“剛腕”が大震災で間一髪!ガスタンク爆発の恐怖

★元西武など、「誠和プラント」勤務の鳥谷部健一さん(32)

2012.04.04


西武時代は剛腕でならした鳥谷部さん。今は命がけの作業に従事している【拡大】

 西武では剛腕投手として活躍。現在は、千葉県市原市の「誠和プラント(株)」で、化学プラントや石油プラントのメンテナンス作業に従事している。化学薬品やガスなどから身を守るため、防護スーツを身につけて作業をする危険と隣り合わせの仕事だ。昨年3月11日の東日本大震災のときも、間一髪だったという。(聞き手・米沢秀明)

 とても恐ろしい光景でした。まるで映画の爆発シーンを見ているような気分でした。

 あの日は、千葉港に面した旭硝子千葉工場で作業をしていました。工場の中では樹脂関係を扱っているので、薬品類を多く使います。危険なのですぐに退避することになりました。

 車で逃げているとき、大きな爆発音と熱風を感じました。2キロほどの近隣にあったコスモ石油のガスタンクが爆発したのです。少し離れた橋の上まで来ていたのですが、次々と燃え上がるタンクを目の当たりにして声も出ませんでした。熱風で車は大きく揺れ、鉄の塊が飛びかっていました。もし逃げ遅れていたら、どうなっていたかわかりません。

 もともとプラントのメンテナンス、清掃は普段から危険のともなう仕事です。作業場には複雑な配管が入り組み、強い酸やアルカリが使用されています。酸欠の恐れのある施設もありますから、エアライン(酸素マスク)を付けて、防護服を着ての作業をすることもよくあります。

 作業には教育を受けることが必要で、資格も数多く取得しました。クレーン、玉掛け、フォークリフト、高所作業車、酸素欠乏・硫化水素作業、アスベスト取り扱い、アーク・ガス溶接など。とにかく安全第一は厳しく言われる職場です。

 引退して丸5年。今思えば、プロ野球は夢のような世界でした。本当にグラウンドに金が落ちている職場です。野球選手ということで、普通はできない楽しい思い出もたくさんありました。

 右手の血行障害に悩まされ、高校時代とプロに入ってからも手術をしました。初勝利を挙げた試合はいい思い出ですね。屋根がついたばかりの西武ドームでした。暑さで全身けいれんのまま、5回まで何とか投げたのを思い出します。

 今の厳しい職場で頑張ろうと思えるのは、お世話になった村實弘規社長に恩返しをしたいからです。中日を戦力外になったあとも野球への思いを断ち切れず、クラブチームに所属して野球を続け、2年後にはトライアウトも受けました。

 結果は不合格。しかし、仕事をしながら特別に休みを取らせてもらい、野球をさせてもらうというわがままを許してもらったのです。本当に感謝しています。

 実は最近になっても野球の夢をみることがあります。でも今は、我孫子の実家で理髪店を経営している両親に、少しは親孝行らしいことをしたい。それが夢ですね。

 ■とりやべ・けんいち 1979年11月4日、千葉県我孫子市出身。柏陵高から97年にドラフト3位で西武入団。身長190センチの大型右腕として期待され、2003年には先発で2勝1敗。05年に中日にテスト入団し、06年戦力外。07年からクラブチームのサウザンリーフ市原に2年間所属。08年にはトライアウトにも挑戦した。現役通算13試合、2勝1敗。現在は「誠和プラント(株)」(千葉県市原市姉崎)に勤務している。

 

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