経済裏読み

もう一つのパナ「人事抗争史」 創業家が社名の「松下外し」許した理由 幸之助氏の呪縛は…

 正治氏ら創業家の了解は避けては通ることはできない手続きだったが、経営トップが拍子抜けするほどあっさりと創業家2氏の賛同を得たことで、社名変更が具体的な手続きのレールに乗ったといえる。

関係の変化

 大坪氏らが社名変更で創業家の理解に神経を使ったのには理由がある。実は平成に入ったころ社内で「パナ(PANA)」への社名変更を検討したことがあったが、具体化することはなかったという。関係者は「正治さんがうるさくて議論が始められなかった」と振りかえる。

 昭和33(1958)年に東京通信工業がソニーに、45年には早川電機工業がシャープになるなど、電機業界は社名とブランドの統一で効果を上げるケースが増えていた。とくにソニー(SONY)ブランドの米国での知名度の高さは松下の経営陣の意欲をそそり、「ブランド名に近い社名のほうがいいという声が出た」(関係者)といわれる。

 平成2(1990)年、立石電機から社名変更したオムロン関係者は当時、ある会合で同席した谷井氏に「うまいことやりましたなあ。うちは去年に創業者が亡くなったからねえ」と声をかけられたことがあったという。

 変化は平成13(2001)年度、松下が4千億円以上の最終赤字を計上したことでもたらせた。松下ほどの企業も「安泰ではない」と危機感が広まったからだ。中村氏が社長として「創業者の経営理念以外、すべて破壊する」と宣言し、構造改革に取り組んだ。

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