われる.

12:45 134人の人質が名前を呼ばれた.ウイッチ司祭も名前を呼ばれたが、聖職者としての勤めを果たしたいと、人質とともにとどまることを望んだ。この行動は皆の称賛を浴びた.

18:35 ウルグアイ大使解放.これより約2時間前にウルグアイで公判中のMRTAメンバー2名が釈放される.

12.25 センデル・ルミノソが,ペルー北部で一家6人を惨殺する.警察への通報に対する報復.リマ北東の村では「税金」を拒否した主婦と子供ら4人を殺害.

12.26 15:00 シプリアーニ大司教が公邸前で記者会見.自分は仲介役ではないことを強調.

フジモリは,MRTAとの交渉役にアヤクチョの大司教フアン・ルイス・シプリアーニを選んだ.シプリアーニは教会保守派に属し,オプス・デイ(神の御業)のメンバー.アウトゴルペの際にフジモリ支援を声明した数少ないカトリック関係者.
いっぽう本来仲介役となるべきリマ大司教のアウグスト・ヴァルガス・ザモラ枢機卿は,フジモリ政権の経済政策、保安部隊による暴行、言論の自由抑圧などを率直に批判してきた.

12月27日 

09:30 ペルー特別国会開会.ホイワイ議長は事件解決に向けた国民の団結を訴える.フジモリ大統領への支持を表明する国会決議を採択.

12:25 リマ市内及び周辺部に非常事態宣言.

12月28日 

12:50頃 政府代表のパレルモ教育相、国際赤十字のミニング代表・シプリアーニ大司教と共に、本件発生後初めて公邸に入る(第一回直接対話). ゲリラは名を解放.

16:55頃 3名の人質が解放 される.MRTA声明.@MRTAをテロリストとして評価するのは遺憾.A公邸よりの撤退を対話を通じて解決する用意あり.その意志示すため、マレーシア大使ら20名の人質を解放する.

17:30頃 パレルモ教育相、声明発表 .@ペルー政府の対話の窓口として公邸を訪問 .Aシプリアーニ大司教の立ち会いの下、MRTAリーダーと非公式対話.解決に向け前進が見られた.

12月31日 

08:45 公邸窓に「共同通信へ進入可MRTA謹賀新年」とのメッセージ. 報道陣が公邸正門前を撮影.この間、セルパが邸内よりMRTA声明をメガホンで発表.@ 収監されている仲間の釈放を要求する.A人質は尊重している.Bわれわれはテロリストではない .

11:00 共同通信ほか報道関係者十数名が公邸に入る .このあと敷地内のカメラマンらが一列になり、一人ずつ建物内に入り邸内を撮影.MRTAメンバーの立ち会いの下、トゥデラ外相、シウラ国会議員、青木大使、小林三井物産支店長の4名のインタビューが行われる.

96年 麻薬密輸業者のデメトリオ・チャベスが逮捕される.取調べに対しモンテシノスに保護料として毎月5万ドルを支払っていたと自白.その後チャベスはテロリストとの関係で告発され,身柄を軍事法廷に移される.軍事法廷ではモンテシノスについての自白を翻す.

 

1997年

97年1月

1.02 フジモリ大統領,MRTAなどのゲリラ活動に対して「暴力によって貧困がなくなると考えるのは間違いだ」と非難.

1.07 テレビ朝日記者が公邸侵入。退出後、ペルー国家警察により連行される.

1.10 パレルモ教育相、セルパと無線で交渉.

1.12 パレルモ教育相,保証人委員会についての3項目提案を発表.

1.12 人質解放を求める1万人のデモ.草の根組織が呼びかけ,与党幹部も参加.

1.15 ゲリラ,保証人委員会提案の条件つき受入れを表明.

1.17 パレルモ教育相,カナダ大使の交渉団参加を提案.ゲリラ側はこれを受け入れる.

1.22 ペルー警察、装甲車、特殊部隊等で公邸周辺警備を強化.公邸周辺民家屋上のカメラマンに対し退去命令.

1.27 公邸前を行進中の警察装甲車にMRTAからの銃撃が命中.

1.27 パレルモ教育相,医師団を発足させ医療活動を強化させると発表.

1 1 憲法裁判所,法律26657号を合憲とした上で、この解釈をフジモリについては適応しないとする判決.7人の判事のうち賛成が3、棄権が4となる.ヌヘント憲法裁判所長官は,「法律26657号は違憲ではない.フジモリ大統領はこの判決とは無関係に,次の選挙に立候補できる.実際の適応については国家選挙管理委の判断にゆだねる」と発表.

97年2月

2.01 橋本首相とフジモリ大統領,トロントで非公式会談.その後共同記者発表.平和的解決の追求、予備的対話の開始、寺田大使の保証人委員会オブザーバー参加等につき意見一致.

2.01 ゲリラ,仲間の釈放要求は取り下げないと声明.

2.03 フジモリ大統領、ワシントンを訪問し,クリントン大統領と会談.「MRTAが仲間の釈放を求めないことに暗に同意した」と発言.セルパは無線を通じて「仲間の釈放要求を放棄したなどというのは全くの誤り」と声明.

2.05 保証人委員会が第1回会合.予備的対話開催の手続き等につき協議.

2.06 保証人委員会メンバー、初めて3名そろって公邸に入る.

2.10 ゲリラ,条件が整えば対話に応じると声明.

2.11 第1回予備的対話が開催.パレルモ教育相、ロハス、保証人3名及び寺田大使が出席.

97年3月

3.01 ペルー中部のパスコ県オハパンパでMRTAと軍が交戦.この戦闘で指導部の一人アウレリオ・レイバ他38人が逮捕される.現地の人権団体はとらえられた人々のほとんどがMRTAとは無関係と主張.

3.02 フジモリ大統領、ドミニカを訪問.フェルナンデス大統領と会談.人質受け入れの可能性が話し合われる.

3.03 フジモリ大統領、ドミニカ訪問中,キューバを緊急訪問.カストロ議長と会談し犯人出国を要請.カストロは,日本とペルー両国政府の正式な要請があればMRTAを受入れる用意があると表明.

3.05 9回目の予備交渉,キューバの受け入れ体制など政府側が報告.次回から合意交渉へ移ることを確認.

3.06 ゲリラ,「3日前から公邸の下で物音がしている.明らかに政府側の軍事的な攻撃準備だ」とし,対話を拒否する声明.

3.07 ペルーの有力紙レプブリカ,「国家情報部の車両が日本大使公邸裏の民家から大量の土砂を運び出していた.計24人が8時間交代で12月末から1月始めまで掘削を続けた」と報道.

3.07 保証人委員会,「対話の延期は遺憾であり,政府及びMRTA双方に対話再開の努力を要請する」と発表.フジモリ大統領はパレルモ教育相及び保証人委員会と会談、対話再開を期待することを明らかにする.

3.09 ゲリラ,対話再開の呼びかけを受け入れると声明.フジモリ大統領,MRTAのトンネル疑惑をたてにした新たな要求に「立腹」し,パレルモ教育相の会談出席を拒否.

3.13 政府,ゲリラとの会談を再開.予備的対話:個別協議が再開される.

3.18 高村政務次官、ペルーを訪れフジモリ大統領らと会談.「早期の平和的解決」で合意.

3.19 高村政務次官、カストロ・キューバ国家評議会議長と会談.ゲリラの受け入れを要請.カストロ議長はゲリラ受け入れの用意があると表明.

3.20 フジモリ大統領、現地テレビなどのインタビュー.MRTAメンバー釈放の可能性を強く否定.「仲間は釈放しない、平和的解決目指すが譲歩はしない」と発言.

3.24 「エルモサ法相が服役中のMRTAメンバー約200人を赦免し釈放する可能性を示唆した」との報道.

3.25 保証人委員会、最終局面を見据え6項目にわたる調停案まとめる.

3.26 「ペルー政府がゲリラのキューバ出国にむけ恩赦法を国会に提出する」との報道.政府はこの報道を全面否定.

3.26 フジモリ大統領インタビュー.「平和的解決に楽観的な見通しを持っている.すでに予備的対話の段階は終わり熟慮の時期に入った」とする.同時に「一人のテロリストも自由にすべきでない」と語りMRTAメンバーの釈放はありえないことを強調.

3.29 ゲリラ,「仲間の解放問題が解決しなければ人質解放もない」と発表.突如,強硬姿勢に転じる.このあとペルー政府は態度を明確にしなくなる.

3.31 フジモリ大統領と保証人委員会のシプリアニ大司教との会談.フジモリは,「まだ最終段階ではない」とし,一転して楽観論を否定.テロリストを超法規的な方法で釈放することには応じないとの基本方針を改めて表明.仲介役のシプリアニ大司教,「過去には囚われず許すことが必要」と強調.フジモリ大統領に柔軟な対応を期待する発言.

97年4月

4.06 ゲリラ,「直接交渉では、具体的なことが必要である.政府が実質的な決定を行う意思を有するなら、政府と対話する.カヤオ海軍基地の仲間の状況が明らかにされることが重要」と提案.同時に公邸屋上に,「カヤオにある墓場のような刑務所を打倒せよ」と書かれた新たな垂れ幕を掲げる.

4.06 フジモリ大統領「保証人委員会が重要な役割を果たしている」と述べる.

4.06 テレビ第二チャンネル,陸軍の情報局員の女性一人が内部の手により殺害され,一人が拷問を受けた事件を暴露.

4.07 地元紙,「人質の80%がうつ病、胃炎、高血圧、など深刻な状態にある」と報道.別の報道では,「ペルー政府が量刑見直しなどの新提案を軸にMRTAとの対話を再開の意向」とされる.

4.08 ゲリラ,対話中断原因は政府にあると指摘.仲間の釈放を改めて要求.

4.09 保証人委,「交渉進展に不可欠」なものとして,刑務所の実態調査結果を受け取る.

4.10 保証人委,5月初めの人質解放実現に向け政府とゲリラに同意を促す.

4.10 ペルー国会,人質に対する連帯表明と平和的解決を呼びかける決議を採択.

4.13 マスコミにより,モンテシノスが給料よりはるかに高額の所得を得ている事実が明らかにされる.

4.14 シプリアーニ大司教とヴィンセント加大使が米国大使館を訪問.その後シプリアニ大司教は,フジモリ大統領と3時間40分にわたって会談.

4.15 地元紙,「服役囚人について再審することで合意に近づいた.5月初めには人質が解放される」との観測を流す.

4.16 赤十字代表のジャン・ピエール・シャレル補佐,ペルー政府により国外退去処分を受ける.

4.17 シプリアニ大司教とフジモリ大統領が約3時間にわたって会談.その後ビンセント大使とともにMRTAと非公式に接触.おそらく最終通告.

4.17 ロバイナ・キューバ外相が日本を訪問.橋本総理らと会談.

4.19 政府提案への対応をめぐり,ゲリラ指導部が分裂.セルパは「我々を安全な状況に置くことが必要だ。全員がキューバへ行く条件を受けよう。キューバ政府は準備は全て整っているし、フジモリ政権も恩赦を約束している。私は彼を信じる」と提案.ティトとサルバドルが「支持者は戦術とは見ない、降伏としか見ない」と主張.

4.19 「日本大使公邸の警備に落度があった」とし,ブリオーネス内相、ケティン・ビダル警察長官及びラバド参謀長がいっせいに引責辞任.

4.22 15時23分 軍特殊部隊が日本大使公邸に突入.人質71人を解放し,ゲリラ14人全員を射殺.この作戦で人質の一人フスティ最高裁判事のほか特殊部隊員も2人死亡.

4.22 フジモリ大統領が声明.「MRTAメンバー14人全員が死亡したのは家族のことを考えると遺憾だが、ペルーでは絶対にテロを許すことはできない」とする.橋本首相は「大統領の事前通告なしの行動は遺憾だが理解する」と述べる.米政府は武力突入を評価。一方「事前通告はなかった」と作戦への関与を否定.クリントン大統領はフジモリ大統領に「世界の模範だ」と称賛する親書を送る.カナダ外相は「平和的解決が望ましかった」とし,武力突入について遺憾の意を表明.国際赤十字は「不幸にして強行突入となり,我々はなにもできなかった」と発言.

4.23 フジモリ大統領が記者会見.「特殊部隊侵入のためトンネル掘削を続けていた.潜入のためのトンネルは7本掘られた.21日朝から突入準備を始めた」ことを明らかにする.強攻策をとった理由として,「MRTAが毎日の医師団訪問を認めないことで人質の健康状態の悪化が深刻化した.仲間釈放受け入れという不可能な要求を提示してきた」ことを上げる.また,日本政府と意見の相違があると判断したため、公邸突入前に打診しなかったと発言.フジモリ大統領の支持率は,38%から67%に急上昇.

4月 フジモリ,フォルトゥナート・バルデリ教皇使節との会見後に記者会見.「シプリアーニ大司教が盗聴装置を公邸に持ち込むために政府情報局と協力したことはない」と強調.しかし盗聴装置が衣類や救援物資の中に隠されていた可能性は認める.

97年5月

5.01 ペルー国家警察の幹部19人,MRTAによる襲撃を防げなかったとして軍法会議にかけられる.青木大使も,公邸警備の不手際、人質からの不信感などで進退伺い.

5.06 シプリアニ大司教,ローマに赴き,平和的解決を目指した交渉過程や、武力突入に至った経緯などを教皇パウロ二世に報告.

5.16 リマ東部で警察署に車爆弾.警察官10人と市民十数人が負傷。センデル・ルミノソによる犯行.

5.17 フジモリ大統領支持率がはやくも50%に低下.無実の服役囚の存在など人権問題が影響.

5 ペルー議会,1月の違憲判決の手続きが不適正だったとし,フジモリ立候補を無効と判断したデリア・レボレド判事ら3人を解任する決議を採択.野党、学生、労働組合等はこの更迭を司法への不当な介入として反発.世論調査では87%がこの措置に反対.

97年6月

6.5 リマでフジモリ政権の経済政策と民主主義の破壊に抗議するデモ.ペルー労働者総同盟(CGTP)の呼びかけで2万人が結集,フジモリ政権成立以来最大規模の集会となる.

6 リマで米州機構の総会が開催される.これに合わせ学生が反フジモリの大デモを組織.ペルー労働総同盟はこれに合流せず.

6 フジモリ三選の是非をめぐる国民投票を実施するよう要求する署名運動開始.フジモリ支持率は38%に下降.

97年7月

7.13 フレンクエンシア・ラティーナ・テレビ,情報機関が政治家,企業化など約二百人の電話を盗聴していることを暴露.警察は同局社長の市民権を剥脱.

7月 テレビ・第二チャンネル,モンテシノスの公的給与が年1万8000ドルでしかないのに、なぜか毎年60万ドルの収入をえていると報道.その後バルチ・イブチェル社主(ユダヤ系)はペルー国籍を剥奪され国外追放.放送局は親政府派の手にわたる.

7.16 トゥデラ外相,盗聴事件に抗議辞任.トゥデラも盗聴対象者の一人.ついでカスティージョ国防相,エルモサ法相も辞任.フジモリの支持率は19%にまで低下.

97年8月

8.4 デクエヤル前国連事務総長も国家情報局(SIN)の盗聴の対象となっていたことが判明.デクエヤルは激しく抗議.

8.8 ペルー議会,電話盗聴事件を解明するため特別委員会を設置.

8.15 センデロ,フニン州で大規模な作戦.60人の部隊がフランス多国籍企業の石油会社を襲撃.60人を人質にする.

8.17 センデロ,食物・薬・衣類・バッテリーおよび身代金と引きかえに,石油労働者を無傷のまま解放.

10.10 テロ関与の容疑で収監されていた54人について無実とし釈放.翌月さらに83人を無罪と判断し釈放.

11月 ザモラ枢機卿,75歳になったのを機にリマ大司教の職を辞任.後任にシプリアーニ.

97年 陸軍情報部の職員マリエラ・バレト・リオファノ,謎の死を遂げる.情報部に不利な証言をする可能性があったため,コリナに暗殺されたといわれる.

 

 

1998年

4.24 センデル・ルミノソの幹部3人がリマ市内で逮捕される.

4 エクアドルとの国境線確定のための交渉開始.

5 与党,JNEが違憲の判決を下すためには5人中4人の賛成が必要との法案を採決.

6.04 パンドルフィ首相がフジモリ大統領に辞表を提出する.事実上の更迭.後任首相にはリエストラが就任.

6月 チリとペルー,経済補完協定を締結.

7 ペルー,エクアドルが非武装地帯に侵入と非難.エクアドルは否定.

7月 民主フォーラム,国民投票を求める署名が140万に達したと発表.世論調査では70%以上が国民投票に賛成.

98年8月

8.05 リエストラ首相,記者会見でグスマンの近況を報告.カヤオ海軍基地内の刑務所で夫人とともに音楽を聴くなど特別待遇を受けていると発表.いっぽうプーノのヤマナヨ刑務所に収監されたMRTAのポライには特別待遇が与えられていないとされる.

8.07 フジモリ,ハビエル・バジェ・リエストラ首相の辞任受理.リエストラはわずか二ヶ月で解任される.両者の対立は決定的に.

8.10 フジモリ,エクアドルのマウア大統領の就任式を欠席.エクアドル軍が撤退するまで国境紛争の和平交渉に応じずと声明.

8.20 国会開催.フジモリは内閣を改造.新首相にパンドルフィが復帰.エルモサ国軍最高司令官兼統合参謀本部議長を更迭し,後任にそれまでの国防相を任命.エルモサはMRTA人質事件解決のため軍が主導権を握ったとし,フジモリと功名争い.フジモリと対立したリエストラ前首相は,新政党「国民連合」を設立.

8.25 リマ市の非常事態令,さらに60日間延長される.ビジャヌエバ内相はゲリラの活動がふたたび活発化と報告.ゲリラ関連の死者は今年に入って49人に達する.また「センデロ・ロホ」(赤い小道)の首領フェリシアーノはアヤクーチョ近郊で麻薬密売活動を展開しているという.

8.27 野党ONPE,三選出馬の是非を問う国民投票の実施法案を議会に提出.法律26592号で定められた48人以上の議員の賛成を得ることができず(反対67、賛成45).これにより国民投票の実施は実質的に不可能となる.

98年9月

9.02 国会の国民投票否認決議を受けての各種世論調査で,フジモリの支持率は40%を割り,就任後8年間で最低となる.

9.09 政府,イロ港などの港湾施設を民営化すると発表.

9.10 アルゼンチンが国境紛争の相手国エクアドルに武器を不正輸出した疑惑に一応の決着.アルゼンチン政府の関与はなかったと判断される.

9.30 国民投票の拒否に抗議するゼネストが打たれる.フジモリ政権に入って最大規模のゼネストに拡大.労働者ら数百人が,大統領府の敷地内になだれ込み,石を投げて窓ガラスを壊す.

98年10月

10.03 フェレーロ外相が辞任.

10.26 ペルーとエクアドル,ブラジリアにおいて最終和平条約に調印.エル・コンドル山脈地帯78キロの国境を画定.この地帯を両国共同のエコロジー・パークとし,軍・警察を常駐しないことで合意.ペルーはエクアドル軍駐留地のあったティウインサ(1平方キロ)をエクアドルに譲渡.エクアドルがペルー領アマゾン川流域を航行することを容認.

10月 ペルー市長選.反フジモリ派候補が再選される.

12 米州人権委員会,ペルー政府に対して更迭された憲法裁判所の裁判官3人の復職を勧告.キスペ法相は米州人権委員会には思想的偏向やおごりがあるとし,勧告を拒否.一部の与党議員は,米州人権条約からの一時撤退などを提案.

12 エルモサ将軍,退役.これに伴い軍高級将校56人が退役.モンテシーノスの軍支配体制が確立.

 

1999年

1.03 フジモリ,閣僚10人を更迭.新首相兼経済・大蔵大臣に側近のホイワイを指名.バレンスエラ新法相は、米州人権委員会の勧告を受け入れ,憲法裁判所を正常化すると発言.

1.09 シプリアーニがリマの大司教(国内最高位)に昇格.

1.16 ペルー軍,アマゾン地域でセンデロ掃討作戦.ヌエボ・ポルベニル,プカヤクなどでメンバー5人を殺害.武器や通信設備を押収.

2.07 南部 刑務所で左翼ゲリラらが待遇改善を求めて反乱.警官20人を人質にとりたてこもる.

2.14 米州人権委員会の勧告期限となる.フジモリ政府は60日間の期限の延長を申し入れ受諾される.

3.11 フジモリ,テロリスト5人を赦免すると発表.赦免委員会(法相,人民擁護官,聖職者の三名からなる)の答申を受けたもの.

3.15 騎馬警察など約1200人,リマ市中央部ラ・ビクトリア区のガマラ街で約3000人の露天商の強制立ち退きを開始.露天商らは石やビンを投げて対抗.

3.20 ホルヘ・ムファレッチ労相,テレビでのインタビューで「税関に汚職構造ができている.国家は,過去数年間で100億ドルの損害を受けている」と語る.

3.23 フジモリ,電力,通信,鉱業部門の国有企業の民営化などで,あらたに歳入8億ドルを確保したと発表.

4.14 ムファレッチ発言に端を発した政治危機.フジモリはホイワイ首相兼経済相を解任し,内閣を改造することで乗り切りを図る.

4.21 野党第1党のペルー連合(UPP),AP,APRA,キリスト教人民党(右派)など主要野党8党,フジモリ大統領の3選出馬を阻止するキャンペーンで合意.ネオリベラリズムの早期見直しを訴える.

4月 野党統一候補で現リマ市長のアルベルト・アンドラーデ,フジモリの市場開放政策を「野蛮な資本主義」と評して,国内産業保護のために障壁を設けるよう訴え.

5.03 CPIによる世論調査.トップはアンドラーデ(35.7%),次いで社会保障院元総裁のルイス・カスタニェーダ・ロッシオ(23%),三選を狙うフジモリ大統領は20.7%で第3位となる.

6.01 OAS人権裁判所,ペルー政府に対し,MRTAへの協力容疑で拘留中のチリ人4人の再審を要請.フジモリは『ペルーはテロリストをのさばらせるつもりはない』とし,ただちにこの裁定を拒否.

6.01 リマで日本人移住100周年記念式典開催.

10.12 フジモリ大統領,内閣改造.ホイワイ首相(兼経済相)に替わってアルベルト・ブスタマンテが新首相に就任.

10.16 山岳地帯の刑務所で服役中のMRTA活動家が脱獄を計画するが,未然に阻止される.

10.16 軍当局,アヤクーチョを中心に左翼ゲリラ掃討作戦を展開.ゲリラ司令官ら11人を逮捕したと発表.

11.05 アヤクーチョ州で政府軍とセンデロとの衝突 双方で計9人死亡.

11月 フジモリ大統領,チリを公式訪問.「1929年条約実施取極合意」を取り交わす.

12.22 治安当局 国内最大の麻薬密売組織首領を逮捕したと発表.

12.27 フジモリ大統領,三選出馬の意思を表明.2野党を取り込み「ペルー2000」を結成.野党は「三選出馬は憲法違反」と一斉抗議.

12 陸軍内部の人事異動.12の要職のうち,9名がモンテシノスの陸軍学校同期生.

 

 

2000年

1.17 フジモリの三選出馬に抗議する市民・労働者のデモ.

3.01 フジモリ,アヤクーチョなどを含む全土にわたり非常事態を解除すると発表.非常事態の全面解除は17年ぶり.

4.09 ペルー大統領選挙および国会議員選挙.大統領選は9人が立候補するが,与党連合「ペルー2000」のフジモリ大統領と野党「ペルー・ポシブレ」(可能なペルー)のアレハンドロ・トレド候補の事実上の一騎打ちとなる.米州機構監視団は選挙運営の構造的欠陥に懸念表明.
 

トレドは北部の貧しい港町で,先住民の血を引くブロック職人の父と魚売りをする母の間に生まれた。16人兄弟の1人で、6歳から靴磨きをして生計を助けた。米国奨学生に選ばれ、米サンフランシスコの高校からスタンフォード大学に進み,経済学の博士号を習得.その後世界銀行の主任顧問を務める.

4.12 大統領選挙は,フジモリ現大統領が49.8%で第一位.40.3%を獲得したトレド候補との決戦投票に持ち込まれる.議会選挙でも,フジモリ派の「ペルー2000連合」は過半数に達せず.

4.27 総選挙で不正投票,開票操作の疑惑が高まる.トレド,選挙の不正に激しく抗議.決選投票を拒否する意向を声明.

4月 ペルー当局,ウアジャガ渓谷とアプリマック河流域で掃討作戦.センデロのホセ・アルセラ.チロケ(オルメノ司令官)を逮捕.

5.07 選挙管理委員会,国会議員選挙の最終結果を発表.フジモリ与党が第一党となるが,過半数に達せず.その後の議会工作で,12人の野党議員が与党に鞍替えした結果,過半数を獲得.

5.14 フジモリ大統領夫人,大統領選決選投票ではでトレド候補を支持すると表明.

5.17 トレド候補,選挙疑惑が明らかになるまで,決選投票の実施を延期するよう求める.

5.18 選挙管理委員会,トレドの決選投票延期提案を拒否.28日の投票実施が最終確定.世論調査ではフジモリ支持率が50%を上回る.

5.19 トレド,決選投票には参加しないと発表.フジモリの不正選挙を非難し,国民に棄権を呼びかける.

5.22 トレド,決選投票への不参加を正式通告.改めて選挙の延期を求める.米州機構選挙監視団は決選投票の延期を提案して監視活動を中止.

5.25 選挙管理委員会,トレドが参加しなくても決選投票を実施すると発表.アポヨの事前調査では、単独選挙が合法的とする者は56%、違法とする者は39%.

5.28 事実上の信任投票となった決選投票で,フジモリは有効投票の78%、全投票数の51%を獲得.トレドは選挙結果の受け容れを拒否,新政権に対する平和的抵抗運動を呼びかける.米政府は「投票の集計システムに問題がある」として厳しく批判.欧米諸国がこぞってペルー大統領選の公正・透明性を強く求める.

6.03 フジモリ,野党との関係修復のため「民主化促進のための特別委員会」を設置すると発表.

6.29 ハイレベルのOAS代表団がペルーを訪れ,フジモリと会談.先の大統領選挙の結果を追認するとともに,フジモリ大統領に人権状況の改善や言論の自由などを盛り込んだ民主化改革案を提示.モンテシノスの解任を迫る.フジモリは,モンテシノスとCIA,DEAとの関係を理由にこれを拒否.

7.09 ペルー,米州機構(OAS)人権裁判所から離脱.

7.26 新首相には野党「アバンセモス」のフェデリコ・サラスが指名される.与党連合「ペルー2000」は,4月の選挙で確保した52議席に,野党からの鞍替え議員12人を加えて64議席として過半数を確保.

7.28 フジモリ,三期目の大統領に就任.「雇用増大と民主化促進」を掲げる.トレドの呼び掛けで10万人以上がリマ市内で抗議デモ.デモ隊の一部は暴徒化して警官隊と衝突,6人が死亡する.

8.21 フジモリと密接な関係にあるとされるリマ大司教フアンルイス・シプリアーニは,テープの漏洩がSINによる拷問と関係している可能性があるとし,モンテシノスの解任を求める.しかしフジモリの進退には触れず.

8.30 日本の国際協力銀行,448億円の円借款を供与.

 

フジモリの辞任

00年9月

9.06 ニューヨークの国連ミレニアム総会に出席したフジモリ,オルブライト米国務長官と非公式に会談.民主化、SINの廃止と大統領選挙のやり直しを迫られる.

9.14 ペルーの有線テレビ局「チャンネルN」,モンテシノスSIN長官がルイス・アルベルト・コウリ議員に現金一万五千ドルを渡し,買収する場面を記録したビデオを放映.(ビデオ事件についての詳細は別項をご参照下さい)
 
9.14 野党議員団は直ちに抗議声明を発表.議員免責を剥奪し,収賄容疑で捜査を開始するよう要求.議長はこの問題の審議を拒否し,議会を閉会.その後,与党関係者が大量の文書を議会外に持ち出す.

9.15 「カナル・エネ」にテープを提供した「独立道徳戦線」(FIM)のフェルナンド・オリベーラ議員とルイス・イベリコが記者会見.モンテシノスはこのようなテープを少なくとも2,500本は所有していると述べる.

9.15 リマの野党系日刊紙「レプブリカ」によれば,軍関係者にひとつの噂が広がっている.ビデオは陸軍総司令官ホセ・ビジャヌエバ・ルエスタに近い筋からリークされたものだという.モンテシノスはビジャヌエバの失脚を図っており,彼の家屋敷にまつわるスキャンダルを暴きたてようとしていた.12月には彼に代えてフアン・ジャンキ・セルバンテス将軍を総司令官に発令しようとしていた.

9.16 フジモリ,国民向けテレビ演説.「まず国家情報部の活動を停止する.そして総選挙をできるだけ早く行う」と発表.来るべき選挙には出馬しないことも明らかにする.

9.16 コウリ,テレビ局「カナル・シンコ」とインタビュー.手渡された金額は15千ドルではなく22.5千ドルだった.それは選挙費用を清算するためにモンテシノスから貸与されたものである.自分は月2千ドルの割でそれを償還している.自分は2年前からモンテシノスとは友人であり,金を借りたことは何回もある…と述べる.またコウリは別の放送局とのインタビューで,社会プロジェクトのためにモンテシノスから10千ドルを借りたと述べる.またあの時の会見は,たんに「ペルー2000」への加入のお誘いだけだったとする.

9.16 リマの日刊紙「エスプレソ」によれば,SINは6人の海軍エージェントを尋問中である.取調べの場所は陸軍総本部の中にある陸軍情報部(SIE)の建物である.この6人はテープが収録されていた間,モンテシノスのオフィスを護衛しており,事件への関与が疑われているという.エスプレソは軍関係筋の情報として,海軍幹部がモンテシノスに怒っていると伝える.理由は,海軍の武器がコロンビアの左翼ゲリラに横流しされている事実を,モンテシノスが暴露しようとしたからだというのである.

9.16 海軍,テープ漏洩の疑いで海軍将校6人に出された,SINの逮捕請求を拒否.軍内はモンテシノス派,フジモリ派,現政府に批判的なグループに三分される.

9.17 ワシントンのOAS,テープ事件を非難する声明を発表.「真剣かつ迅速な行動により,これらの機関の公的活動を停止する措置をとるよう」要求.米国務省のピーター・ロメロ国務次官補代行は,「独立した司法機関が全面的な捜査を開始すべきだ」と述べる.「国務省高官」は記者の質問に答え,「モンテシノスはフジモリにとって,そしてこの地域にとって政治的な危険になりつつある」と述べる.

9.17 フジモリ,SINを解散すると発表.しかしモンテシノスの扱いについては言及せず.反対派の指導者ヘンリ・ピースは選挙のタイムテーブルが示されなかったことを批判.SIN解散声明の信頼性に疑問を呈し,モンテシノスはその地位にとどまるだろうと述べる.そして政府を立ち去るべき人物の一人にフジモリ自身も含まれると語る.

9.19 フジモリ大統領,2001年7月28日までは大統領職に留まる意向を明らかにする.

9.20 与党議員マリア・セシリア・アルティネス,ビデオ・スキャンダルを受け辞任.

9.21 ペルー陸・海・空の三軍と国家警察の司令官,フジモリ声明に対する支持を慎重な表現で表明.SINの活動停止については批判的な態度を表明.

9.22 政府,議会に緊急提案.半月以内にSIN解体に向け行動を開始するとする.議会は,首相,内相,国防省などからなる監視団を結成するよう要求.

9.23 モンテシノス,随員3人と軍・警察関係者11名を伴ってペルーを出国.パナマに向かう.

9.23 ペルー政府,モンテシノスの海外亡命交渉を開始.フェデリコ・サラス首相は,パナマ政府に亡命を打診.南米主要五カ国大統領およびガビリアOAS事務総長が,パナマ政府に亡命受け容れを要請.

9.23 大統領官邸前で女性デモ.「ネズミ(フジモリ)は出て行け!」と叫ぶ.

9.23 トゥンベスに配備された第9歩兵部隊,リマに向け出発と報道される.出動命令は9月16日,フジモリのテレビ演説直後,統合参謀本部議長のホセ・ビジャヌエバによるものとされる.
 

第9歩兵部隊は,数百台の戦車,砲兵部隊など.司令官クリストバル・レイ・デルガド准将は,モンテシノスとの密接な関係を利用して,急速に軍内で昇進してきた人物である.
この部隊は第二軍管区に所属しているが,指揮系統としてはリマの陸軍戦車部隊の統括下にある.陸軍戦車部隊司令官は,モンテシノスの義弟にあたるルイス・クバス・ポルタル将軍.クバスは今年12月に退役が予定されているカルロス・タフール陸軍総司令官の,後任として噂の挙がっていた人物である.
なおタフールはモンテシノスに批判的であったことで知られている.

9.24 モンテシノスが出国したことが明らかにされる.

9.25 モンテシノス,フジモリ大統領に書簡を送り,国家情報局顧問の職を辞す意向を表明.ペルー政府は,モンテシノスの国家への貢献を評価.

9.25 モンテシノス,パナマのミレヤ・モスコソ大統領に,「ペルーで政治的追跡を受けている」として亡命申請.パナマ政府閣僚会議は亡命を拒否する勧告.

9.26 パナマ政府,モンテシノスと同行した7名に観光ビザの発行を拒否.24時間以内に出国するよう命令.

9.26 ペルー議会,アルベルト・コウリ議員に対し120日間の議会登院停止を決定.

9.26 フジモリ与党連合「ペルー2000」,国会議員の離脱が相次ぐ.議員数59人となり議会(1院制度.120人)で過半数を割り込む.

9.28 フジモリ大統領が渡米.ガビリアOAS事務総長やオルブライト米国務長官と会談.

9.28 ペルー議会は全会一致で国家情報局(SIN)解体法案(法律No.27351)を可決.15日以内に活動を停止するようもとめる.政府は治安維持の理由から実施を先延ばしする.

9.30 コロンビア警察当局,ペルーからゲリラに送られた武器を押収したと発表.

00年10月

10.05 ペルー議会,フジモリ大統領と国会議員の任期を来年7月28日までとし,大統領の連続再選を禁止する憲法修正法案を賛成102,反対1,棄権6で可決.

10.11 フジモリ,複数回にわたりモンテシノス氏と電話連絡していることを,記者団に明らかにする.彼の個人的安全を憂慮しているためと説明される.

10.11 政府,SINの活動停止と解体に関する法令を公布.

10.16 政府,来年4月8日に大統領選および国会議員選を実施する法案,および国政選挙制度に関する憲法修正法案を議会に提出.

10.16 フジモリ,反モンテシノス派の先頭に立つ陸軍総司令官カルロス・タフル准将を解任.

10.20 アルベルト・ブスタマンテ司法相,麻薬取締りやゲリラ掃討作戦での軍人の免責法案を提出.

10.22 パナマ亡命を拒否されたモンテシノス,公式の場から姿を消す.実際の足取りは,パナマのアルブロック民間空港を双発機で発ち,エクアドルのグアヤキルに到着.現地に2時間以上滞在しペルー入りをうかがう.

10.23 モンテシノスの飛行機,リマ市のホルヘ・チャベス国際空港への着陸を申請.拒否される.このあとリマ市南方242キロのピスコの第9空軍基地に午前5時21分に到着.(一説に22日)

10.23 第一副大統領フランシスコ・トゥデラ,フジモリに対し辞表を提出.与党連合「ペルー2000」から離脱.

10.24 モンテシノス,ピスコで地方放送局「ラジオ・プログラマス・デル・ペルー」と会見.「ペルーのゲリラから死の脅迫を受けたため,パナマから帰国した」と語る.また「アビマエル・グスマン射殺を大統領から命じられたが、それを断った」とも語る.

10.24 ガビリアOAS事務総長,「ペルー政府と野党勢力との民主化対話を再開させる」目的でリマ入りする.実際は,モンテシノス処分の検討.

10.24 EU,「モンテシノス氏のネガティブな影響を危惧する」と述べる.

10.25 ガビリアOAS事務総長,フジモリとの会談後,野党リーダーやハミルトン駐ペルー米国大使と会談.フジモリは会談後の記者会見で「陸海空の3軍と警察に禁足令を出した.自分が軍を完全に掌握している」と強調.

10.25 フジモリ大統領,モンテシノスの所在確認のため,国家警察を陣頭指揮.結局モンテシノスを発見できず.メディア向けの演出と見られる.

10.26 議会常設委員会,アルベルト・コウリ議員がモンテシノスから賄賂を受け取った容疑で,議会として懲罰することを採決.

10.28 フジモリ大統領は,野党からモンテシノス派と糾弾されていた3軍のトップと内相を罷免.

10.29 カヤオからヨット「カリスマ号」に乗船し,ガラパゴス諸島のイサベラ島に逃亡.フジモリは、軍や警察を陣頭指揮し,まったく別の場所を探索させる.

10.29 南部モケグア州の銅山の町トケパラに駐屯するオジャンタ・モイセス・ウマラ・タッソ中佐が,50人の兵を率い反乱.ウマラ・タッソはタクナ州ロクンバの第六機甲師団に属する第501防空砲大隊の指揮官.

10.29 ウマラの部隊,第六機甲師団本隊の陣取るアリカ要塞を占領.司令官オスカル・バルダレス准将をふくむ高級将校4人を人質に取り,フジモリの辞任とモンテシノス逮捕を要求.

10.30 反乱部隊,トケパラを離れ,ボリビア国境地帯のモケグア県プノ方面に移動を開始.さらに一部はアレキーパ県へ移動する.鉱山労組の一部活動家は反乱への支持を表明.弟のウマラ・アントゥアロ退役少佐もリマからトケパラに向かったとされる.

10.30 フジモリ,新陸軍司令官を含む緊急閣議を招集.軍は社会的・政治的安定を維持し,反乱を鎮圧するとの声明を発表.政府への忠誠を誓う.500人からなる鎮圧部隊を派遣.

2000年11月

11.02 反乱部隊は事実上解散.参加者はほぼ全員が原隊に復帰.ウマラの下には5人のみが残留.陸軍は捜索を中断し,部隊をリマに引き揚げる.その後の捜索は地元警察にゆだねられる.

11.02 スイス政府,モンテシノス名義の4つの銀行口座が存在すると発表.マネーロンダリングに用いられた疑いもあるとして,ペルー側に情報の提供を求める.

11.02 アルベルト・ブスタマンテ・ベラウンデ法相,「モンテシノスのスイスへの預金総額は4千8百万ドルに達する模様」と発表.フジモリは,モンテシノスが不正に金を手に入れたようだと述べ,告訴と逮捕の方針を明らかにする.

11.02 フジモリ,モンテシノスのマネーロンダリング疑惑調査のために,ホセ・ウガス・サンチェス・パラシオス弁護士を特別検察官にあてると発表.ウガスはフジモリを含む政治家,民間人,軍関係者を調査すると述べる.

11.03 フジモリ,モンテシノスの不法資金操作を知らなかったと声明.モンテシノスに対する逮捕命令が出たと語る.その後ウガス特別検察官はこの事実を否定.

11.03 蜂起したオジャンタ・ウマラの部隊兵士,大半が政府軍に投降.政府軍はオジャンタ・ウマラの追跡を中止.ウマラを軍籍剥奪し警察当局の捜査にゆだねる.またバルダレスを師団長から更迭.

11.04 ペルー国立工科大学の社会経済研究所(IIES)のアンケート調査.フジモリに対する不支持率が1ヶ月前より10ポイント上昇し,76.3%に達する.支持率は24.3%から18.6%に減少.

11.05 議会,憲法改正案を可決.来年4月の大統領選挙が正式決定.

11.05 モンテシノス,イサベラ島から船を乗り換え,コスタリカのココ島にむかう.

11.06 ブスタマンテ司法相,「モンテシノス氏が依然として影響力を持っており,そのため,所在が確認できない」と語る.

11.06 ニューヨークタイムス,モンテシノスがペルー政府を動かし,ヨルダンから武器を買いつけ,コロンビアのFARCに転売していたというCIA筋の情報を掲載.報道によれば,CIAはヨルダン政府筋から情報を得ていたが,独自にリマのモンテシノス関係者と接触し,国務省には報告しなかったという.

11.07 エリオット・アブラムス前国務次官,「CIAはモンテシノスの腐敗については黙認していたが,武器売買については知らなかったと思う」としつつも,「米国はかつてのノリエガと同様,またもや,モンテシノスとCIAとの汚い関係を許す“伝統的な間違い”を犯してしまった」とコメント.

11.07 ホルヘ・バルガス・インファンテ判事,国内であれ国外であれモンテシノスを逮捕するよう命令.罪状は汚職、横領、マネー・ロンダリングなど.司法当局はモンテシノスの逮捕・起訴と財産の予防的差し押さえを発表.国家警察はモンテシノスのアパートを強制捜査.数十個の書類やビデオを押収し,大統領官邸に持ち込む.

11.07 麻薬密輸業者のデメトリオ・チャベス,コロンビアへの麻薬密輸のため,モンテシノスに毎月5万ドルを払っていたと証言.チャベスは96年にも贈賄の証言を行っていたが,このときはモンテシノスの圧力により証言を翻す.

11.09 フジモリ,モンテシノスの家宅捜索で,ケイマンのビルバオ・ビスカヤ銀行(スペイン)支店の預金口座証書(500万ドル)が見つかったことを明らかにする.

11.09 バルガス判事,モンテシノスの逮捕のため、インターポールに協力を要請.

11.09 米国務省,「ペルー政府の要請により」モンテシノスのビザを取り消す.

11.09 フジモリ,訪米予定を突如キャンセル.

11.10 フジモリ,2001年4月8日に大統領選および国会議員選挙を実施すると発表.

11.10 ブラジル訪問中の「ペルー・ポシブレ」党首アンドラーデ・トレド,「フジモリ政権は今年一杯までは持たない」と語る.

11.11 コロンビアの「カンビオ」誌,メデジン・カルテルのロベルト・エスコバル(渾名はオシート)とのインタビューを掲載.これによれば「ロベルトの兄弟で同じく麻薬業者であるパブロ・エスコバル(失踪中)は,86年から92年にかけて,モンテシノスと数度にわたり麻薬取引した.またモンテシノスと組んで,1990年のペルー大統領選挙に100万ドルを提供した」とされる.

11.11 モンテシノス,コスタリカのココ島に達する.一週間にわたり現地にとどまる.

11.12 ウガス・サンチェス特別検察官は,「カンビオ」紙の報道を調査するよう公共省に要請.モンテシノスが無期懲役になるだろうと発表.

11.12 フジモリ元夫人スサーナ・ヒグチ議員,「カンビオ」誌の報道を全面否定.

11.13 フジモリ,ブルネイのAPEC首脳会議出席のためリマを発つ.アカプルコ,サンフランシスコからフィリッピン航空でマニラに向かう.

11.13 ペルー議会,フジモリ派のマルタ・ヒルデブラント議長を64対51で不信任.

11.13 モンテシノス,メキシコの週刊誌「エポカ」との携帯電話によるインタビューで,マネーロンダリング疑惑を全面否定.

11.13 モンテシノスが軍首脳とともに、本年の大統領選挙後にSINの建物で祝宴を張っているビデオが放映される.

11.14 特別捜査官ホセ・カルロス・ウガス,フジモリのマネーロンダリングへの関与の疑惑,官僚の腐敗・公金横領などについて調査すると述べる.ウガスによれば,89年の大統領選挙において,コロンビアのエスコバル一家からモンテシノスを通じて,100万ドルの資金が流れた可能性があるという.ただし,89年にはフジモリとモンテシノスの間につながりはなかったという見方が圧倒的である.

11.15 フジモリ大統領がマニラに到着.義弟のビクトル・アリトミ駐日ペルー大使と合流.10時間のフィリッピン滞在のあと、ブルネイに向かう.

11.15 最高裁のロドリゲス判事,司法権への不当介入を理由に、フジモリ大統領の辞任を要求.

11.16 人民行動党のバレンチン・パニアグア・コラサオが国会議長に選出される.「対話と調停」を公約に掲げる.議会は,97年に解任された三人の最高裁判事の復帰を指示.

11.16 「IMA」社のアンケート調査によると,第一副大統領を辞任したフランシスコ・トゥデラが25.9%でトップ,2位はアレハンドロ・トレド(16.6%),3位がリマ市長のアルベルト・アンドラーデ(11.5%)

11.16 フジモリ大統領はブルネイを出発し、マレーシアを経て、成田に向かう.

11.16 ホセ・バルバ元国会議員,フジモリはペルーに帰国せず,マレ−シアに政治亡命申請を行ったと語る.ペルー政府はこの報道を否定.

11.17早朝 フジモリ,次の予定であるパナマのイベロアメリカ・サミットをキャンセルし,マレーシアのクアラルンプール経由で東京に到着.ホテル・ニューオータニの14階スイートルームに入る.ペルー政府は融資支援要請のための訪日で,同日夕に発つと発表.

11.18 在日ペルー大使館,その後フジモリが風邪により体調を崩したため,離日を1日延期すると訂正.この日,フジモリは国際協力銀行総裁や自民党幹部らと会談.

11.19(日本時間:20日午前1時) 日本訪問中のフジモリ,サラス首相とリカルド・マルケス第二副大統領に辞意を伝える.

11.19 フジモリの辞任表明を受け,リカルド・マルケス第2副大統領をふくむ全閣僚が,ボローニャ経済相の自宅で約4時間にわたって協議.フェデリコ・サラス首相に辞表を提出.サラスは閣僚全員の辞職を発表.マルケスが大統領代行となる.サラスらの記者会見によれば,辞任の理由は「民主化の経過にとって障害となることを望まないため」とされる.

11.20 ピーター・ロメロ西半球担当国務次官を団長とする米政府の高級代表団が訪問.ペルーの指導者や軍幹部と会談し,民主化プロセスや麻薬対策について協議.

11.20 カントリーマン米国家安全保障担当報道官,ペルー政府から「フジモリ大統領は日本に無期限に滞在する考え」との報告を受けたと述べる.

11.20 アレハンドロ・トレド元大統領候補,暫定大統領としてパニアグア国会議長を支持すると表明.訪問先のスペインから急きょ帰国.

11.20 リカルド・マルケス第二副大統領,「圧力を受け辞任に追い込まれた」とするフジモリの書簡を公表.

11.21 議会,12時間に及ぶ審議の末,フジモリの辞表の受理を拒否.「精神的無能力」と「道義的に許されない行い」により大統領の空席宣言を賛成62,反対9,棄権9で採決.フジモリを事実上罷免.また,議会はマルケスの臨時大統領就任を認めず.マルケスは暫定大統領就任を断念.辞任の意向を大統領府で表明.

11.21 ウガス特別捜査官,フジモリがシンガポールに立ち上げたトンネル会社に資金を移動した可能性があると述べる.資金の出所は,モンテシノスがスイスの銀行に預けた5千万ドルのロンダリング資金の一部という.AP電によれば,フジモリは東京へ行く途中シンガポールに立ち寄り,弁護士に株の売却を依頼したという.

11.21 フジモリ,宿泊先のホテル・ニューオータニで会見.「しばらくの間,一市民として日本に滞在する」とかたる.また海外の預金口座の存在を否定.モンテシノス名義の総額5千万万ドルのスイス銀行口座との係わりを否定.

11.21 アプラ党のホルヘ・デル・カスティーヨ議員,フジモリがペルーに「Infinitrum」社と「Periferic」を所有していると暴露.スサーナ・ヒグチ議員は,「フジモリは不正に得た資金をすべて東京の銀行に預金している」と語る.また「二重国籍を所持している」と明言.

11.21 モンテシノス,ココ島を離れ、首都サンホセ北東のリベリア市に移動.

11.22 議会,マルケスの辞任を了承.フジモリを正式に罷免し,バニアグア議長の臨時大統領就任を決議.バニアグアは人民行動党の所属で,ベラウンデ側近と目される.

11.22 リマの第二軍監区司令官エドムンド・シルバ准将,ロシア製ヘリ購入に絡む不正疑惑で逃亡.

11.22 福田官房長官,フジモリは1年間有効の外交ビザを所持しており,滞在は違法ではないこと.また彼から滞在延長許可申請があれば検討すると発表.フジモリ,滞在先のホテル・ニュー・オータニからチェック・アウト.都内の知人宅(後に作家曽野綾子邸と判明)に移動.

11.22 フジモリ義弟のビクトル・アリトミ駐日大使が辞任.

11.22 モンテシノス,飛行機でベネスエラ沖のアルバ島に移動.モンテシノスを保護したのは,アルーバで観光施設を所有するクラウス・コルパンチョ・クライニッケ.コルパンチョは,ボータン・インタナショナル社の持ち主で,ペルー軍と国家警察への武器納入を取り仕切っていた.93年には,ペルー政府への武器の不当価格納入で捜査されたことがある.

11.23 国家警察長官フェデリコ・ウルタードが証言.フジモリが大統領法律顧問マヌエル・ウリセス・ウビユス・トレンティノ中佐を執行官とし,警察にモンテシノスのアパートを強制捜査するよう指示したとする.特別警察の部隊がウビユスを逮捕.

11.23 パニアグア,臨時大統領に就任.就任演説では司法と選挙機構の改革などを強調.

11.24 フジモリが1800万ドルをシンガポールから東京に移したとの報道.フジモリは全面否定.

11.24 ウガス特別検察官は,フジモリの資金疑惑を公表.モンテシノス疑惑に関してフジモリへの捜査を行うよう司法当局に要請.

11.24 カルロス・ボロナ経済相,91年以来の国営企業売却で90億ドルの国庫収入があったのに,残金が5億ドルあまりしかないと警告.また軍のために使われた10億ドルが使途不明になっており,軍幹部が私的に流用した可能性があると述べる.

11.24 オジャンタ・ウマラ中佐,総選挙に向け政治運動を組織すると発表.

11.25 ペルー新内閣発足.パニアグアが臨時大統領に就任.首相兼外相にハビエル・ペレス・デクエヤルが就任.国防省にはワルター・レデスマ退役将軍,内相には,92年のグスマン逮捕作戦を指揮したアントニオ・ケティン・ビダル元警察長官,経済・金融相にはハビエル・シルバが就任.バニアグアはワルター・チャコン・マラガ陸軍司令官を始め12人のモンテシノス派将軍を解役.新陸軍司令官にはカルロス・タフル・ガノサ准将を任命.

11.25 バンコ・ラティノの関係者,モンテシノスが家族名義で2千万ドルを預金しており,口座の一つはチャコン前陸軍司令官のものだった,と語る.

11.25 ラ・プレンサ紙,モンテシノスがフジモリと家族の生活費を出していた,と報じる.

11.25 フジモリ,神奈川県内の曽野別邸で全国紙と個別インタビュー.不正疑惑を全面否定するが,辞任理由など核心には触れず.

11.26 フジモリは,共同通信と会見.シンガポールから18億ドルを日本へ送金したとの疑惑を全面否定.

11.27 日本政府,フジモリが日本国籍(両親の出身地の熊本県)を所有していることを確認.

11.27 ウガス特別検察官,90年の大統領選において,コロンビアからの麻薬資金の提供を受けいたとの疑惑や,モンテシノスの不正蓄財・マネーロンダリング疑惑への関与を,捜査対象に入れると述べる.

11.28 スイス当局,モンテシノスの隠し口座資金2200万ドルをさらに発見.これはロシアからの武器購入のさいのコミッションだとされる.スイスだけでモンテシノスの預金総額は7000万ドルになる.

11.28 ホルヘ・バルガス判事,スイス当局の発表を受け,モンテシノスおよび関係者の口座があるスイス、日本、シンガポール、ルクセンブルグ、パナマ、グランカイマン、ウルグアイの秘密口座を調査すると述べる.

11.29 ペルー国会,五人の委員からなる「フジモリ調査委員会」を設置.フジモリがモンテシノス宅を不正に捜索した疑惑について調査に乗り出す.

11.29 フジモリ,日本政府に対して長期滞在を申請するとともに,自身の国籍の有無の確認を要請.

11.30 「ペルー2000」が,「カンピオ90・新多数」と「バモス・ベシーノス」に分裂して消滅.

2000年12月

12.01 フジモリ,ペルー議会での証人喚問の可能性を否定.「日本国内での喚問には応じる」と述べる.

12.01 アナリスタス・イ・コンスルトレス社の世論調査.フジモリの辞任表明に関し,リマ市民の75.5%が「フジモリ自身が不正をはたらいたため」と答える.また40.5%がフジモリを「臆病者」と評し,10.1%の者が「裏切り者で不誠実」と答える.

12.03 フジモリ,ペルーのテレビ局「パナメリカーナ」と会見.モンテシノスの犯罪活動を知らなかったと言明.またサラス前首相をモンテシノスのスポークスマンと批判.

12.03 モンテシノスの不正疑惑に対する国会調査委員会,フジモリに証人として出頭するよう留守宅を通じて要請.

12.03 フジモリ(および家族)とモンテシノスとの緊密ぶりを表わしたビデオ・テープがTVで放映.フジモリの娘ケイコさんは,別のテレビで,モンテシノスから脅迫されていると語る.

12.04 デクエヤル首相,フジモリを”逃亡者”と批判する.「逃亡の理由を帰国して説明すべきであり,フジモリが生命の危険を感じているのであれば,政府はあらゆる便宜を図る」と語る.

12.06 ボラーニャ元経済相,国会調査委員会で証言.ロシアからの武器購入(96年から98年に総額10億ドル)がモンテシノスによる不正蓄財の源となったと述べる.

12.07 アプラのデル・カスティーヨ議員,ケイマン諸島にフジモリとモンテシノスの共同名義の銀行口座があり,総額700万ドルに達すると語る.

12.08 高村新外相,まもなくフジモリの日本国籍問題について決定すると述べる.

12.10 ペルーTV報道番組「ティエンポ・ヌエボ」,ベラルーシからの「ミグ29」戦闘機18機購入(96年)における不正疑惑を報道.

12.12 日本の法務省,フジモリ氏が日本国籍を所持していることを正式に確認.ペルーのマスコミは,「フジモリは日本人だった」と日本国籍所持の事実に憤慨する報道.

12.13 トレド元候補,フジモリの身柄引き渡しを求める発言.

12.14 「ソモス・ペルー」所属のアネル・タウンゼント議員,モンテシノスの部下の証言をおさめたビデオテープを公表.これによれば少佐らは,ペルーのマスコミ各社は証言にもとづき,モンテシノスの消息について一斉報道.

アレハンドロ・モンテス・ワルテルス少佐ら3名は,カリャオからココ島までモンテシノスに同行.23日から24日にかけて、ひとり4000ドルをもらって下船したと証言.そのときすでに,モンテシノスと少数の友人たちは所在不明だったという.

12.15 コスタリカのロヘリオ・ラモス公安相,ココ島を離れてからアルバ島に至るモンテシノスの足取りを発表.

12.15 日本外務省・海外安全相談センター,ペルー渡航者と滞在者に対して,ペルー国内で日系社会や日本に対する批判が高まっているとして注意勧告.

12.16 デクエヤル首相兼外相,フジモリの日本滞在が両国関係に悪影響を及ぼすことはない,と語る.フジモリの義弟アリトミ駐日大使の後任に,キャリア外交官のマキアベロ元駐日大使の起用を決める.

12.22 ペルー議会,オジャンタ・モイセス・ウマラ・タッソ中佐に恩赦を与える提案を承認.

12.22 フジモリ長女ケイコ・ソフィア,「辞任表明の3日前にフジモリから辞任の意向を知らされた.国外での辞任表明に反対したが,聞き入れられなかった」と述べる.

12.24 ペルー日系人協会,「エル・コメルシオ紙」に意見広告「ペルーのために、平和と統一」を発表.
 

ペルーのあるラジオ局は,「フジモリ氏の早期帰国を促すには、(1940年に起きたような)反日行動を起こすべき」と放送した.フジモリの辞任表明で日系社会への非難・敵意が高まっていることは遺憾である.我々にとってもフジモリ氏が日本で辞職したことは認め難い.
「日系人協会は政治団体ではない.日系人はペルー国籍を持つペルー国民である.フジモリが日本人であろうとなかろうと,日系人とは無関係である」

12.24 ラ・レプブリカ紙,レバノン人の武器商人クペリアン(SarkisSoghanalianKupelian)との会見を発表.クペリアンは,モンテシノスがフジモリの承諾を得た上で,武器取引を一人で行っていたと述べ,その証拠資料を公表する用意があると語る.

12.27 ペルー内務省,ウエブ・サイト(http://www.mininter.gob.pe/)内に,市民からモンテシノスに関する情報提供を求めるページを作成.後の発表によれば,モンテシノスはこの頃カラカス市内に潜入.

12.27 フジモリの回顧録の掲載が読売新聞で始まる.ペルーの新聞は「厚顔無恥」な行為と非難.

12.28 アプラ党が組織した抗議行動がリマ市の日本大使館前で始まる.初日は約100人が参加.

12.29 エクアドルへの逃亡を企てたホセ・ビジャヌエバ前陸軍司令官,トゥンベス州の国境近くのホテルで,ペルー官憲により逮捕される.ビジャヌエバはフジモリ政権で内相,統合参謀本部議長を勤めた.

 

2001年
 

1.03 議会の特別調査委員会,フジモリの国連へのヘリコプター・チャーター料流用疑惑(99年3月)で調査開始.東チモールでの活動で使うため,ペルー政府が国連にヘリコプターを貸し出し.このときのリース料を着服したというもの.

1.04 デクエヤル首相,フジモリがモンテシノスの不正蓄財に関する証拠を提出するよう,日本政府に要請.またモンテシノスが日本に持っているとされる三つの預金口座を確認するよう要請.

1.04 フジモリ実弟のサンチアゴ・フジモリ,モンテシノス関連の議会特別委員会に参考人として出席.「モンテシノスは,フジモリの旧側近を権力の中枢から遠ざけた.特に第2期政権(1995年)から,権力を強大化させた」と語る.

1.10 ペルー司法省,「フジモリの第一国籍はペルーにある」と主張し,日本国内で裁判を起こすことを検討.

1.11 アプラ党主催のフジモリ氏の送還を求める抗議行動に500人が参加.サン・マルティン広場で,「日本は”泥棒”を戻せ」と叫ぶ.

1.13 リマ市の検察当局(サラテ検事),モンテシノス事件との関連で,ケイコさんを出国させないよう出入国管理当局に要請.

1.14 不正蓄財疑惑で収監されているビジャヌエバ元3軍統合参謀長,「パンアメリカーナ・テレビシオン」と会見.モンテシノスが昨年9月に反フジモリ・クーデターを計画していたと証言.

1.14 フジモリ,日本のテレビ番組に出演.「総選挙の動向を見極め,不正蓄財疑惑の容疑が晴れるまでペルーに帰国しない」と語る.ペルー司法当局の日本での聴取には応じる意向.

1.15 サンチアゴ・フジモリ,「カナルN」に出演.「フジモリとモンテシノスは不正な関係で結びついていたのではない」とと述べる.またフジモリが辞任表明する2週間前に,「生命の危険を感じている」と話していたと語る.

1.15 議会特別調査委員会のワイスマン委員長,不正蓄財疑惑などでフジモリから事情聴取するため,委員を日本に派遣することも検討すると述べる.

1.15 FIM党首のオリベイラ,日本政府がフジモリを庇護していることが,ペルー国民を憤慨させていると語る.

1.16 デクエヤル首相,外国人記者団との会見で,フジモリ氏を”逃亡者(fugitivo)”と呼び非難.

1.17 ガビリア米州機構(OAS)事務総長,ペルーを訪問.「フジモリは軍事クーデターを恐れて,側近だったモンテシノスの亡命先探しに奔走していた」と語る.また,ペルーで軍事クーデターが起きる懸念が高かったことは,多くの国・機関が承知していたと述べる.

1.18 最高裁,1992年に不正蓄財で起訴され,コロンビアに亡命しているガルシア元大統領に対する刑事訴追を棄却する決定.これにより,ガルシアの大統領選立起が可能となる.

1.20 チャコン前軍司令官らモンテシノス派将軍4人が,不法な蓄財の疑いで逮捕される.

1.21 ウガス,フジモリを職権乱用で刑事訴追する意向を明らかにする.起訴容疑は,政府広報の出稿を独断的に行い,日刊紙「ラ・レプブリカ紙」と週刊誌「カレタス」への広告出稿を取り止めたなど.

1.22 トレド大統領候補(ペルー・ポシブレ党),フジモリが帰国するよう日本政府に協力を要請すると述べる.

1.22 FIMのフェルナンド・オリベラ議員,モンテシノスによる野党議員買収のビデオを,10万ドルで入手したことを明らかに.

1.23 国会特別調査委員会のガマラ副委員長(FIM)が,モンテシノスの代理人から札束を受け取っているビデオが公開される.議会本会議は,ガマラ議員の120日間の職務停止を決める.このビデオは,昨年11月にモンテシノス容疑者の自宅で見つかった約700本のビデオのうちの1本.

1.25 スサーナ・ヒグチの顧問弁護士,フジモリと親族が国外に5,000万ドルの隠し資産を所有していると述べる.銀行名など詳細には触れず.

1.25 フジモリ,隠し預金の疑惑に関し,議会調査委員会のペンナト委員長が早期に訪日して調査するよう求める.

1.26 ウガス特別捜査官,司法当局幹部がモンテシノスと同席しているビデオが,紛失していることを明らかにする.

1.27 フジモリのモンテシノス宅不当捜査に関する議会調査委員会のフアン・ベリット委員長,司法妨害や職権乱用などでフジモリを告発すると発表.

1.27 前大統領アラン・ガルシア・ペレス,亡命先のコロンビアから帰国.大統領選への立起の意向を表明.

1.31 国会本会議,モンテシノスの不正蓄財の出所と総額について,議会特別委員会が調査することを決議.

01年2月

2.02 ウガス特別検査官,モンテシノス疑惑で捜査中の容疑者は,政府高官,軍幹部,判事,議員や民間人ら総勢212人に上ると述べる.

2.08 経済省の顧問弁護士(ベアトリス・メヒア),プジモリ政権中の国営企業民営化による売却資金のうち45億ドルが,不正に使用されている疑いがある,と発表.

2.12 特別検察官アナ・セシリア・マガリャネス,フジモリを不法な蓄財,強奪と横領の罪で正式告訴.大統領としての免責特権を剥奪するための手続きを議会に行う.東チモールの国連軍に軍用ヘリをレンタルした際,その代金を着服したというもの.

2.13 議会は元大統領に対する免責特権を剥奪する方向で審議を開始.また別の検察官ホセ・ウガスは,モンテシノスの腐敗ネットワークとの関連で,フジモリの不正を調査中と述べる.さらにモンテシノスの不正を結果として容認していた職務怠慢で,フジモリ起訴の意向を示す.

2.13 ペルー議会の小委員会,フジモリが大統領辞任の意向をFAXで表明したことは,大統領の職務放棄に当たるとの決議を,賛成13,反対8で採決.フジモリの10年間の公職禁止を決議.23日には議会が同様の決議.

2.20 アラン・ガルシア,フジモリ政権中に欧州諸国から供与された融資のなかに,その目的に使用されなかったものがあると述べる.

2.24 元フジモリ夫人で国会議員のスサーナ・ヒグチ女史は,ペルーのTV番組に出演.「大統領府内で,フジモリ氏に2度殺害されかけた」と述べる.さらにフジモリ氏の悪癖などについて爆弾発言.

2.27 パニアグア大統領,大統領就任100日を迎えて記者会見.「日本政府がフジモリ引き渡しに応じるよう,国際社会に訴えて行く」との強い意思を示す.

2.28 ペルー司法当局,大統領としての職務放棄と義務の不履行が憲法違反にあたるとし,フジモリを最高裁に起訴.議会はフジモリに対して10年間の公職追放を決める.

2 ペルー初の女性大統領を目指すルールデス・フローレス・ナノは,右翼の国家統一同盟から大統領選に立候補すると発表.

01年3月

3.02 最高裁のミゲル・カスタニェダ予審判事,フジモリ前大統領に召喚命令.応じない場合は強制送還の手段を講じる意向を示す.さらに資産約25万5,000ドルの仮差押えを命令.カスタニェダは,フジモリの職務放棄と怠慢による憲法違反訴訟を担当.

3.05 リマの日本大使館前で,フジモリの身柄引き渡しを求める抗議行動.

3.08 独立浄化戦線(FIM)国会議員のスサーナ・ヒグチ元フジモリ夫人,フジモリが1990年の大統領選でコロンビアの麻薬組織から資金提供を受けたと語る.

3.09 ガマラ検察長官補(人権問題担当),リマ日本大使公邸占拠事件の人質救出のための武力行使で,無抵抗だったMRTAメンバー3人を事件後に殺害した容疑で,フジモリ,モンテシノスと軍トップ2人の計4人を告発.

3.21 ハミルトン駐リマ米大使,マネーロンダリング問題のFBI専門家が,ウガス特別検察官に協力するだろうと述べる.モンテシノスの不正蓄財資金がケイマン諸島,ウルグアイ,米国,スイスやパナマなど国外で見つかっているため.

01年4月

4.08 大統領選の第一回目投票.アレハンドロ・トレドが37%で一位となる.二位には大方の予想を裏切り,アラン・ガルシア元大統領が26%を獲得.女性弁護士で保守系「国家統一」党首のルールデス・フローレス元議員は3位24%にとどまる.国会議員選挙ではトレードの所属する「可能なペルー」が第1党に、ガルシア元大統領のAPRAが第2党に躍進.

4.30 噂によれば,フジモリは中央準備銀行(BCR)の金の延べ棒や宝石など約10億ドル相当(1,250億円)を,外遊の際,国外に持ち出したとされる.フジモリは,疑惑内容を全面否定.BCRを調査するよう訴える.

4月 後の捜査によれば,モンテシノスはこの頃,カラカス東南60マイルの「アト・ピネーロ」環境保護地に隠れ家を確保.

01年5月

5.02 ネリー・カルデロン検事総長,フジモリの国家資産持ち出し疑惑について調査を開始したことを明らかに.

5.09 ベルガミノ元国防相,モンテシノス疑惑調査委員会で証言.昨年9月に,モンテシノスに慰労金として軍から1,500万ドルが支払われたと述べる.

5.14 ペルー最高軍事法廷,7年前にMRTAのチリ人メンバー4人にくだした終身刑の判決を破棄.今後の裁判は民間の法廷で行われることとなる.

5.18 デクエヤル,日本政府がフジモリ前大統領の身柄引渡しを拒否すれば,国際司法の場でフジモリ前大統領の引渡しを求める,日本との外交関係を断絶することもあり得ると述べる.

5.22 サウル・ペーニャ判事と検察官らが,現金やビデオテープを探すためにフジモリ宅を捜査.

5.23 ペルー検察庁,91年11月の「グループ・コリーマ」による市民殺害事件で,フジモリを共犯容疑で告発.検察庁によると,フジモリはグループ・コリーナをモンテシノスを介して指揮.事件現場近くで軍秘密部隊を激励した.

5.31 アムネスティ・インタナショナルのペルー代表テレサ・カルピオ,91年の秘密警察による虐殺事件に関して,フジモリは日本で裁かれるべきだと述べる.

01年6月

6.03 ペルー大統領選の決戦投票が実施される.「可能なペルー」のアレハンドロ・トレドが53%を獲得.47%のガルシアを破り当選.

6.08 選挙管理委員会,トレドの当選を確定.トレドは第一副大統領にラウル・ディエス・カンセコ,第二副大統領にホルヘ・デル・カスティーリョを任命.

6.08 FBI,ペルー国家警察軍のマヌエル・アイバル・マルカ退役大佐と,その部下リリャーナ・ピサロ・デ・ラ・クルスをマイアミビーチで逮捕.モンテシノスの不正を調査しているペルー当局の依頼を受けたもの.彼らの電話記録をたどり,カラカス市内潜伏中のモンテシノスの居所を突き止める.

6.11 国会常任委員会,91年,92年に特殊部隊「コリーナ」により学生ら25人が殺害された事件に,フジモリが関与したとの小委員会報告書を賛成11,反対7で可決.

6.13 議会調査委員会(デビッド・ワイスマン委員長),モンテシノス疑惑に関する最終的なレポートを公表.これによれば,警察年金資金の着服とミグ29購入時の収賄により,4億ドル近くを国庫より奪う.関連者はミゲル・メディナ・ラモス国軍統合本部議長兼空軍司令官を含め150〜180人に及ぶ.

6.21 ベネズエラのチャベス大統領,アスンシオンで開かれるメルコスル首脳会談に特別参加する途中にペルーを訪問.トレド次期大統領と会談.トレドは,ベネズエラに潜伏していると推定されるモンテシノスの逮捕協力を要請.

6.24 ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領,「モンテシノスを昨夜逮捕した.ただちにペルーに送還する」と発表.この発表は,ベネズエラのバレンシアで開かれていたアンデス諸国首脳会議の席上でおこなわれた.軍情報部(DIM)がカラカス市内で逮捕したとされるが,米紙はFBIの指揮によるものと報道.

6.24 リマの新聞コレオ,モンテシノスとティフアナ・カルテルのアレリャーノ・フェリクス兄弟との関係を暴露.これによると,ティフアナ・カルテルはリマ南方150マイルのピスコにコカイン精製工場を構え,これをモンテシノスの部下が防衛していた.95年から99年の間に,ここから18トンのコカインが積み出されたと言う.

6.25 午前9時50分 モンテシノス,ビダル内相に伴われペルー国家警察(PNP)のアントノフ機で移送.イキートスを経由してリマ市に到着.最高裁ビル(正義宮殿)に拘置される.10〜15キロ痩せていたが,変装のための整形手術は受けていなかった.

6.25 バトレ判事(汚職事件担当),ビクトル・アリトミ前駐日大使に逮捕命令.モンテシノスに対する1,500万ドルの慰労金支払いに関与した疑惑.

6.26 モンテシノス,裁判管理事務所(OCMA)で証言.国家情報局(SIN)でのビデオ録画は3万本以上にのぼり,すべてフジモリ氏の指示によるものと述べる.この時点でペルー司法当局が押収しているビデオは約2,000本.

6.27 トレド次期大統領,訪米.フジモリ送還のために国際社会に訴えていくと語る.福田官房長官は,引渡しに応じない姿勢をあらためて強調.世論調査では74%がトレド政権を支持.89%が「フジモリは帰国して、疑惑を弁明すべき」と回答.

6.27 民間建設労働者約5,000人が最高裁に向けてデモ行進.モンテシノスとフジモリに終身刑を要求.

6.28 モンテシノス,カリャオ海軍基地内の特別刑務所に収容される.彼は一般刑務所への移動を要求し,ただちにハンガーストを開始.

01年7月

7.03 ペルー司法当局,モンテシノスへの慰労金疑惑で,国際刑事警察機構(ICPO)にアリトミ前駐日大使の国際手配を要請.

7.04 スサーナ元フジモリ夫人,「ペルーの子供基金」への日本の支援者からの寄付金をフジモリが着服し,日本の銀行に預金したと告発.彼女によれば,着服額は1,249万9,000ドルに上る.

7.05 モンテシノス,カルデロン検事総長と会見.「フジモリがアリトミ前駐日大使の名義で100万ドルを所持している」と語る.

7.07 フジモリ,「ペルーの子供基金」疑惑について,隠し銀行口座の存在を否定.ペルー検察当局,この疑惑に関して捜査を開始する.

7.08 フジモリ,「銀行口座の有無について調査することを元夫人に容認する」とのメッセージを,ペルーのTV局に送る.

7.08 メキシコ紙,ペルー麻薬取締局の資料を元に、「モンテシノスがメキシコの麻薬密売組織と密売取引を行っていた」と報道.これによれば,95年から99年にかけて,コカイン18トンが,モンテシノス・コネクションを通じて流れたという.

7.28 トレド新大統領の就任式.貧困対策をはじめ雇用創出、外国投資促進、民主化尊重や麻薬撲滅などを主要課題に掲げた施行方針を発表.国営企業の民営化路線を推進すると表明.しかしフジモリ政権との違いを強調するため、電力公社については民営化しないと約束.世論調査では74%の国民がトレド政権の政策を支持.また89%が「フジモリ元大統領はペルーに帰国して、疑惑を自らが弁明すべき」と答える.

9.05 ペルー最高検察庁、バリオスアルトス事件、ラ・カントゥタ事件、マリエラ・バレト殺害事件の共犯容疑でフジモリ氏をペルー最高裁に起訴。

9.30 ペルー国会の特別議会,フジモリ元大統領が国家財産を横領してモンテシノスに大金を与えたとして,免責特権の剥奪を全会一致で決議.モンテシノスの海外逃亡にさいして,フジモリが防衛予算から1500万ドルを与える秘密の命令を出したとされる.

10.09 ペルー最高裁,91年と92年に市民25人が秘密治安部隊「コリーナ」によリ殺害された事件で,特別殺人罪容疑などでフジモリ元大統領を国際手配.国際刑事警察機構に対して逮捕要請.

12.21 ボリビアのサンタクルス警察署前で車爆弾が爆発.一人が死亡.ボリビア警察はセンデロの仕業と発表.

 

2002年

02年3月

3.17 レプブリカ紙,「ベルギーのエネルギー会社トラクテベルの関連会社が,フジモリ政権へ1000万ドルのわいろを支払った」と報道.

3.18 フジモリ,拓殖大学の客員教授に就任.

3.20 リマ市モンテリコ区のエル・ポロ商店街で車爆弾が爆発.現場は米大使館の向かいで,ブッシュ訪問に的をあわせたセンデロの犯行と見られる.通行人やガードマンを含め9人が死亡.40人が負傷.米大使館には損害なし.

3.21 トレド大統領,モンテレーの開発投資に関する国連国際会議から急遽帰国.米マスコミはセンデロやMRTAの反抗と書きたてるが,現地警察は否定的態度.

3.21 アレキパなど中南部の都市で,地方電力会社の民営化に抗議する24時間市民ストが展開される.

3.23 ブッシュがペルーに到着.ペルーの民主化定着を称賛してトレド政権への支援を強調.軍と警察は全国から2万2千を動員し,警戒に当たる.

3.27夜 トレド政権,全土に30日間の非常事態宣言を発令.首都リマなどに装甲車などを配備.

3.28 デモ隊と治安部隊との衝突で約40人が負傷し、100人近くが逮捕される.

5.29 南部アレキパ・プノなどで,地方電力公社の民営化に反対する運動が激化.プノでは反政府デモを繰り広げていた学生グループと治安部隊が衝突.デモ隊の学生1人が死亡,36人が重軽傷.治安部隊の13人も負傷.

02年6月

6.14 地方電力2社(エガサおよびエゲスル社)が競売にかけられる.ベルギー資本のトラクテベル社が1億6700万ドルで落札.アレキパ地方の住民は,リストラや電力料金引き上げに反対し,48時間のストに入る.地元市当局も売却取り消しを求めて提訴.クスコ、プノ、モケグア、タクナも同調のかまえ.

6.15 アレキパで電力民営化に反対するデモと警官隊との衝突.死者1名、負傷者200名.

6.16 警察の弾圧に対する激しい抗議行動,騒乱に発展する.暴徒が市中心部の州税務事務所などを占拠.商店街を略奪.警官24人を含め70人の負傷者が発生.アレキパ空港では滑走路ランプを始めとする空港内の設備が破壊され、空港は使用停止となる.

6.16 トレド大統領,南部のアレキパ県に30日間の非常事態を宣言.軍隊に帰営命令.夜間の外出を禁止.アレキパには自動小銃を有する700人の軍隊、1,000人以上の警官が出動.

6.17 デモ参加者、州税務事務所の占拠を断念して撤退.一連の衝突で占拠参加の学生一人が死亡、約百五十人が負傷.一連の暴動で約1億ドルの損害.

6.19 ペルー政府,反対運動の激化を受け、アレキパ市長らと会談.@裁判所が有効性を認めるまで,電力公社の売却契約の締結を見合わせ.A48時間以内に非常事態宣言と夜間外出禁止令を解除.Bロスピグリオシ内相とオリベラ法相が市民に侮辱的発言をしたことを謝罪.これに反発した内相が辞意を表明.

02年7月

7.08 ダニノ首相,ガルシアサヤン外相らがトレド大統領に辞表を提出.事実上の内閣総辞職.「トレドへの明らかな抗議」とされる.トレドの政治的孤立が一層深まる.世論調査でトレドの支持率は12%に落ち込む.

7.08 トレド,APRAのアラン・ガルシア党首宅を訪問.28日の内閣改造で,次期外相にAPRAのワグネル駐米大使を据える事で合意.

7.22 CPI世論調査.アレハンドロ・トレド大統領の不支持率が72.8%で,支持率はわずか17.3%.

02年10月

10.22 “FTAA拒否ペルー国民キャンペーン”が開始される.ペルー農民連合のワシントン・メンドーサ事務総長は「FTAA は、多国籍企業の利益になるばかりで、ペルー農業や農民生活に損害を与える」と述べる.そして「トレド大統領が農業問題に対処せず、経済政策の変更を行わなければ、ボリビアのような社会的な抗議行動をペルーでも展開する」と示唆

 

2003年

2.10 アポヨ社による汚職に関するアンケート調査.49%が「フジモリ政権が過去23年間の政権でもっとも腐敗していた」とする.

2.16 アレハンドロ・トレド大統領,側近の不正疑惑による政治危機を打開するため,15閣僚のち7閣僚を入れ替えて新内閣を発足.

3月 国際刑事警察機構,91年および92年の軍の秘密部隊「コリーナ」による虐殺事件に関し,フジモリ元大統領を特別殺人(人道犯罪)の容疑で国際手配.

4.23 ペルー議会,フジモリ元大統領を電話盗聴疑惑で告発する決議を満場一致で採択.さらに,中国からの総額1億2,100万ドルに上る器機・医薬品の輸入に関する不正疑惑で訴追される.

4月 センデロのオスカル・ラミレス・ドゥランド(同志フェリシアーノ)、グスマンを「臆病者、裏切り者」と呼び、「人民の血で思い上がった精神病者」と決めつける。

5.27 リマ高裁第3特別裁判所の嘱託を受けた東京地裁,小倉英敬元一等書記官(52)に対する証人尋問(非公開)を行う.小倉氏はMRTAの人質となり,ペルー軍特殊部隊が突入した際、MRTAのメンバー3人を生きたまま拘束したのを目撃したと証言.

この尋問は,モンテシノスら4人が,大使公邸突入時にMRTAのメンバーを違法に処刑したとして,特別殺人罪で起訴されたことに関連したもの.
MRTAメンバー14人は交戦で全員が死亡したとされていたが、小倉氏の証言などを受けて、ペルー側が遺体を検証。3人については「無抵抗もしくは拘束状態で、頭を撃ち抜かれた可能性が高い」との見方が強まる.

5月 全国的な道路封鎖と農民スト。トレドは12の地域で非常事態を宣言。

7.22 アレキパ市長フアン・マヌエル・ギリェンはデモ隊の先頭に立ち,「我々は民営化をした.しかし逆に貧困は増え、失業も増えた.理論はくそくらえ。現実を見よ」と叫ぶ.

7.28 フジモリ元大統領,「罪状は政治的迫害によるもの」と主張.さらに次期大統領選を目指して、新しい政治運動組織「シ・クンプレ(必ず果たす)」をリマ市に創設したと明らかにする.

7月 ペルー政府,軍の秘密部隊「コリーナ」による25人の市民虐殺事件で、日本政府にフジモリ元大統領の身柄引渡しを要請.アムネスティー・インターナショナルもペルー送還の国際キャンペーンを開始.

8.28 真実・和解委員会( CVR )正式報告を大統領に提出。ベラウンデ・ガルシア・フジモリ時代に推計6万9000人が殺害されたとする.

10.18 世論調査でトレド大統領の支持率は16%、拒否率は80%に達する.

11.20 靴磨きや物売りなどの子供・青年150人が,リマ中心部でデモ.警官は催涙ガス攻撃の後,暴行を加える.

 

 2004年

2.25 ペルーのロドリゲス・クラドロス外相,日本政府がフジモリ元大統領の身柄引渡しに応じなければ、国際司法機関に提訴すると発言.

3.12 ペルー検察当局,91・92年のコリーナによる市民虐殺事件で,フジモリ元大統領に対して30年の禁固刑を求刑.

6.21 クスコ州政府、コカ葉国営会社Enacoに売るコカ葉について栽培を合法化する。ペルー政府はこの措置により合法栽培者が9000人から3万6000人へと4倍になるとして反対。クスコ州知事クァレスマは、「もし中央政府が拒むなら、クスコのピューマを目覚めさせ、クスコは自治あるいは独立を宣言する」と述べる。

6月29日 クスコ州政府、コカの栽培は伝統的なものであり、クスコのラ・コンベンション、カルカ、パウカルタンボ渓谷に限って播種は合法だとする。ペルー政府は州政府決定が憲法に違反すると言明。

7.06 ミルスカ・カノ・ロペス判事、88年にアヤクーチョで軍が起こした農民39人の殺害と、略奪、強盗、放火事件で118人の軍人の逮捕を命じる。

7 SLウアジャガ地方委員会(アルテミオ派)、ウカヤリ州アグアイティアで連続テロ。軍・警察関係者3人が死亡。

8.20 ペルー高地を寒波が襲う。気温は零下25度まで低下し、肺炎で少なくとも72人の児童が死亡。

9.12 東京大学の考古学チーム,北東部のウァンドイ山麓でプレインカ時代の墓地を発見。

9.16 世界銀行、マチュピチュ遺跡などの保存管理を目的にペルー政府に500万ドルの融資支援を決定.

9.27 モンテシノスに対する裁判のひとつが結審。懲役15年の判決。「将来の見通しは何もない。いま考えることは、牢獄を出て墓場に行くことだ」と語る。

10.19 ペルー政府、ボリビア国境のプーノ県サン・ガバンとアンタウナに非常事態宣言。農民のサン・ガバンの水力発電所の占拠作戦に対する措置。農民は、コカの葉の栽培禁止に抗議し警察と衝突。女性を含む3人の農民が死亡。

11.04 エル・カジャオの海軍基地でグスマンと中央委員会を裁く最初の法廷。グスマンは拳を高く上げ、熱弁をふるった。

11月23日 アンデス諸国と米国との自由貿易交渉が決裂。アンデス諸国は、アメリカが農産物補助や知的所有権、医薬製造業の保護を廃止するまでは、全ての市場を開くことに反対する立場をとる。ワシントンは、これらの問題は、EUや日本とのマルチ交渉の場でのみ行うと主張。

11.25 ペルー労働総連合(CGTP)の呼びかけで数千人の医師、教師、労働者、農民がストライキ。チクラージョでは、サトウキビ農民がパンアメリカン道路を封鎖。リマ市内でも主要道路が封鎖される。143の国営病院では、1万3000人の医師が給与改定を求める48時間のスト。

12.07 ペルーとアメリカ、自由貿易で単独合意。アメリカからの輸入の3分の2について関税がゼロとなる。いっぽうペルーはアメリカからの中古衣類を対象から外すことに成功したが、米国市場向け砂糖のクオータ増加はわずかだった。トレド大統領は、自由貿易協定は「大きな挑戦」を意味すると述べた。

12.08 ペルーの選挙審査会、フジモリ前大統領が2011年までいかなる公職にも就けないとする決定。

12.25 トレド大統領、アルト・ウアジャガの6州に戒厳令。センデロが麻薬取引業者を守るための傭兵となり、治安部隊が入るのが困難な「錯綜した地域」となっていることを認める。

 

2005年

05年1月 ウマラ兄弟の反乱

1.01 オジャンタの弟アンタウロ・ウマラ元少佐が率いる部隊が、ペルー東南部アプリマック州のアンダウワイヤスで武装蜂起。元軍人ら150人が地元警察を占拠。10人の警官が人質となる。部隊はインディヘニスモを掲げ、トレド大統領の辞任を要求。ウマラは「インカ帝国を原点にペルーを再建する」と述べる。

1.01 3日前に駐韓国武官を退役となったオジャンタは、この蜂起を支持するよう呼びかけ、いつでもペルーに戻る用意があると声明。MAPを代表して次期大統領選への出馬を目指す。

1.01 トレド大統領は緊急の閣議を開催。軍と警察を派遣するとともに、アプリマックに非常事態宣言を発する。

1.04 アンタウロ・ウマラが7人の人質を釈放し、武器を捨て現地の警察を離れたところで逮捕される。一連の闘争で6人の死者と14人の負傷者を出す。トレド大統領は「100人以上を逮捕し、公共の秩序を取り戻した」と声明。

1月 リマ大学の世論調査。トレドの支持率は8.4%。支持しないが86.5%。

05年2月 ウアジャガ農民の闘い

2.17 サンマルティン州ウアジャガ渓谷トカチェのコカレーロ、ペルー国家警察の枯葉剤散布に抗議し、無期限のストライキに入る(政府当局は薬剤散布の事実を否定)。農民6千人がハイウエイ封鎖作戦に参加。指導者のナンシ・オブレゴンは「ママ・コカ」と呼ばれる。

トカチェ市長ペドロ・ボガリンのAFPとのインタビュー
我々は麻薬取引に反対であり、警察の活動を支持する。しかし枯葉剤散布のような国際法上許されない方法をとることは拒否する。すでにピサナ渓谷では子供をふくめ30人が中毒症状を呈している。我々は証拠となるビデオを持っている。政府は高級な調査団を派遣してほしい。

2.19 ペルー憲法裁判所、フジモリの06年大統領選への出馬に無効判断。フジモリは世論調査では2位につける。

2.20 センデロ、ウアヌコ州ティンゴ・マリアでハイウエイ・パトロール隊を襲撃。警官3人を殺害しパトカーに火をつける。SLウアジャガ地方委員会(アルテミオ派)の副官エクトル・アポンテ・シナラルアが指揮。ウアジャガ渓谷での麻薬取り締まり作戦に対する報復とされる。一説によればセンデロを装った密輸業者による犯行の可能性。

2.21 ペルー高地コカ栽培者連盟(CONPACCP)のエルサ・マルパルティーダ代表はテロへの関与を否定する声明。

2.23 ウアジャガ渓谷各地で、麻薬摘発作戦に対するコカレーロの抗議デモ。背後にセンデロが存在するといわれる。@ウアジャガでの薬剤散布をやめること、Aペルーでのコカ栽培を合法と認めること、Bアメリカとの自由貿易協定交渉を中止すること、を主張。政府は「生産されたコカの90%は麻薬用に向けられており、コカの栽培を他の合法的作物と同じように扱うわけにはいかない」と説明。

2.23 コカイン栽培農民全国連合 (CONPACCP) 、トカチェのストを支持し、ウカヤリ渓谷とウアヌコ渓谷で48時間のストを呼びかける。センデロのアルテミオ司令官はConpaccpのスト呼びかけを支持する声明。

2.24 ウアヌコのティンゴ・マリアとアウカヤリ渓谷のグアイティアを結ぶ道路のブロック。アグアイティアでは商店・官庁が休業。ウアヌコ渓谷の中心ティンゴ・マリアではバス・トラック輸送がとまる。農民たちが目抜き通りをデモ行進。

2.27 ペルー警察、リマとカヤオ港でティファナ・カルテルの摘発作戦。警察によると、ティファナのカルテルは毎年30から50トンの麻薬をペルーから運んでいる。約990キロのコカインを押収し、コロンビア人、メキシコ人とペルー人合わて計21人を逮捕。

2.28 ペルー最高裁、フジモリ政権時代のボラーニャ経済相ら3閣僚に、3-4年の禁固刑の判決。モンテシノスによる公金不正取扱いへの関与が問われる。

3.01 ペルー支援として贈られた古着の不正取扱いでフジモリ元大統領の3兄弟に逮捕命令。

3.21 コカ栽培者のリーダー、ナンシー・オブレゴン(ママ・コカ)が、軍の「保護者」としての役割を明らかにする。軍は90年代に、セルバ中央地帯のトカチェに設けられた2つのセンデロ・ルミノソ基地を奪取した。その後センデロが果たしていたコカイン取引保護者の役割を引き継いだ。モンテシーノスは、トカチェにしばしば赴き、麻薬取引組織と会合し、金を受け取っていた。

3.24 トレド大統領、前の大統領選で登録されるため必要な署名を偽造したとして国会で喚問を受ける。ビジャヌエバ国会議長は、「警察の証拠によれば120万人の署名のうち77%が偽造である」とのべる。すでにこの件では姉のマルガリータ・トレドが自宅拘束、その夫ギジェルモ・ファレスが告発されている。

3.24 フジモリ元ペルー大統領は、炭酸飲料「フジ・コーラ」のペルー市場での販売活動を支援することになった。フジモリは「国民の不満という渇きを癒すため」と言う。

4.01 携帯電話事業の国際入札。アメリカ・モビルのコンソーシシアム・セルコテルが落札。

4.07 貧困層へ補助金を支給する「フントス」(共に)計画が発令される。これまで「プロ・ペルー」と呼ばれてきたもの。

4.18 アポーヨ社の世論調査。トレド大統領の支持率が8%に低下(就任時は59%)、不支持率は87%に達する。雇用や貧困問題などの公約不履行や側近・身内の汚職疑惑の発覚などが影響。

4.20 ナカサキ弁護士がリマで会見。フジモリが年内にペルーに帰国し、来年の大統領選に立候補すると発表。

5.13 ペルー中央準備銀行報告が発表される。2月単月の経済成長率6.8%、4月のインフレ率0.12%、3月のリマ首都圏の完全失業率10.4%と経済が好調局面に入る。カミセア天然ガスの本格作動による石油・ガスの成長(36.3%)が牽引役となる。これを受けた3月の財政収支は、プライマリーバランスで8億15百万ソルの黒字となる。

5月末 「CPI」が首都リマで実施した「大統領選が今日だったら誰に投票するか」とのアンケートで、フジモリが18.9%の支持率を得て一番、ルールデス・フロレスは18.3%、アラン・ガルシアが13.1%を獲得。トレド政権への不支持率は80%にも達する。

6.10 フジモリ元大統領、ペルー国営テレビの政見放送に支持団体「シィ・クンブレ」のビデオを通じて登場。”政治的迫害”を受けていることを強調し、次期大統領選に出馬する意欲を表明。

7月 オリャンタ・ウマラが出馬声明。天然ガスや銅、亜鉛などの鉱山開発にかかわる外資系企業への影響力を強める政策を主張。企業への課税強化や採掘権料の徴収で歳入を増やし、国民に分配して貧困を解消する公約を掲げる。過去の一連の行動に関して、都市部のインテリ・富裕層からは不信と警戒。

9月 ブラジルとペルーを結ぶ両洋間ハイウエイの建設が開始される。ブラジルが60%、ペルーが40%を出資、09年末の完成を目指す。

10.07 フジモリ、東京都内で記者会見し、ペルー大統領選に出馬表明。トゥデラ法相は、「ペルーの法と国家主権に対する挑戦だ」と強い不快感を表明。

10.25 ペルー選挙評議会のエンリケ・メンドサ議長、「立候補資格のない人物が約900人おり、その中にフジモリ元大統領も含まれている」と述べる。ペルー国会は2001年2月、フジモリ氏に対し10年間の公職追放を決議している。しかし、フジモリ陣営は公職追放決議について、刑事裁判で有罪判決を受ける前に行われたため無効だと主張。

10.18 ペルー最高裁、フジモリ元大統領の公金不正利用の共謀罪について、「証拠不十分」として無罪を言い渡す。

11.06 フジモリが突如としてサンチアゴ入り。市内のホテルに逗留。

11.07 チリ警察当局、ペルー政府の要請を受けフジモリを勾留。サンチアゴ刑務官学校に収容する。フジモリは拘束を不当として保釈を申請。

11.09 駐チリ日本大使館の小川大使、フジモリ氏のチリ入国について「夢想だにしていなかった」と釈明。国籍問題については「日本人であることは間違いなく、チリ国民に理解を求めたい」と語る。

11.09 チリのラゴス大統領、「国際手配されている人物が出国したのなら、知らせてくれた方がいいのは当然だ」と述べ、日本政府からの事前連絡がなかったことに遺憾の意を表明。さらに日本政府がフジモリの「公正な扱い」をチリ側に求めたことについて、「フジモリ氏はペルーの旅券で入国し、入国書類にもペルー人と書いている」と指摘。

12.08 大統領・議会議員選挙が公示された。ガルシア元大統領、パニアグア前暫定大統領、フロレスUN代表などの有力と目されている次期大統領候補が活動を開始。

12月5日 センデロ・ルミノソ、アヤクチョ州ラ・マル郡で麻薬事件の被疑者を護送中のパトカーを攻撃し、同車両に乗車中の警官5名を射殺した。

12.07 ペルー・米間のFTA交渉が妥結。農畜産品、知的所有権に関する合意が成立。

12月8日 警官殺害事件を捜査中のパトロール部隊が、フニン州サティポ郡で、SLから銃撃を受け、警官1名が負傷。17日にも同地区で陸軍のパトロール隊に待伏せ攻撃。

12月19日 三軍統合司令官にホセ・ウイリアムス中将が就任。ウイリアムスは軍による一連の人権侵害事件への関与を問われている人物。

12月20日 ワヌコ州レオンシオ・プラド郡ティンゴ・マリア付近で、警察のパトカーが待ち伏せ攻撃を受け、警察官8名が死亡した。

12月21日 政府は、ワヌコ州の3郡とサン・マルティン州の3郡に、憲法に基づく60日間の非常事態宣言を発令した。

12.25 ペルー政府、マチュピチュの文化財を返還するよう、米エール大学に文書で通告。マチュピチュは1911年にエール大学のピンガムが発見。ミイラや人骨、陶器類など約5千点を発掘して持ち帰った。

12月 左派政党のUPPから立起したオリャンタ・ウマラ退役陸軍中佐の支持率が急上昇(10月8%、11月11%、12月22%)。ガルシア元大統領やパニアグア元暫定大統領を追い抜き2位となった。フジモリ支持層がオリャンタに回る。トレド大統領支持率は11%、不支持率は86%。

 

2006年

06年1月

1月3日 カラカスでモラレス次期ボリビア大統領の選出記念式典。チャベスは式典に出席していたウマラ候補を聴衆に紹介。同候補への支持を表明。

1.03 ペルー政府、人権侵害(2件)および汚職疑惑(12件)により、フジモリの身柄引渡しを正式要請。

4日 ペルー外務省、「チャベス発言は内政干渉である」とベネズエラに抗議。チャベス発言への不快感の表明としてカルロス・ウルディア駐ベネズエラ大使を召還。

1月6日 SI CUMPLE、フジモリ元大統領の立候補登録を全国選挙管理委員会(JNEに申請。

1.07 フジモリ前大統領の長女、ケイコ・フジモリ、支持者とともに父親の候補者登録。フランシスコ・ビダル内相は、フジモリはいかなる勧誘活動、支持者の集会も許されないと言明。

8日 選挙管理委員会のリマ特別事務局(JEE)、フジモリ元大統領の次期大統領選挙への立候補登録申請を却下。議会の公職就任禁止決議を受けている人物は選挙に立候補できないとする。

1.10 フジモリ派、登録期限を直前にして、フジモリの身代わり候補の選出に入る。

10日 チャベス、ふたたび「フロレス候補はペルー支配者層の代表である」と干渉発言。

1月14日 ペルー全国選挙評議会、

1.16 全国選挙審査会(JNE)、リマ特別事務局の判断を支持。フジモリ前大統領の選挙登録に関する訴えに正当性がないとする。大統領選参加の可能性は最終的に否定される。

1月16日 ペルー国防省、フジモリ政権中にテロとの戦いで死亡・負傷した農民自衛軍の元メンバー23人に総額25万8,000ドルの補償金。

1月17日 フジモリ派政党連合の「未来のための同盟」(AF)は、マルタ・チャベス議員を大統領候補とする登録申請。フジモリ元大統領の実弟サンチアゴ・フジモリが、第一副大統領候補として選挙キャンペーンを着手。

1月18日 コリーナ・グループの指導者ネルソン・カルバハル、ルイス・スポ、カルロス・ピチリンゲの3名、フジモリ元大統領とモンテシノス元SIN顧問が、コリーナに指示を与えたと証言。

1.19 エル・コメルシオ紙の大統領選アンケート調査。ウマラ元軍司令官が28%の支持率を獲得し、これまで優位にあったフローレス(保守)の25%を超えて一番人気に。この結果に対し経済界に懸念が広がり、一時ドルが高騰。

2月6日 米政府、対ペルー麻薬対策援助を約840万ドル削減。ボリビアに対する援助も約1,320万ドル削減。両国政府にコカ栽培農民の抵抗を抑えようとする強い意思がないと批判。

2月19日 ワヌコ州ティンゴ・マリアでセンデロ・ルミノソNo.2のエクトル・アポンテ・シナワラが射殺される。アポンテはウカヤリ州における海兵隊員4名の殺害(04年)に関与。また12月の警官連続殺害事件を指揮。

2.20 警察、アヤクチョ州ワンタでSL幹部のカルロス・ベセラを逮捕。

2.21 アルバレス特命判事、フジモリ元大統領の保釈請求及び自宅軟禁への変更請求を却下。チリ最高裁もこの判断を支持。

2.21 ペルー当局、アヤクーチョでセンデーロ・ルミノソ北部戦線の指導者カルロス・バセラ・ロメロを逮捕。

2.25 ウマラ大統領候補が政権構想を発表。制憲議会の召集と大統領の連続再選禁止、米国とのFTAの調印中止などをうたう。

2.28 ラ・カントゥータ事件の犠牲者家族らが、フジモリ元大統領のペルー送還をチリ政府に求め、サンチアゴの憲法広場で街頭行動。

3.27 オジャンタ・ウマラ、テレビ局とインタビュー。反米ではなくラテンアメリカのための「ラテンアメリカ枢軸」の創設に賛成すると述べる。またセルバ地区の司令官時代の人権侵害について改めて否定。

3月 ペルーでは、国内総生産(PIB)は6%の成長、民間投資は10%増、国際金融市場での国債の評価は高まり、インフレ率は1.1%となる。しかし国民の10%が全体の約40%の富を集め、半数以上(51.6%)は,依然貧困線以下にとどまる。

4月初め アポヨ社の直前世論調査ではウマラが33%、ガルシア23%、フロレス22.8%。CPI社の調査では、ウマラ支持率は25.9%、フロレスが27・6%で首位、ガルシアが24.9%。

4.06 チリで身柄拘束中のフジモリ元大統領、代理人を通じて日本人の片岡都美さん(ホテル経営者、40)との婚姻届を都内で提出。

4.09 大統領・議会議員選挙が実施される。大統領選挙はウマラが31.0%を獲得。首位に立つ。二位に滑り込んだガルシアとの決選投票に持ち込まれる。

4.09 ペルー国会議員選挙で、”フジモリ政党”の未来連合が120議席中15議席を獲得。フジモリの長女ケイコ候補(30)が初当選。

4.12 ペルーと米国との自由貿易協定(FTA)がワシントンで調印される。トレド大統領はこのFTAを「歴史的だ」と評価し、「この市場がなければ、どんな公約も実現できないことを、次の大統領も理解してほしい」と述べた。ウマラ候補は米国とのFTA調印を批判し、その是非を問う国民投票の実施を示唆。

4.20 チャベス大統領、「コロンビアとペルーはアメリカとの自由貿易協定を結んだことにより、CANを殺した。いまやCANはエリートと多国籍企業を利するだけだ」として、脱退を宣言。また「メルコスールも根本的改革をおこなわなければ、CANと同じような運命をたどるだろう」と警告。

4.21 トレド大統領、「アメリカと自由貿易協定を結んだから、CANが“死んだ”との見方は共有できない」とし、チャベスの脱退発言について、再考を求める。エボ・モラレス大統領もCAN残留を要請。

4.24 チャベス大統領、ペルーとコロンビアが米国との自由貿易協定を考え直すなら、アンデス共同体(CAN)からの脱退を撤回すると発言。エボ・モラレス大統領の残留要請への対応。

4.25 ボリビアのモラレス大統領、ペルーのトレド大統領が、米国との自由貿易協定調印を結んだことを非難。「ペルーのみならず全ラテンアメリカの先住民を裏切った」と述べる。ペルー政府はモラレス発言に強く抗議。

4.25 日本政府、リマ大使公邸の跡地を売却すると発表。

4.27 ガルシア候補、チャベスがエボ・モラレス大統領とともに、米国との自由貿易協定に反対していることを、「恥知らず」と非難。

4.28 チャベス大統領、ペルー政府の抗議を拒否。ガルシア候補がホワイトハウスの代弁者であり、「腐敗し、恥知らずで、心底からの泥棒のイカサマ師」であると非難。ガルシアを守ろうとするトレド大統領を「同じ淵の中のワニ」だと発言。「もし悪魔の仕業で、セニョール・ガルシアが大統領になった場合は、ベネズエラはペルーとの関係を維持しない」と警告。ガルシアは、「胃袋いっぱいに石油があれば何でも言える」とかわす。

4.30 ペルー政府、「ペルーに対する執拗で明白な内政干渉」に抗議するため駐ベネズエラ大使を引き上げ。ベネズエラのウィリアム・ララ情報相は、トレド大統領を、アメリカの「おしゃべりな操り人形」、「オフィス・ボーイ」と発言。

5.08 Datum社の世論調査、ガルシア支持56%、ウマラ支持44%で、1週間前に比べ差が広がる。

5.09 アメリカ大使館、オジャンタ・ウマラ候補へのビザ発給を拒否。民主体制に反する行為が理由とされる。

5.18 チリ最高裁、「社会や犠牲者・家族の安全に危険はない」とし、フジモリ前大統領の保釈を決定。ただしチリからの出国は禁じられる。

5.20 サンチアゴで釈放されたフジモリ前大統領、「自分への告発は不公正で、無関係である」と語る。

2007年

6.08 チリ最高裁はフジモリの逃亡を回避するため、自宅拘禁を命ずる。

6.18 国民新党・代表代行の亀井静香衆議院議員の秘書らが、サンチアゴ軟禁中のフジモリを訪れ、参院選への出馬を要請。

7.12 チリ最高裁、ペルー司法当局によるフジモリの身柄引渡し申請を棄却する判決。フジモリの実弟サンチアゴ議員は、判決を受け、「2011年のペルー大統領選の当然の候補」と強調。ペルー政府はこれを不服として控訴。

7.29 サンチアゴ郊外で自宅軟禁中のフジモリ、国民新党から参議院比例代表に立候補するが、5万1,612票で落選。民主党の鳩山幹事長によれば、フジモリが民主党にも出馬の打診。

9.21 チリ最高裁、不正疑惑5件および人権侵害疑惑2件について、起訴相当と判断。フジモリの身柄引渡しを判決。

9.23  フジモリ元大統領、チリからペルー警察機で移送。リマ近郊の警察基地に収容される。

10.10 ガルシア大統領、南米地域における新たなアンデス原理主義について言及。先住民を動員したこれらの運動は、イスラム原理主義と同様、南米地域の不安定化につながると批判。アンデス原理主義と闘わなければならないと述べる。また国有化路線についても、国家主導の経済モデルへの転換は重大な過ちであり、国有化などの措置は国民をより貧しくするだけである旨述べた。

10.12 ペルー最高裁でフジモリ元大統領の尋問が始まる。フジモリはモンテシノス宅の違法家宅捜索(2000年11月)を命令した事実を認める。