譲位

陛下はなぜ「摂政」を望まれないのか 過去64例、設置理由「幼少」が最多

 明治憲法下では、皇族のみが摂政に就任できるように明文化した。現皇室典範は天皇の譲位は認めず、「身体の重患又は重大な事故」により、国事行為を自ら行えないときは、皇室会議の議を経て摂政を置くと定めている。

 宇佐美毅宮内庁長官(当時)は、昭和39年の国会答弁で「摂政の場合は、天皇の意思能力がむしろほとんどおありにならないような場合を想定している」と説明している。

大正天皇への思い

 大正10年11月、皇太子である裕仁親王(昭和天皇)が20歳で摂政に就いた。健康に恵まれなかった大正天皇は、数年前から国会開会にあたってのお言葉が読めなくなるなど病状が悪化していたからだ。

 ただ、天皇の側近の日記には、侍従長が皇室会議の決定を報告し、天皇が書類の裁可に使う印籠を引き取ろうとすると、大正天皇がこれを拒否したことが記されている。さらに大正天皇は侍従長の退室後、侍従武官長に「侍従長がここにあった印を持ち去ってしまった」と訴えたという。

 昭和天皇は約5年間、摂政を務められたが、父の政務を奪ったという自責の念を感じていたとの指摘もある。昭和天皇は昭和63年9月に大量吐血されて重体となったが、翌年1月の崩御まで摂政は置かなかった。

 こうした経緯もあり、天皇陛下は、平成22年7月の参与会議では「健康上の問題が起きる前に譲位を考えたい」と発言し、その場にいた出席者に摂政での対応を求められても、強く否定されたという。参与会議に出席した元宮内庁参与の三谷太一郎氏は「陛下は大正天皇の例は望ましくないとの考えで、その悲運に同情的であられた」と振り返る。 (広池慶一)

会員限定記事会員サービス詳細