親しみやすいキャラクターで世代を問わず人気のお笑いコンビ「パックンマックン」。そのパックンがバラエティー番組からニュースコメンテーターまで幅広く活躍している。来日したのは22歳の時だった。なんたって米ハーバード大の秀才である。
「社会では、なかなか役に立たない比較宗教学部を卒業して進路に迷っている時に友人に誘われて、出来心で日本に来ちゃいました」
福井で英会話の教師を2年半。傍らでアマチュアの劇団に所属していた。
「奨学金を完済するまではまじめに働いて、あとは、ふまじめに働こうと思っていましてね。夢だった役者を目指そうと決めて、東京経由でハリウッドに行く方が成功の近道だと、上京を選びました」
DJ・モデル・エキストラや、翻訳・通訳の仕事をしていたが、役者としては鳴かず飛ばず。
「知名度をあげて、自分のために台本を書いてもらうようにならなくちゃだめだよと、アドバイスをいただきましてね」
そんな頃にマックン(吉田眞)と出会い、人生が動き始めた。
「お笑いを通して有名になれば、役者という夢がかなうんじゃないかなって。勉強の一環として、マックンを踏み台にして(笑)組んだのが、いつのまにか本業になっちゃいました」
軽い気持ちからの出発も、日米コンビの斬新さと、カタチにとらわれない芸風で人気者になった。
3年前に亡くなった落語界の鬼才、立川談志さんと番組で共演することも多く、交流も深かった。「コンビとしても可愛がっていただきましたが、アメリカの黄金時代の映画の話やアメリカンジョークでいつも盛り上がって、話題が絶えなかったですね。師匠はNBAも大好きで、バスケットの試合に感動して深夜2時頃に電話をいただいたこともありましたね」と懐かしむ。
ジャーナリストの池上彰氏とラジオ番組で共演したことが、またも人生を変えた。